ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

棒道 (山梨県 北杜市) 戦国の軍用道路

棒道(上の棒道)

 

訪問 2022年 8月

 

駐車場 有り(甲斐小泉駅前)

案内板 有り 

 

 

「新府城」紹介編からやや強引に繋げてますが、武田信玄が軍用道路として整備したと伝わる「棒道」ぼうみち の紹介編です。

 

読み方は「ぼうみち」なんですね、「ぼうどう」かと思ってましたが。

 

棒道について現地の案内板の紹介を載せておきます。

 

 

棒道

 

「棒道」とは、戦国時代の甲斐の武将武田信玄(1521~1573)が、北信濃(長野県長野盆地)攻略にあたって、最短の道として開発した軍用道路と伝えられています。

 

 八ヶ岳の西麓をほぼまっすぐに通じていることから、「棒道」と呼ばれてます。

 「棒道」には上中下の3筋があり、小荒間地域を通るこの道は「上の棒道」にあたります。

 

 逸見路の穴山(現韮崎市から分かれて若神子新町(現北杜市須玉町)、渋沢北杜市長坂)小荒間を経て、信州の立沢(現長野県富士見町)を通り大門峠に出て、長野盆地への道と接続します。

 

 上の棒道が実際に侵攻に使われたかどうかは不明です。

 以下略

 

 

 

今回は地元北杜市観光協会発行の案内マップを元に散策してます。

信玄棒道ウォーキングマップ

 

 

スタートは 小海線甲斐小泉駅」前の無料駐車場から

グーグル先生なら駅より「小荒間古戦場跡」目指すといいでしょう。

 

この砂利駐に車を停めたら

 

西に向かいます。

 

かなり親切に案内板が出ているので迷うことはないでしょう。

 

こちらは

「小荒間口留番所跡」

 

その案内です

 

さらに集落内を進みます。

今の所は「棒」らしさはあまり感じません。 ただ古い集落の道にしては幅が広い道路ですね。

 その辺りだけは軍用道路らしいと言えば そうなのかも。

 

天守台のような石垣で思わず撮影

 

「棒道」大門嶺口 の案内です

 

 

 韮崎の穴山が始点なら「能見城」辺り、つまり新府城から軍用道路一本で信州方面に繋がっていたんですね。

 

 

30数基の観音様は標識の所にもあります。

 

道沿いに点在してるので、目印にもなりそう。

 

ここから砂利道になりますが、「棒」ではないですね それなりに曲がったり角があったりと、軍用道路時代そのまま ではないのでしょうね。

 

 

「棒道」は更に別荘地を抜けていきます。

 

追分を左へ

 

別荘地を抜けると山間部の登山道の雰囲気が出てきました。

 が、 これでは普通の登山道では?

 

ちょっと・・

2mほどの溝状地形が登山道と直交してます。  これは?

 古道のようにも見え、こっちがオリジナルの「棒道」の遺構にも思えるのですが どうなんですかね。

 

古道(仮)を抜けると砂防ダムと枯沢を渡り

 

観音様があり

 

更に進んで 観音文字塔を過ぎると

 

雰囲気がガラリ変わります。

線形に屈曲は消え道は真っすぐになり、幅も広がります。

 

ここからですね信玄「棒道」と呼ばれる部分は

 

足元には石畳の名残と思われる葺石の遺構もあります。

 

一直線に伸びるのも特徴ですが、道幅の広さも特筆すべき点でしょう。

この規格のバイパスを八ヶ岳山麓に整備していたなら信濃侵攻もさぞ捗ったでしょうね。

 

沢を渡る所まで進みましたが、この後「能見城」新府城にも立ち寄るのでここで引き返します。

 

腕を広げて簡易的に計った所、道幅は5~6間程度。

 

 

 

という事で「棒道」の紹介は以上です。

 

「棒」と呼ばれるので、最短距離を結んで行軍時間の短縮を図った軍用道路とイメージしてましたが・・・棒じゃない区間も数多くありまして

実際は「道幅」の広さこそが棒道の特筆すべき点でしょう。

 

例えば

上の画像の棒道の道幅10メートル弱で、これなら10列横隊での行軍も可能でしょう。

1人分の幅しかない杣道との輸送力の差は当然10倍。

 

3,000人の兵力として1人あたり2m間隔で歩く仮定なら

1列縦隊   約6キロの隊列

10人横隊  約600mの隊列

 

移動速度を時速4キロ仮定での通過所要時間は

1列縦隊で   1時間半

10人横隊で   10分弱

 

全然違いますね。 侵掠すること火の如く は、この事?

迅速な兵力の移動と展開を可能にする重要な要素の一つは道幅でしょう

という事で まとめのようなうんちくも締めたいと思います。