ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

林大城 (長野県 松本市)1

林大城
 
訪問 2016年 8月
 
駐車場 無(路上駐車可)
案内板 無(解説板のみ)
 
 松本市の市街地から東に向かって進んだ山中に展開する小笠原氏の築いた山城群は規模もさることながら貴重な石積み遺構が多数残る事で知られており、以前より一度は訪問したい城郭遺構でした。
 
 手始めに2016年5月に山家城(既掲載済)を訪問し、その後秋頃までかけまして順次山城を攻略した次第。
 
 築城した小笠原氏は信濃国守護とは言え、戦国大名としては知名度も戦歴も微妙にインパクトに欠けるといいますか、信濃一国を掌握し戦国大名化する前に甲斐武田氏に蹂躙されたぱっとしない勢力というのが個人的な印象。
 
そうは言っても残された遺構はどれも大変素晴らしいものでして、今回の林大城の紹介からしばらくは小笠原氏の城郭遺構を掲載します。
 
本当は林城(大)というのが正解なのかもしれませんが、次に紹介予定の林(小)城とは分かれているのでここでは林大城と表記します。
 
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      林大城 堀切
 
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
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 訪問・掲載予定の城郭の位置関係です。
なんだか似た様な山並みが続くので参考までに。
 
 
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 話が脱線しますが、最近城郭の位置確認にはヤフーマップの「地形図」を良く使っていまして・・これ偉い事にちゃんと堀切や竪堀が地形に反映されているんです。
 上の画像は山家城ですが尾根を断ち切る堀切と、そのラインが竪堀となって山麓まで続いている様子が判ります。
 
 
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 さて、話を林大城に戻します。
 現地に縄張り図がない為、「長野の山城ベスト50を歩く」から拝借します。
谷を挟んで右側が林大城・左側が林小城です。
 
城の構造は中枢部の1~3が比較的広い面積があり、そこからA地点に向かってひな壇上に小郭が尾根沿いにひたすら・・もう階段と言ってもいい位に麓付近まで続いています。
 主郭背後は堀切数本で尾根筋を断ち切るような構造です。
 
 
城への入り口は2か所確認できまして、一つはAの尾根先端から尾根道をひたすら登るルート、もう一つは画像右端の矢印にある林道を辿り主郭手前まで一気に車で登ってしまうルートです。
 
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 Aのルートに置いてありました「歴史の里」散策マップ  
周辺の案内としてこれが結構判り易い大変便利でした。
Aルートは薄川沿い松並木が終わった付近に架かる金華橋の向かい、大木のある信号のない交叉点が目印です。
 
 
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とは言え、やっぱり楽をしたいので車で登れる所まで登るルートを辿る事にします。
 集落の公民館脇を右に折れます。
 
 
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山に入ると道はこのような有様。 
 普通車で通れる幅はありますが、夏場の訪問の為両脇に草が迫っております。
愛車が擦れるのは嫌だ、という方にはちょっときついかも。
 
 
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中間にある送電線鉄塔より先は砂利道です。
路面状況はそれほど悪くないですかね。
 ・・ちなみに私は麓の集落入口に車を停めて歩きました、歩きでも15分位で城跡にたどり着けますので無理しないのもいいと思います。
 
 
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 林道の終点がⅢ郭になっており、ここが駐車スペースになっております。
ここに林城の案内があります。
 
案内板の内容を掲載します。
長野県史跡
 小笠原氏城跡
 林城(大城・小城)
 埴原城
昭和45年10月22日指定

 山家城
 桐原城
昭和55年9月8日追加指定

 南北朝騒乱時の功績により信濃守となって府中(当時の松本の呼称)に入った小笠原氏は、戦国時代に武田晴信信濃に侵攻するまでの間、筑摩郡及び安曇・伊那地域を中心に勢力を張った。

 その間小笠原氏は、平地の城館である井川城と山城の林城を根拠地として、四週に順次山城群を配置して強固な防衛線を構えた。

 筑摩産地の西側に突き出した尾根に構築された林城と一括される大城と小城は、狭間に大嵩崎集落を挟んで連立し、林城の東に深く入り込む山辺の谷には、桐原城・山家城を配して小県佐久地域に備え、北方は伊深城・犬甘城・平瀬城などを配して固め、諏訪伊那地域に通ずる南方の要には埴原城を構える他、筑摩山地西面の各所に砦を築いて、一帯は大要塞群をなしていた。

 その後、各々の城は武田氏により修築が行われたものと思われるが、竪堀の構造・配置など、小笠原氏の山城に特徴的な基本構造は、今日までよくその姿を留めており、これらの城砦群は、小笠原氏の興亡を語る貴重な史跡である。

 長野県教育委員会
 では 早速主郭方面にお邪魔する事とします。
 
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 案内板脇の鄙びた石段を登るとⅡ郭になります。
 この辺りは尾根筋を幅広く削平化されており、各郭もかなりまとまった面積が確保されています。
 
 
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 主郭にあたるⅠ郭手前の様子。 土塁上に石積みが崩落した後とみられる石が散乱しております。
 
 
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 主郭周囲は土塁に囲まれています。 土塁線上も石積みの痕跡と思われる石が相当数転がっています。
 
 
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 主郭内部の様子です。 
主郭は土塁だったり石積だったりしますがぐるっと障壁で囲むのがこの辺りの城砦群の共通項ですが、ここ林大城は主城だけあって主郭の面積が非常に広くとられています。
 
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 石積み遺構が一部残る土塁線。
 
 
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 搦め手側の虎口付近には石積遺構がはっきりと残されています。
石は小粒で不揃いな印象。 石積だけなら山家城の方がもっと残っていますね。
 
 
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 主郭背後はかなりの急勾配で標高を下げています。
 
 
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 少し道を下った先にある、堀切。 土橋で中央は尾根道が残されています。
 この先も遺構が続きそうでしたが、この日は午後から雨予想の為時間を惜しんでここで引き返します。
 
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 一旦戻り、ここは主郭を周囲を固める腰郭。 画像左の切岸の上が主郭。
 ベンチがありますが・・草ぼうぼうの場所で一体誰が腰かけるのか・・
 
 
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 化粧水(池) の案内を見かけて降りてみる事にします。
手の描写が謎のハイクオリティー
 
 
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 姫の化粧水井戸の案内。 
姫には根拠ないとの事ですが・・井戸ではなく導水していたとすればかなり高度な技術力ですよね。
 
 
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 化粧水井戸自体はなんて事はないです。
穴をのぞき込みましたが、導水の痕跡は全く判りません。
 
林大城2 に続きます。