山家城(やまべ城)
訪問 2016年 5月
駐車場 無(麓に駐車スペース有)
案内板 有(縄張り図は無)
掲載順と逆になりましたが時系列で言うとこちらの山家城を先に訪問してから北熊井城を訪問しております。
ちょっと前回触れましたがこの辺りは小笠原氏系の素朴な石積みで有名な山城が結構あります。
よりどりみどり・・ですがひとまず一番の奥の城から攻めてやろうと山家城を選んだ訳です。
山家城 主廓回りの石積み
山家城の現地案内板を紹介します
長野県史跡
小笠原氏城跡 山家城跡
略
指定内容
鎌倉時代末に地頭の山家氏が築城したと伝えられる。
山家氏は、元弘元年(1331)に徳雲寺を創建した神為頼(諏訪氏)の子孫が山家氏を称した。
文明12年(※1480)に小笠原氏にそむいた為、小笠原長朝に攻められ、翌年の戦いで山家氏は諏訪氏の支援を受けたがこの戦い後諏訪山家氏は滅びている。
その後、永正2年(※1505)頃小笠原氏の同流である折野薩摩守昌治(折野山家氏)がはりま(変換しないので平仮名)から来てこの城にいたと言われている。
天文19年(※1550)武田信玄の府中攻めの際に自落した。
この城は、遺構が大変に見事に残っており秋葉神社のある所が古く、主廓は東西約20m、南北約22mで周囲の土塁を取り巻く石垣は戦国時代末期の松本平の石垣技術の到達点を示している。
この部分は天正10年(※1582)以降に大きく改修されたと推察される。
以下略
場所は以下のURLを参照して下さい。
入口がちょと判りにくいので詳しく説明します。
良く知りませんがこの徳雲寺は結構有名なようでして大型の駐車場も完備されている位です。
上の地図でいうと緑四角が徳雲寺になります。
県道67号を東進し集落に入ると左手に徳雲寺へようこそ? というようなゲートがありますのでここを左折。
道なりに集落を進むと徳雲寺正面に至りますので、ここを右折。
右折するとすぐに道が二股に分かれますが、これは左手の方に進みます。
200m程道なりに進み、上画像の細い道を登ります。
細い道は獣除けのフェンス手前で行き止まりになりますが、奥に車2台分位の駐車スペースがあります。
結構な坂道に車を停める事になるので、周囲に転がっている丸太をタイヤに噛ませて車止めに使いました。
振り返るとこんな感じです。
フェンス奥に進みますと案内板がありいよいよ山家城へのアプローチになります。
ですが、フェンスに沿って右側に行く道と、上の画像の様に長大な竪堀に沿って登る山道の2通りがあります。
迷った挙句、行きは竪堀に沿って進み帰りは右手のフェンス沿いの道から戻る事にします。
車を停めた地点はPの所です。
現地に縄張り図が無い為、今回も「長野の山城ベスト50を歩く」掲載の縄張り図を拝借しております。
赤線が今回紹介するルートになります。
Pからの赤線ルートが途中から ……線? と赤のジグザグ線に分岐しているのは、5月時点では城への山道が倒木で完全に塞がっていた為です。
雪で倒れたんですかね、見事な天然逆茂木で正規の登山道はとても登れたもんじゃないです。
もう完全に道が途切れています・・ 今頃は復旧したと思いたいですが多分このままでしょうね。
折角長野まで来たのだから、道が途切れている位で諦めては勿体ない、と言う事にして適当な山肌を強引に登攀して尾根筋の廓群に到達した所で振り返って1枚撮影。
バカみたいに息が上がる全然お勧めできないルートですので真似しないで下さい。
更に同地点で振り返ると尾根沿いの廓群の一部の様でした。
と言いますか、この時点では城のどこに辿り着いたのかイマイチ判ってません。
主廓部には向かわずに縄張り図左手側をひとまず攻める事にします。
廓内部の尾根道は極めて曖昧な状態ですが、とにかく尾根沿いを進みます。
巨大堀切に遭遇、恐らくは堀切Bだと思います。
堀切はそのまま尾根両側まで続く竪堀になっています。
堀底に石積みが残っていたりと、見所もちゃんとあります。
更に進みます。
標高がぐんぐん下がります。 戻る時の面倒をそろそろ考慮し始めています。
D地点より足元を撮影。
ここから先は細い尾根道があるのみ。かなりの急勾配で標高を下げています。
こんな感じの道が暫く続きます。
足元には崩壊した石積みの痕跡があちこちに残されています。
尾根道が終わると白山神社の鳥居が見えて来ました。
幾段かの平坦地が造作されており廓の跡と思われます。
神社廓を通り抜けるとまたしても獣除けのフェンスがあり、尾根道はその先麓まで続いているようでした。
位置的には徳雲寺の裏手辺りに出るんでしょうかね、ここで踵を返したので先の様子は判りませんが、山道の状態はこのルートが最も良い様に思えます。
同地点より振り返って撮影。
尾根沿いの廓としてはかなり広い平坦地を持っています。
神社社殿の様子。
ここで来た道を戻り、最初の尾根沿い廓まで戻る事にします。
主廓(廓Ⅰ)方面に向かいますと、低い土塁があります。
土塁と書きましたが、当時は石積みだった様に思えます。大きさの整った石が大量に散乱しておりましたので。
またしても巨大堀切がお出迎え。 堀切Aと推定。
廓Ⅰの手前まで到達。
壁のような切岸が前に目の前に立ちはだかります。
崩落した石積み石が大量に転がっています。
ここも往時は石積みで固められていたんですかね?
苔むしていい感じ。
山家城2 に続きます。