岩槻城
訪問 2024年8月・2025年6月
駐車場 有り(岩槻城址公園駐車場)
案内板 有り
更新遅れましたが、埼玉の平地のお城第三弾は「岩槻城」です。
中世城郭的には「岩付城」がしっくりくるでしょうが、城跡の一部が現「岩槻城址公園」として整備され、元岩槻市でもあるので今回は「岩槻」で通しますね。
上でも触れましたが、今は「さいたま市」の一部ですが、元はここ 岩槻市でした。
浦和と大宮が合併して誕生したのが「さいたま市」
と
与野と岩槻はセットで無かったことにされる傾向が強いので 一応触れておきます。
歴史的には浦和や大宮より岩槻の方が知名度高いですよね(個人の感想ですが)
当ブログとしては珍しく知名度の高い城郭の紹介なので、細かいお城の歴史はまぁ省略しても大丈夫でしょう・・と

元荒川から撮影した岩槻城遠景
元荒川から撮影すると、かつての水郷の平城の面影を辛うじて感じさせてくれます
が
実際の遺構の残存具合はかなり良くないと言えます。
70年代以降の宅地開発によって主郭部分は消滅。
岩槻城址公園として遺構が整備されたエリアは城南側の「新郭」を中心とした極一部に過ぎません。
ここで恒例のタイムスリップを一つ
国土地理院航空写真1961~69年
地図の中心は現在の城址公園駐車場に合わせてます。
水田挟んだ北側の段丘上の微高地上が岩槻城の主郭・2郭・3郭があった所ですね。
この頃は、宅地開発で消滅した縄張り(地形)が残ってますね。

こちらは現地の縄張り図。
ちょっと変わった形ですよね
これは、元の地形(高低差)の制約を受けたから。
縄張りの概要として
中枢部は
湖沼の上に幾つか残る台地地形を利用して普請されています。
外郭部は
北から東は、蛇行する元荒川を天然の外郭防衛線に見立てています
西から南は「大構」と呼ばれる総構えの防衛線によって城下町ごと防衛線に取り込んでいます。
大構のラインは、段丘崖面の高低差を利用して防禦力を高めています。
公園のある「新郭」「鍛冶郭」側は
唯一の台地続きで地形的な防衛効果は期待できません。
その代わり、大規模な「空堀」や「並列?角馬出」で極めて厳重な普請が施されています。
最も凝った縄張りが施された新郭付近が城址公園として保存されているのは将に僥倖というべきでしょう。

と 言う事で見学エリアを拡大。
南側の台地続きの面に 2つの角馬出しが角度と位置を変えて配置されてます。
「新郭」「鍛冶郭」と2つの「角馬出」によって造られる精緻な防衛プランが岩槻城の最大の見所ではないかと・・個人的には考えます。
岩槻城では角馬出しを楽しむのが正解?!

ではこれに見学ルートを追加。
今回は、現在位置から赤ルート部分を紹介します。
次回で緑ルートを紹介します。
ではまずは建物の紹介から
現在位置付近(新郭)には幾つかの移築物が展示されてます。

城のどこにあったかは不明。
木材が黒く塗られているから通称「黒門」とも呼ばれるそうです。
草ぼうぼうで少し気になったので

裏に回ると
結構痛んでますね。
全然メンテされない雰囲気。
直せる業者も職人も今は少ないので、早めに手を付けるか、覆屋を建てて保護した方が良さそう・・

こちらは岩槻城の裏門
どこの裏かは不明な薬医門。
こちらもそれなりに痛んでいる様子で折角寄贈されたのに勿体ない。
部材や金物類は特殊でどれも高額になっちゃうので、修繕のご検討はお早めに・・としか言いようがないですね(業者目線になってますが)
さて移築建物紹介はこのくらいにして
「新郭」から台地下の「鍛冶郭」に降ります。

新郭土塁の開口部(虎口)

虎口を「鍛冶郭」側から見上げて撮影。
しかし、元々こんなに幅広くガバッとした虎口だったのかな?
と疑問が湧きます。 車道用に改変されてませんか?
「鍛冶郭」ですが

中心に「菖蒲池」がドンとあります。
対岸が緩い斜面になっている所からも分かるように全体的に擂鉢状の地形で、日本庭園のような趣きがあり観光的な目玉になっています。

「鍛冶郭」から見上げた「新郭」
天然の段丘崖面の上に土塁を掻き揚げてかさ増した上、手前に空堀を普請して防禦力を更に強化してます。

菖蒲池ですが、折角なので橋を渡ります。

八ツ橋から振り帰って撮影。
先ほどの新郭と土塁+空堀ラインが見えます。

同じ位置から西側を撮影。
土塁線が切れてますね・・虎口?
気になったので

早速移動。
正面の土塁は高さが2m弱程度。 土塁の背後に

空堀があります。
ここには解説板もあり

「堀障子」が埋まっているそうです。 3mって結構堆積するものですね。

折角なので「堀障子」の中を歩きます。
ところで「堀障子」「障子堀」どっちが正解なんでしょうかね?

正面で90度右に折れて

更に左に90度折れます。
右手の行き止まりは「新郭」の角馬出し用の土橋の為

「鍛冶郭」南面の堀底を辿ります。
この辺りの堀底も「堀障子」が普請されていたのですかね

90度右に折れたら堀は行き止まりで、階段(公園整備用で遺構とは無関係)が続きます。

階段の上は「鍛冶郭」側の角馬出しに繋がる土橋でした。画像正面が「鍛冶郭」
土橋の幅はかなり狭く仕上げられてます。
こちらの角馬出しは新郭側より狭いので搦め手扱いだったのかも
一旦「鍛冶郭」をちらっと見て

周囲の土塁を確認して
また堀底に降ります。

正面に車?

外に出られそうです。

車道から振り帰って撮影。
車道で分断されてますが、反対側にも遺構?らしきものが続いていそうですね。(私有地で入れませんが)

車道を北上して「鍛冶郭」に戻ります。
歩道の脇のこれは・・土塁ですよねきっと。

再び 公園に入ります。
きりが良い?ので
岩槻城2 に続きます。
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