ちょっと山城に (正規運用版)

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桐原城 (長野県 松本市)1

原城

 
訪問 2016年 11月
 
駐車場 無し(路上駐車可)
案内板 無し(解説文のみ)
 
 林(大小)城の次は向い側にある桐原城の紹介になります。ここも小笠原氏の築いた城郭遺構の一つで見事な石積み遺構や竪堀等が残っています。 
 個人的には周辺の城郭群の中ではここがピカ一の遺構じゃないかと思うんです、そんな訳で1回の記事では納まらず2回に渡っての紹介となります。
 
 前回の林城が8月でしたがここ桐原城は11月の訪問、季節は夏の盛りから紅葉の時期になっております。
 この季節を過ぎると長野の城郭は雪に閉ざされ、春先まで待つしかありませんので降雪地帯の訪城はタイミングが本当に限られています。
 
イメージ 1
  桐原城 主郭部 虎口
 
原城の歴史という事で主郭にある案内板を掲載します。
長野県史跡

小笠原氏城跡 桐原城

所在地   松本市大字入山辺
所有者   松本市ほか
指定年月日 昭和55年9月8日 追加指定

指定内容

 築城
 桐原城は入山辺桐原の海岸寺沢と追倉沢に挟まれた尾根の中腹にあり「信府統記」によれば寛正元年(1460)に築かれた桐原大内蔵真智の居城で、真実、真貞、真基の4代にわたって相伝されたという。

 桐原の地は、古代には後院領の桐原牧が置かれたところで、桐原氏は荘園と化した桐原庄を治めた在地の荘官が土着したものと考えられる。
 
 城の東側の海岸寺沢沿いには、松本平最古の木像彫刻である千手観音立像(長野県宝)を伝える旧海岸寺がある。
 
 桐原城に関しては、複数の絵図が残されている。
 松本市立博物館が所蔵する「桐原城古図」は、恐らく江戸時代の山論の資料として筆写されたものであろうが、麓に城主桐原氏の居館跡と思われる「御屋鋪」と記された桝形を備えた石囲いが描かれている。

 主郭の規模は、東西29m、南北27mで、周囲を鉢巻状の石積みで補強した土塁で防禦し、主郭背後は4重の堀切で固めている。

 正面に当たる東側の郭にも石積みが多用され、西側山麓には菩提寺とみられる蓮法寺跡があり、ここにも郭周辺と同時期のものと推定される高さ2mに及ぶ石積みがの残されている。

 桐原城は、天文19年(1550)7月15日、武田氏府中に攻め込んだ際、林大城と共に自落したと伝えられる。
 現在残る石積みを多用した城郭遺構は武田氏滅亡後に改修されたものと考えられる。
 
 桐原城跡は、長野県を代表する山城として昭和55年に、小笠原氏城跡(林大城、同小城、埴原城)に、山家城とともに追加指定されている。

  松本市教育委員会
 
場所は以下のURLから参照して下さい。
 
 

 
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 入口が判りにくいのでまたしても周辺図を載せます。
 
 
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訪問には松本市街地から県道67号を東に進み「ぶどうの郷 山辺」が右手に見えたら左折します。丁度坂を上る感じになっています。
 集落内を道なりに進み芝宮神社を突き当たって左折。 再び道なりに進むと沢沿いの農道にぶつかるのでこれを右折し道なりに進むと桐原城の大手口入口に至ります。
 
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 右手の獣除けのフェンスを開けると桐原城への登山道がありますがここ、車を停める道幅がないんですね。
 
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駐車スペースに困り50mほど後戻りした所に路肩が広い場所があって今回はそこに車を停めました。
 近くで農作業されていた方に訊きましたが「青いビニールハウスへの出入り口を塞がなければいいんじゃないのぉ・・」という答え。
 まぁ、ここは余りお勧めしてはいけない場所でしょうね。最低ビニールハウスへの出入りだけは塞がないような配慮が必要です。
 
