埴原城 再び2 の続きです。
いつものルート案内を載せまして
主郭(西側)の15から再開します。

ちなみに

こちらが本来の見学ルートです。
相変わらず完全無視で申しわけない次第・・・

折角なので主郭(西)も見ていきます。
大岩があちこち残りますが、峻険な山城の割に平坦地が広く確保されてます。

南側の虎口
裏側の石積み遺構は埴原城の必見ポイントですが今回は見忘れてます。
気になる方は7年前の記事を参照して下さい。

主郭(西)の後背を守る高土塁。
かつてはオール石積み造りであったように大量の石が転がってます。
この主郭背後(搦め手側)を守る土塁の背後は「大堀切」で遮断が定番ですが
埴原城では

次の主郭(東)が控えてます。
画像は土塁の上から撮影したもの。
う~ん不思議な造りですね、東西の主郭の役割分担やそもそも二つに分かれているのが謎。
山頂付近にも関わらずかなり広い面積を有しているのも特筆すべき点でしょう。

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主郭(東)側から先ほどの土塁を撮影。
こちらの方が標高が高いからか、思ったより土塁が低く感じます。
なにやら
後から無理やり作り替えたような不自然さを感じます。堀切を埋めたりしてませんか?

主郭(東)の背後は降りるのが怖い位の大堀切で遮断されてます。
ここが埴原城の主郭背後の主防衛線でしょう、土木量が尋常ではない。

堀底から主郭側を見上げて撮影・・・したつもりですがアングルに収まりきれません。

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大堀切から先は郭や堀切はなく代わりに稜線上に「堀底状通路」が続いてます。

「堀底状通路」と言われても馴染みがないかと思いますが
稜線上に造られた、深い所では人の背丈を超える塹壕状の通路です(説明になってない?)
同じ小笠原氏系城郭の「霧降城」にはもっと大規模に残りますが古道の遺構と考えて良さそうです。
自動車が普及する以前は、集落間を行き来する行商人や地元の人が芝刈りに利用していたそうですが、今はほぼ廃道状態。

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「堀底状通路」が稜線上を辿るなら、斜面には「畝状竪堀群」が普請されてます。
堀底状通路が塹壕に見えるのはこの畝状竪堀群とセットで普請されている為。

カマボコ状の畝堀がお見事。
主郭背後まで神経質なまでに普請を施したのは余程の危機感があったのでしょう。
埴原城の最奥部まで見学したので そろそろ戻りましょう。

主郭背後の大堀切です。
堀底から南側に見学路が伸びているのでこちらを辿ります。

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主郭のある小ピークから南側に伸びる尾根筋です。
画像左手は竪堀、右手は尾根上の郭群。

尾根筋を見下ろして撮影。
遥か下方まで段郭が続いてるのが見えますが・・降りるかどうかを思案中。

足元に石積遺構を発見したので、撮影してこちらの尾根の探索はパス。
・・全ての尾根を見るのはやはりちょっと大変なので。

順序無視してますが21
「伝・お姫様の化粧水」と呼ばれる水源。

湧水量は僅かながら主郭直下に水源がある事自体が籠城戦には頼もしくあったでしょう。
こんな貴重な水を、戦闘に貢献しない姫様が化粧に使おうものなら大顰蹙でしょうね。
そもそもお姫様って城郭遺構の怪しい「お約束」伝承では?

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主郭(西)の直下に設けられた帯郭。

画像右側の斜面(主郭側)から転がってきた元石積みの石達が散乱しているのが特徴でしょう。 土塁を伴わない削平地。

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動線を屈曲させた虎口。
これ遺構でいいんですよね? もしくは見学路が結果的に虎口の様になっているだけ?

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再び見学路を脱線しまして
南西に伸びる支尾根群を見学します。
こちらは「構」と呼称される尾根元の郭。

「構」の郭には珍しく土塁が回されてます。
ここまでに
構の土塁・主郭(西)背後に堀切無し・北尾根の横堀
埴原城の縄張りの中で異質な「妙に引っ掛かる点」が幾つか出てきました。
この辺りが、(伝)「小笠原貞慶」による改装ポイントでは?
と妄想が沸き上がってきてます。
さて 妄想はこの位にして先に進みます。

見学路から外れても標識だけはあります。
どんどん先に進みましょう。

「構」から尾根筋を下ります。
斜度の厳しい稜線上には目の覚めるような鋭い堀切が連続します。

2重堀切

堀底から見上げて撮影。
関東の山城と違って下草がないのでいいですね。

番号を忘れてました。24の辺りです。
主防衛線ではない支尾根ですが、全く手を抜かず執拗に堀切で刻むのには執念さえ感じます。

堀切はそのまま斜面を下る竪堀になります。
この辺りも全く手抜かりなし。

前方に削平地が見えてきました。

こちらは25の「八幡平」と呼ばれる郭。

八幡平の先も2重堀切で固めています。

ここの堀切もきっちり掘って斜面の竪堀に連続してます。
埴原城・・見どころ多すぎ
「縦深防禦」という言葉がありますが
埴原城のコンセプトはこの言葉そのまま。
主郭までたどり着くには一体何本の堀切(防衛線)と郭の突破が必要なのか。
そうは言っても

堀切の先は やっと 自然地形に戻りました。

稜線上のフェンスに沿ってこのまま麓まで降りる事にします。
戻りは登りなので面倒ですし、国土地理院地図にはこのまま麓まで降りる山道が記載されているんですよね。
だからきっと大丈夫・・・

フェンスが右側(山肌)に降りるので、仕方がなくそのままフェンスに沿って麓まで降ります。

人家は近いのですが・・ここはどこでしょうか?

?
獣除けフェンスの出入り口は間伐材でキッチリ塞がれて・・出られませんでした。
※この情報はおまけですね、八幡平郭を見学したら来た道を戻りましょう。
所要時間 4時間
埴原城の評価は 5 とさせて下さい。
山城紹介の場合、所要時間を載せてますが、埴原城は4時間きっちり掛かりました。麓に戻った時には疲労(年のせいもあるかも・・)困憊。
その後他の山城に行く気が起らず埴原城だけの見学で遠征は終了しましたが、これだけ見どころの遺構があればが一つの城だけで満足感は十分得られるでしょう。
遺構としては
冒頭で「弱者の生存戦略」のようなと書きましたが
主郭への到達を少しでも遅らせ時間を稼ごうという執拗なまでの堀切・郭の配置が物語っているように思えます。
尾根先端部の堀切や郭から遅滞戦闘をしつつ敵方に出血を強要する。
前面には主郭背後の大堀切のような強力な遮断線を設けてない点からも そのような運用を想定していたのではないでしょうか?
これは埴原城に限った話ではありませんが、特に埴原城ではその傾向が顕著に感じます。
でも尋常ではない堀切や郭の数で実際そんな想定通りの柔軟な運用ができるのか? そんな疑問も湧いてきます。
もうちょっと単純に大堀切でバサッと遮断した方が実用的であったようにも感じましたが。
近隣の城郭は既に紹介済ですが、どれも埴原城に匹敵する魅力的な山城です。
こんなお城マニアの聖地のような所があっていいのでしょうか?
という事で
近隣の小笠原氏系の城郭はこちら
埴原城 (2017年の旧記事)
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