ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

宮原城 (長野県 松本市)

原城

 

訪問 2020年3月

 

駐車場 無し

案内板 有り

 

 

 引き続き長野お城紹介と参ります。

今回は、信濃国守護小笠原氏が築いた城砦群の一つ原城になります。

 

 原城を含む小笠原氏の城砦群とは、松本市街地東方から南面を流れる薄川(すすきがわ)が作り出した扇状地両岸に密集する山城群で、規模の大小はありますがいずれの城郭も壮大な竪堀石積み遺構等の見所が満載と、山城好き(変人)には垂涎のエリアとなります。

 

 拙ブログでも既に幾つかの城郭は紹介済ですが、その中でも原城は比較的小規模な山城で知名度は低めと言わざるを得ません。

 

原城 主郭背後の連続堀切

 

 

 しかし、

知名度は低くともそこは小笠原氏系の山城の一つ。

 しっかりパンチの効いた城郭遺構を楽しめます。

 

 まずは現地案内板をコピペして宮原城の歴史を紹介します。

 

 

原城

 

 宮原集落の上方より南方の小高い山頂にあり、主郭は三角形の縦16m、横10mの平地となっており、東方奥に高さ1mの土塁が認められ、主郭平坦に向かって急な段上左上手と後部左には石階の石が散乱している。

 

 前面に二段の大きな空堀を通し、その第一空堀と第二空堀の間に三弾の郭があり、第一郭はやや広い三角形の副郭を成している。

 また、他の一郭は、帯郭風となっている。

 それより尾根に沿って12段の小郭が下方に続いている。

 

 主郭後部は、5m程の急坂であり、真下に大きな空堀が通り、続いて第二空堀となる。

 やや間が空いて第四空堀が左右に切通し、その間に珍しい二条の重ね添いの小切堀の遺構が認められる。

 

 周到な防備施設が、小城要砦城の遺構をとどめ、山家城を前面に展望に優れ、監視連絡、山辺谷東部防禦を以て、林城築後に続いて小笠原氏によって構築されたものと推測される。

 

 入山辺地区歴史文化愛護会

 

 

 

場所はグーグル先生にお任せします。

 最近ですね、原城のピンが立ったのは・・・

 

 

 原城と他の訪城済城郭の位置関係です。

 地図の大きさの都合で埴原城だけ載ってませんが。。

 

 

さて、ウンチクはこの位にして早速訪城しましょう。

 

 

 入口はここ、案内板と標柱が目印になるでしょう。

 

 

 ちなみに、案内板の前に車1台くらいなら入りそうに見えますよね。

 ネットで検索してもここに車停めているケースが多いようですが・・ちょっと注意が必要です。

 

 

 判りますか?

 

 

 

 

正解は これ

 側溝のグレーチング(蓋)が外されているんですね。

 

 

 実は、この訪城の前に過去2回 入口までは行っおり、その時にはグレーチングはあったように記憶してます。

 

 いずれも入口から背丈を超える藪に阻まれて見学は断念したのですが、それは別の話として側溝に気付かず車で乗り入れると・・最悪は脱輪します。

 

 案内板の脇も私有地でしょうから承諾も無しに勝手に停められるのを嫌って外したのか・・

 真意は判りませんが、今回は路肩の広い所に車を停めて見学してます。

 

こちらは現地案内板掲載の原城縄張り図。

 

 扇状地に突き出した尾根筋を幾多の堀切で遮断した典型的な山城の縄張ですね、主郭背後の多重堀切も見逃せない気がします。

 

縄張り図に今回の訪城ルートを加筆した図。

 

 

 案内板から沢沿いを辿り原城を目指します。

 

 上でも触れましたが、この沢沿いで藪に阻まれ過去2回訪城を断念してるので、藪が刈り払われたこの状態は稀なのかもしれないですね。

 

 まぁここが駄目でも周りには魅力的な山城がひしめいているので特に問題ないでしょう。

 

恒例の獣除けフェンス扉からお邪魔します。

 開けたら必ず閉めましょう。

 

沢沿いを進むと現れる神社(縄張り図赤丸部分)

 

標識に従って沢沿いを更に進みます。

 

そして沢沿いに現れる石積み遺構群。

 かなり古い時代の遺構に思えます。

 

 石積みのない部分も郭の切岸遺構に見える人為的な地形の改変が残されています。

 切岸?の奥は段郭のような平坦地が続きます。

 

 現地の縄張図に記載されておらず、城郭とは無関係なのか? 判断がつきませんでした。

 

 平場の屋敷跡に違いない・・とも思えそうですが 北斜面の日当たりの悪い谷筋に屋敷を構えても快適とは思えず。

 

沢の水は豊富で、飲料水の確保には困らなそう。

 

 石積み遺構が途切れると右手に平坦地と奥に原城の築かれた尾根筋が見えて来ます。

 標識に従って尾根筋を目指すわけですが、ここから先のルートは踏み跡は消滅しているので適当に直登する事になります。

 

 

斜面に掘られた竪堀に沿って登る事にします。

竪堀を登り切ると「空堀」の標識、尾根沿いの原城郭群に到達です。

 

反対側にも延びる竪堀。

これも麓まで延びているのかな? 

 

では尾根沿いに登り主郭を目指します。

 小さな城なので主郭はすぐそこ。

 

主郭切岸面に僅かな踏み跡が復活してます。

 周囲には石積みの名残りが散乱します。

 

 

原城が現役の頃は周囲ぐるりと石積で固めていたのでしょう。

 

登り切って振り帰り撮影。

 崩落した石積み遺構と堀切のコラボですかね、関東の山城と違って冬枯れの時期は下草が無いので遺構が大変見やすい。

 

原城主郭に到着。
 主郭には一部土塁が回されいたようです。

 

 

主郭全景、狭いですよね。

 山城の主郭なんて狭いに決まっていると言われそうですが、周囲の山城群はもう少し広い気がしますね。

 

主郭背後の多重堀切。

 

堀切はそのまま麓まで延びる竪堀に連続します。

 画像でさえ立体的に写るのは極めて良い状態で残されている証拠のようなものです。

 

多重堀切側から主郭を撮影。

 画像右下には崩落した石積みが残ります。

 

 

おまけです。

 宮原城へ取りつく際に、踏み跡がないので直登したと書きましたが

帰り道でピンクリボンを発見。

 と いう事で一応ルートは残っているようです。

 

ほら  

よく見れば踏み跡もしっかり・・??

 残されてますし。

 

 

線を入れないと判らないですね。

 現地でもしゃがんで地面を舐めるように見渡さないと判りません・・

 

 

原城の紹介は以上です。

所要時間 1時間

 

 

原城の評価は 4 とさせて下さい。

 周囲の山城と比較すれば小規模な城郭遺構ですが、この一帯の城郭は、本当に「外れ」がない。

 

 原城も小粒な城址ですが、主郭背後の多重堀切などの見所が多く期待を裏切らない高評価です。

 

 ただ

側溝のグレーチングの件もあり、地元からは城の見学は歓迎されてないかもしれず

 訪問の際は その点を踏まえた行動が必要かもしれません。

 

 

最後に

 周辺の小笠原氏系の山城に興味のある方向けに過去記事のリンクを貼っておきます。

 

kurokuwa.hatenablog.com

 

kurokuwa.hatenablog.com

 

kurokuwa.hatenablog.com

 

kurokuwa.hatenablog.com

 

kurokuwa.hatenablog.com

原城はブログタイトルバック画像の城郭です。

 

kurokuwa.hatenablog.com

 

kurokuwa.hatenablog.com

霧降城は不慣れな方の訪問は推奨しません。