有賀城
訪問 2017年 5月
駐車場 無(路駐スペース有)
案内板 有
今回は諏訪湖を望む山城の有賀城の紹介になります。
前回紹介した龍ヶ崎城から県道50号を東進し有賀峠を越え、道が諏訪盆地に至る直前に有賀城はあります。
有賀城主郭から諏訪湖を望む
おいおい紹介しますが、有賀城の縄張は脇を走る峠道を意識した造作がなされているように思えました。
場所は以下のURLを参照して下さい。
現地縄張り図を掲載します。 図は主郭にあります。
今回の訪城ルートを加筆・番号は画像紹介の符号です。
有賀城の構造概要として、主郭を基部として東北尾根と北方尾根の二股に地形が分かれており街道に面した北方尾根(郭2・3・4・5側)がより強固に普請されている印象。
特に北方尾根の図の右側(街道側)は横堀を連続郭と並走させる念の入れようです。
2~5郭は途中堀切などの遮断線はなく段々の平場が連続する造作でほぼ一つの郭として考えていいと思います。
只、2郭と主郭の間は地形の高低差がかなりある上に大堀切で堅固に遮断されており2~5郭と主郭の連携は難しかったのでないかという印象です。
主郭裏側も大堀切で背後の尾根筋とは遮断され「番号10」の小郭が控える構造ですが、後方の尾根が急勾配で高度を稼ぐ為後方に敵方が回り込むと甚だ防衛には不利になりそうな印象を受けました。
さてさて、色々書きましたが早速お邪魔します。
ネットなどで調べると有賀城へは麓の江音寺から訪城するのが一般的なルートのようです。
が、今回は龍ヶ崎城から県道50号を東進したのでお寺に着く前にこの有賀城の看板を発見し、ここから城へお邪魔する事にしました。
車は路肩のゼブラに停めました。
橋を渡ります。 この橋と路肩のゼブラが有賀城への目印になりますね。
ちょっと城らしい演出もあります。
門を潜るとなだらかな尾根の先端部になります。 恐らくは北方尾根の先端かと思われます。
図の北方尾根右側の谷筋を登ります。 この辺りの地形も緩やか。
谷の根本から北方尾根を斜めに登ります。 画像尾根上端は「番号10」の小郭辺りとその尾根筋。
更に進むと見えてきました。
正面が主郭、右側が背後を遮断する大堀切で看板にあるような竪堀と連結しています。
「番号2」付近 右手が主郭で周囲を土塁付きの横堀で防禦されています。
この切岸面の角度と高さは特筆すべき規模。
「番号3」付近。 主郭と2郭を隔てる堀切の様子。
梯子でも架けなければこの堀切は渡れないでしょうね。
「番号5」の辺りから北方尾根の郭群を撮影。
画像左手は郭下段にある横堀。
振り返ると主郭は遥か上に見えます。
「番号4」の辺りから2郭を撮影。
小規模な郭ながら内部は平坦に整地されています。
2~5郭は同じような郭が続きます。
これは5郭から4郭方向を撮影した所。 前述したように各郭間は堀切等の遮断線はありません。
「番号6」の辺りから5郭の更に尾根先端方向を撮影。
この先も小郭がひな壇状に尾根筋に築かれています、一体何段造っているのか・・
北方尾根郭群の図左側の様子を郭から撮影。
こちら側には横堀は巡らされていません。 斜面の勾配がキツイからか敵の攻撃が予想されない方向だからなのか・・
こちらは反対側、「番号7」付近から北方尾根横堀に降りて撮影。
北方尾根を戻り主郭を目指します。
「番号9」の大堀切の堀底から撮影。この圧倒的な迫力の堀切も見所ですね。
大堀切、当時は石積みで固められていたんですかね? それらしい石がちらほらと残っております。
堀底にもこのような石が散乱しておりますし。
主郭内部にお邪魔します。
大堀切側のみに高土塁が築かれています。 案内板はここに設置されています。
幾段かの石積みが残りますがこれは当時の物ですかね?
土塁の上にある秋葉大権現の碑。
引きのアングルでもう一枚。 土塁は周囲にも回されていますがやはり背後の土塁がひと際高く盛られています。
土塁に残る石積みの跡?
主郭からの眺めは諏訪の盆地が一望に納められます。これだけでも訪城する価値はあると思います。
最後に主郭背後の尾根を目指す事にします。
こちらは主郭高土塁から大堀切側を撮影した所。堀底が遥か下に見えます。
大堀切の対岸「番号10」の小郭の様子。 お不動様が祭られております。
ちょっとした堀切で後方尾根とは遮断されていますが、どうも守りが他よりも弱い気がします。
この方向からの攻撃はそれ程想定していなかったのでしょうか。
尾根を登れば何かあるかも?・・という予想の元に送電線まで急こう配の尾根を登りましたが結局何もなし・・諦めて戻る事にしました。
有賀城の評価は 4 とさせて下さい。
色々評価点はあるのですが、特筆すべきは主郭からの眺めでしょうか。
縄張りに関してもダイナミックな堀切と郭と並走する横堀等見所も多く、また山城ながら訪城が容易な立地も高評価かと。