ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

波田山城 (長野県 松本市)

波田山城

 

訪問 2023年 11月

 

駐車場 無し(路肩駐車可)

案内板 有り

 

 

 早速ですが本年の通常運転に戻ります。

2023年、秋の山城シーズンに訪問した松本市の山城遺構を一つ紹介します。

 

 

波田山城 主郭直下の大堀切

 

 

場所はいつものグーグルお任せお任せ

上高地北アルプスへ行く方なら、おおよその立地は想像できるでしょう。

街道を扼するような立地ですね。

 

 

ただ、これでは登山道が全く分からないので

国土地理院先生にも登場してもらいます

位置は判ったが・・どこから登るんですかね?

と、なりますね。

 

 

波田山城は訪城ルートがイマイチ分かり難いので少し詳しく解説します

今回は北側の集落から林道を辿りました。

途中分岐は2か所、それぞれ1と2の番号を地図に振りました。

 

 この付近、波田山城」と谷筋を挟んで「若澤寺跡」の史跡もあって、実は「若澤寺跡」の方が著名なようで道中の案内も「若澤寺跡」だけ。

 そういえば、地元の方に城の行き方を尋ねても波田山城を知らないようでしたし・・マイナーな史跡ですよね中世城郭は。

 

 

 

それから訪問時の重要なお知らせ

ツキノワグマの出没が確認されているようです。

里山程度といえども熊対策は必須と言えるでしょう。

 

 

では熊鈴はOK? ですか。 

それでは早速参りましょう。

こちらば分岐の1

向かって右に進みます。

 

 

しばらくは林道を道なりに

未舗装の砂利道ですが良く整備されてます。

 

分岐の2 に到着

ここは左に進みます。

 

判らなかったら「若澤寺史跡」の案内を辿ればOKです。

 

 

そこからしばらく道なりです。

長いなぁ~行き過ぎたかも??   と思うかもしれませんが大丈夫です。

「若澤寺」の史跡の所のゲートで林道は封鎖されているので行き過ぎる事はありません。

左手に看板が見えてきたら波田山城」の入口です。

車はこの辺りの路肩に数台停められる余地があります。

ちなみに画像右奥が「若澤寺跡」の入口。

 

正直な所、ちょっと判り難い案内図です、スイマセン。

 

 

看板から先は徒歩移動で波田山城の小ピーク南側の谷筋を進みます。

 

谷筋を進んで撮影。画像左手が波田山城方向。

 

左手斜面を見上げると長大な竪堀が降りているのが確認できます。

 駆け上がって見たい衝動にかられますが・・

 

ちょっとご遠慮願いたい。

実は「止め山」です。このような看板と規制線が張られているんですね。

竪堀も途中にテープで立ち入り禁止に指定されてます。

 

斜面を登らずに谷筋を進み続けると階段と案内板が見えてきます。

ここは規制線が張られていないので部分的に開放されているような状態のようです。

 

現地案内板です

一部抜粋して掲載します。

 

 

波田山城跡(秋葉城)

 

 波田町波田光明寺峰にある山城跡は南北に細長い山頂の尾根を「堀切」にした深さ約5mの「竪堀」でそれぞれ郭に分割造営されている。

 中央の本城(主郭)が最も高く、次いで北城、南城と南北に横並びで連立している。

 各郭城の山腹には3段から4段の「帯郭」が取り囲み、「腰郭」、馬溜まりの平場も造られている。

 

 本城(主郭)は南北の長さ約44m・東西の幅約8~16mの長方形で、四方の縁は「土塁」が巡らされている。

南寄りに「井戸の跡」と呼ばれる窪みがあり、昔は水が湧きだしていたという。

 

本城の中央に秋葉神社の小祠が祀られたことから城の別名となった。

 本城に築かれた土塁の切れ口の一部が「虎口」と呼ばれる郭の出入り口で、直下には四角形の「馬出し」らしき平場が設けられている。

尚、北城南城には土塁は造られていない。

 

 山城「大手筋」北城から北尾根を下り、寺山水道沢から「御天城」(町浄水場)付近を経て上波田集落の内城(西光寺城跡)に出る道筋が大手道と見られる。

 

 「搦め手筋」は、城の南側の沢道に下り水沢川素地の若澤寺参道(大木戸)に出るのが搦め手である。

 

 

- 中略 -

 

 

 伝承によれば文化年間(1804~17)に近くの若澤寺造営の際、山城の石垣を取り壊して使用したとも言われ、石垣は戦国末の工法である。

 

 波田町誌」によれば寛正3年(1462)頃に守護小笠原氏の一門櫛木市正一俊波田郷地頭となり西光寺内城と、波田山城を築き、飛騨・木曾方面の境を固め、対岸の西牧氏(梓川村)に備え    - 後略 -

 

 戦国時代には小笠原長時旗本波田数馬が城主であった。

 武田氏に敗れた後は、甲州の深志城代日向大和守により天文21年(1552)に山城と内城は破却されている。

 

 

 

縄張り図の拡大版。

 

 

では早速内部にお邪魔します。

 

階段横の段郭は規制線が張って立ち入り禁止です。

あくまで階段の幅だけ解放されてます。

 

別名の「秋葉城跡」の石碑。

 

石碑背後は東側の支尾根です。

やや普請が甘い郭群がありますが・・あまり寄り道はできる雰囲気ではないのでパス。

「李下に冠を正さず」のことわざを実施中。

ここでルール違反して完全立ち入り禁止になったらさすがに責任を感じますのでね。

 

 

ルートは真っすぐ小ピークの主郭に向かうようです。

 

主郭北側の堀切です。

 

主郭を遠景で撮影。直下の段郭は立ち入り禁止です。

案内板から主郭までのルートのみが解放されているようです。

 

主郭内部の様子。 僅かに土塁の痕跡がありますね。

 

下段段郭を撮影。 降りたいけど我慢。

 

反対側の切岸面。

 

ココには虎口があるんですが・・写真だと分かりませんねぇ。

 

井戸もあります。

 

堀切を挟んだ南側の郭を撮影。

あちらは規制の先のようです。

 

主郭北側の堀切?? と記憶

 

先ほどの主郭虎口を下から見上げて撮影。

写真のセンスが悪くて伝わらない・・・

坂虎口が下って段郭部分を分断するような複雑な動線を造っていますが、これは現地で見てもらうしかないかも・・

 

主郭と南郭を隔てる大堀切

堀底は立ち入り禁止のようです

 

 

解放されたエリアは以上です。

 

 

波田山城の評価は 3 とさせて下さい。

 普段のお城訪問では、外周ぐるり見てから徐々に内部まで最後に主郭と見てから、帰りはその順序を逆に辿るのが個人的なルーチンになってます。

 そうすると、後で写真を見返しても撮影順に見れどんな藪写真でもどの遺構を撮影したのか記憶が蘇るのですが・・・今回は規制線を避けつつ訪問したためか全然記憶に自信がありません。

 

 見られる範囲が限定的な事もあって縄張りを堪能までは至らず不完全燃焼感がありますねぇ~ 

 これ以上は勝手にお邪魔している身分では贅沢な要求と言うものでしょう。地主さんにとっては一部のマニアの訪問など全く「利」がありませんし。

 

 評価の3は見られる範囲での評価点という事になります。

良い遺構とは思いますが上記の理由によってなぜか印象に残っていないのが正直な感想です。

 

 

次回は

kurokuwa.hatenablog.com

若澤寺に足を伸ばします。

 

 

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kurokuwa.hatenablog.com

 

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