八王子城 主郭北麓 8 本丸背後の搦め手口 編 の続きと参ります。
最終防衛線などと大仰なタイトルですが
「無名曲輪」と「高丸」の紹介です。
両郭共に八王子城主要部に隣接する小ピークに普請された郭で「無名曲輪」が主要部南西、「高丸」が北東に配されてます。
尾根道から主要部に迫る寄せ手から主要部を守る最後の郭となります。
この辺りの郭の配置は「津久井城」との共通性も感じますが、それはまた機会があれば。
一旦紹介エリアの地図を
今回は1~6の番号を振った「無名曲輪」を
次回「高丸」の紹介とします。
縄張り図的な図にも登場してもらいます
立地は「馬冷しの大堀切」の東隣。
「西方堡塁群」が失陥した後は本丸を守る最前線となる搦め手側防衛の要のような郭ですが、現在まで名前が伝わらず「無名曲輪」と仮称されるのみです。
では、そろそろ向かいましょう。
「無名曲輪」へは幾つかのルートがありますが、今回は本丸から。
1
スタートはここ
前回北側の「尾根1」からひょっこりした所から降ります。
ここ、足元に作業道が続いてます。
では再び
藪の中に潜航開始
このルートは冬枯れ時期限定でしょうね
踏み跡は残ってますが他の季節は分かりません。
本丸直下の「腰郭」への分岐が右手にありますが今回は尾根ルートなので直進です。
腰郭を過ぎると斜面を下り・・多分切岸面かと
遺構は藪で全く分かりません、むしろそれどころじゃない?
なんか少し開けたかな?
2
浅い堀切が1本尾根を断ち切ってます。 堀切が珍しく感じます。
堀切の先は
痩せ尾根の岩稜帯を下ります。
歩き難いものの、藪がないだけかなりまし。
大岩があったりと郭を普請するにはちょっと厳しい地形。
更に下ると
3
先ほどより規模の大きな堀切に到達。
「無名郭」東端部の堀切で、堀底で八王子城北麓を取り巻く上の水平道と直交します。
上の水平道の入口の様子。
ここを辿ると既出の「尾根1」ルートに繋がります。
3の堀切から西側(無名曲輪)方向を撮影。
奥の一段高い箇所は「無名曲輪」の主要部でしょう。
無名曲輪と呼称してますが単体の郭を指すのではなく、
尾根部の主要部分と、支尾根を含む段郭群と多数の郭の総称ですね、事実上「無名城」と呼んでも差支えない規模かと。
逆光写真で恐縮ですが「無名曲輪」の主郭部、元の小ピーク部を利用して築かれたと思しき小郭です。
主郭部も含めて「無名曲輪」の各段郭には土塁線がほぼありません。
切岸面には石積みが施されていたようで限定的ですが石積みの痕跡が確認できます。
切岸を下って、一段下の段郭から「無名曲輪」主郭部を撮影。
切岸面の高低差は2m程度、決して高くない・・むしろ低い。
往時は石積みによって切岸の法面は固められていたのでしょう。
「無名曲輪」の段郭群ですが
このような低い切岸を重ねる事で広い面積こそ確保されてますが、いわゆる要害性というものは余り感じません。
枡方虎口、横矢掛り、いろんな城郭パーツ ・・
見あたらないですねぇ、ここも。
が それこそが八王子城の特徴なんだろう と思い始めながら見回っています。
こちらは「馬冷しの大堀切」を無名曲輪から見下ろして撮影。
緩斜面の自然地形のまま大堀切まで地形は落ち込んでいます。
西側の支尾根を下ります。
ちょっとピンボケですが、極小規模の段郭が斜面に連続してます。
5
「無名曲輪」主郭部の北側直下に位置する郭から無名曲輪主郭部を見上げて撮影。
縄張り図では くちびるのような形をした所です。
無名曲輪でも最大の郭で、画像正面の切岸面高低差はご覧のように壮大、そして法面も丁寧に成形されています。
ここはかなりの土木量が投下されてますね。
少し引いたアングルで撮影。
北側斜面で日当たりは悪いですが、明らかなに駐屯地としての利用を踏まえた郭でしょう。
郭の際ですが、土塁や石積のような塁線は設けてはなかったようです。
郭に並走する 「立ち入り禁止」の水平道から撮影。
「水汲みの谷津」から直登して辿りついたのはこの辺り。
一旦戻って
3
「無名曲輪」東端の堀切まで戻りました。
堀底の水平道を南回りに進み本丸方向へ戻ります。
作業道だけあって道幅は狭いものの それなりには整備されてます。
道なりに進み
6
作業道(水平道)と一般登山道との合流地点に到着。
入口は作業道と書かれてるだけで特に規制されてません。
本丸側から一般登山道を歩くアングルで合流点を撮影。
一般の登山道(詰め城)方向は下って左折。 無名曲輪方向の作業道は右です。
最初に訪問した時(2010年頃?)は作業道の標識がなく
詰め城に行くつもりで右折してしまい「無名曲輪」に迷い込んでました。
「無名曲輪」への訪問ならこちらのルートがお勧め。
以上
ざっとした「無名曲輪」の紹介でしたが、 どうでしょうか?
捉え所がない・・特徴がない という印象を受けたかもしれません。
ブログ掲載としても分かり易い遺構がないので写真の選択に難儀しました。
蛇足として
遺構以外の大きな特徴を一つ挙げるなら
「無名曲輪」という名前。
八王子城の曲輪は「小宮曲輪」「松木曲輪」「金子曲輪」のように具体的な名前がそのまま定着している事が多いなかの 「無名曲輪」・・
違和感があります。
当時は何らかの呼び名があったのは間違いないので、伝承が途絶えるほど印象が薄かった曲輪であったと以下 ↓ ↓ で妄想してみました。
配置された守備部隊に名の知られた城将がいなかった。
または
無名曲輪では戦闘が発生せず参戦した人の印象に全く残らなかった。
次回は、主要部の北東側を守る「高丸」の紹介
八王子城 主郭北麓 10 最終防衛線 高丸 編 にて
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