 
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車を停めて、フェンス脇のポストにある桐原城の案内パンフレットを入手し早速城にお邪魔する事にします。

 
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取ってから気づいたポスト内に潜む虫達・・確認せずにパンフを取った事を少し後悔。
 
 
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パンフレットの表です。
 赤枠で囲った所に駐車場の案内が書かれておりました。
が、もう車は停めてしまったので次回は指定の場所に停めさせてもらいます。
 
 
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フェンスを越えたらすぐ右の山道を進みます。
 
 
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 山道入口の辺りから林大城を撮影。
唐突ですが桐原城、本当は霧原城じゃなかったのかと。
 と言うのは画像の右手松本市街地に薄っすら霧が残っているのが判ると思いますが、林大城辺りから桐原城に向かっている途中で朝霧が流れてきましてあっと言う間に視界が数十メートルまで落ちる濃霧に覆われました。
 それがぶどうの郷山辺の手前でかき消える様に、文字通り霧散して天候は快晴に。そして霧の一部が松本市街に残っている状態がこの画像です。
 
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さて、パンフレットの裏側は桐原城の縄張図になっておりました。
 
 
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今回の散策ルートを加筆しました。オレンジ色が今回紹介するルート。
赤線が後半2回目で紹介するルートになります。
番号を振ったのでそれに沿って紹介します。
 
 
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山道は等高線に沿って進み桐原城のある尾根筋を目指します。
 
 
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1.の辺りある複数の竪堀の末端部。
原城の特徴の一つは竪堀の多さですかね、とにかく竪堀&竪堀。 堀は竪に掘るもんだと言わんばかりの豊富さ。
 
 
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尾根道に到着、紅葉が見事。
 
 
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尾根道の途中にある石積み遺構らしき石列が残されていました。
 
 
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2.の辺り 2重堀切がお出迎え。
 
 
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尾根上から撮影した2重堀切。 
山道によって分かれています。堀切の規模はさほどでもありません。
 
 
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4、の辺り 竪堀に繋がる巨大堀切。 凄まじい規模で麓まで続いてまさに圧巻。
 
 
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 かつて堀切は石積みで固められていたのかも知れません。
 一部に石積み遺構が残ります、他にも崩落したと思しき石が散乱しています。
 
 
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5、 の手前ここにも巨大竪堀があります。 
 竪堀は余り写真写りが良くなくて、特に堀の深さが伝えにくいのですがここ桐原城の竪堀はそんな心配が無用な規模で掘られています。
 ちなみにこの辺りから黒点線の散策ルートを外れて藪を進んでみる事にします。
 
 
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5、 先程の堀切を渡り5の辺りにある小郭群を見上げて撮影。4段位はありますかねぇ・・各小郭は素朴な石積みで補強されています。
 何度も言ってますがこういう石積が好みです。 
 
 
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6、の辺り 2重の竪堀の手前まで来て撮影。
 ここの竪堀も規格外の大きさ。
 
 
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 2重なので竪堀を1本渡るとその先にもう1本竪堀があります。
画像は竪堀と竪堀の間にある間仕切り状の土塁の上から撮影。
 
 
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同地点から反対側の竪堀を無理な姿勢で撮影。
 急斜面なので結構足元が危ないです。
道も無いですし草の茂る季節ではここまでは来れないかも。
 縄張図ではこの先にも更に幾本かの竪堀によって桐原城は防禦されています。
 念の入れ様が尋常ではないと言いますか、余程この方面からの襲撃を警戒していたのでしょうかね。
 
 
 
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 間仕切り土塁を主郭方面に向かって進む事にします。
 
 
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7、付近にある「畝状竪堀群」と呼んでもいいと思われる小竪堀の連続。
 堆積物で大分風化していますので
 
 
イメージ 28
 又しても線付けしてみました。
 
桐原城2に続きます。
 

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