ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

水番城 (長野県 松本市)1

水番城

 
訪問2017年12月
 
駐車場 無し
案内板 有り
 
 ではではいつものお城紹介です。
 
 年末、久々に訪れた松本市での訪城の模様になります。
 松本市の市街地から東に向かうと室町時代信濃国守護であった小笠原氏が築城した山城群が残る一帯があります。
 
 山城好きには結構知られた存在ですが勿論世間一般には無名の存在。
 やっぱり松本市と言えば現存天守を擁する松本城が圧倒的な知名度を誇りますが・・根っからのアマノジャクな性格なので今回も松本城はパスして真っすぐ山に向かったわけです。
  
 
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 水番城 主郭背後の畝状竪堀群
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
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周辺の訪問済 城郭の分布です。 
 
 なんだかんだで結構攻略してますので、今回の水番城はこの一連の城郭群の中でも更にマイナーなお城です。
 
 ちなみに東端に築かれた山家城の綴りを集落の山辺とごっちゃになって山辺城と書いてます。
 まぁ 多分綴りはどっちでもいいんじゃないですかね。
 
 今回の水番城は、この異様な密集度で築かれた小笠原氏系城郭群の中でも主城であると言われる林(大)城と隣接した関係になります。
 
 
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林大城案内板脇から撮影した水番城全景。 
 まぁ本当に近い関係です、両城は。
水番城は林大城という本城をサポートする支城という位置づけだったんですかね。
 
 
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麓の集落には案内板が設置されています。
  場所がかなり判り難いので・・
 
 
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案内板の位置はこんな感じです。
 集落は道が狭いので車は停められませんよ。
今回、車は林城(大)の案内脇の路肩に停めさせてもらいました。
 
 
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案内図の拡大です。画像も拡大できます。
 林大城の水源防衛用の城郭と伝えられているようですね。
 
 で、あるなら城の名前が「水番城」じゃ、いかにもここに水源がありますと言っているようなもの。 
 本当に当時この名前で呼ばれていたんですかね?
 
 
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水番城の縄張図部分の拡大です。
 周辺の城郭に比べて幾分か規模は控えめでしょうか。
 
 
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今回のルートを加筆。
秋葉神社辺りまでは城っぽくはないですね。
 
 
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では、集落を抜けて山に向かいます。
 
 
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スタートはここ、獣除けのフェンス脇に水番城の標識があります。
 
 
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少し登ると鳥居があります。 秋葉神社のものですかね。
 ここまで城らしい遺構は特になし。
 
 
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鳥居の先もほぼ自然地形の尾根道。 
 
 
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尾根を登りきると秋葉神社に到着。
社殿と石積みが新しいですね、最近リフォームした模様。
 
 
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秋葉神社は2本の尾根が合流する地点にあります。尾根上も少し広くなってますが土塁や堀切等の遺構はないようですね。 
 ここから緩やかな尾根道を辿って水番城を目指します。
 
 
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 向かいの山に築かれた桐原城が間近に感じます。
 
 この狭隘な扇状地周囲に築かれた大規模な山城群は、信濃守護である小笠原氏によって整備拡張がなされた訳ですが、個人的にはこの防衛体制には疑問を感じてしまうのです。
 実際に武田氏の攻勢をしのぐ事に失敗してますし・・
 
 各城になけなしの兵力を分散配置したら敵が去るまでは城に引き籠るしかないんじゃないですかね。
 縄張りも消極的と言いますか、よほど心配性の人がプランニングしたとしか思えない程の堀切と郭の数。
 
 
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 そんな事を考えつつ尾根道を進みますと一番目の堀切に遭遇。
堀切後方は郭になっています。
 
 
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その上の郭の様子。
 尾根上を均しただけの簡素な造り。
 
 
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更に主郭に向かいます。 尾根上が少し広めに均されてます。
 
 
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堀切を前に備えて切岸面が見えてきました。
 この辺りから防禦が厳重になってきます。
 
 
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堀切の両サイドはそのまま竪堀になっています。
 
 
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石積みの名残? 整形されたような石が残ります。
 
 
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切岸面を越えるとその先は小郭。更に切岸面が続きます。
 
水番城2に続きます。