岩槻城2 の続きと参ります。
最終回は城址公園を離れ
市街地に埋もれた岩槻城の痕跡探しの回です。

岩槻城1と2のような明確な遺構は残されてないので
お城巡りとしては難易度(マニアック度)マシマシの回です・・

今回の散策ルートです。
最後に④の大構の残存遺構まで見学します。
では、本丸の確認から
本丸は足利銀行さんの付近ですね、地名の「本丸」が唯一の目印?
現在の航空写真では遺構はさっぱり分からないので少し時間を遡りましょう。
こちらは1961~69年頃

少し縄張りのシルエットが浮かんできました・・・
ちょっと郭の縁を強調します

適当ですがざっとこんな感じでしょうか、細かい所の間違いはご容赦を
水田(旧湿地帯=水堀)の中の浮島のような縄張りが想像できます。
これを踏まえて 現在位置(新郭) から再スタートです。

新郭と三ノ丸を隔てていた低湿地は宅地開発の為に緩斜面に均されています。

三ノ丸の石碑を撮影して
周囲は普通の市街地なので、石碑の写真を熱心に撮るのが少し恥ずかしい・・
場所はここ
消防署の脇ですね
そこから脇道に入り

意味ありげなクランクの先に

大手門らしさは皆無ですが、地形的には「土橋」になっているんですね、ここ。
その証拠に

フェンスの先との高低差はかなりあります・・

大手門からそのまま道なりに進みます。
今でこそ何の変哲もない路地ですが、岩槻城の正面ルートですよねきっと。

広小路 昔の武家屋敷 とあるので

「大手口」の石碑もありますね。

「広小路」の石碑を右折して

2岩槻城城下の「時の鐘」
折角なので見学します。
時の鐘と言えば某川越城の物が有名ですが、岩槻城のも残っていたとは・・それにしても誰もいないので静か。

鐘を拡大します。
こっちの時の鐘はゆっくり見学できて個人的には好みですね。
さて、岩槻城の痕跡探しに戻ります。

こちらは県道2号沿いの地形。
大手門の北側、三の丸を囲む水堀の痕跡。

道路整備でかなり均されてますが、このライン辺りの窪地が堀の跡。

こちらが足利銀行さん脇にある本丸の石碑と解説板。

更にゲオの先にも窪地が残ります。推定ですが本丸東端部かと。

こちらは街路樹の植え込み脇にひっそり残る二ノ丸石碑。
この辺りで岩槻城を想像妄想するのはさすがに難しいかも・・
4最後に外郭防衛ラインと言える「大構」が現存する唯一の遺構を見学して岩槻城の紹介を終わります。

擁壁に案内が出てるので分かり易いです。
・・・その前に、この擁壁で保護された地形そのものが「大構」の残存遺構です。

愛宕神社正面です。
鳥居の先の階段が大構、と言いますか大構の土塁の上に社殿を築いたのでここだけ破壊を逃れたのでしょう。

社務所の屋根から推定して3~4メートル程度の高さの土塁線であったのでしょうか

この規模感の土塁線でぐるっと外郭ラインを普請していたとは凄まじい土木工事です。
巷の話として
「日本の城郭は諸外国の城塞都市のように領民を守る構造をしてない」と言われる事がありますが、岩槻城の大構のような「総構」を持つ城郭の事はどう解釈したらいいのでしょう。

岩槻城の評価は 3 とさせて下さい
城址公園部分の残存遺構だけで評価3です。
主郭部分まで史跡整備が及んでいれば恐らく関東屈指の中世城郭遺構として世間から評価され、個人的な評価も5であったのではと・・実に勿体ないと考えざるを得ません。
こちらは白黒の航空写真から約20年後1984~86年頃の岩槻城主郭部です。
僅か20年ほどの時間経過に過ぎませんが宅地開発により遺構が破壊されているのが確認できます。
土の城の土木遺構に関心が持たれるようになったのはごく最近の話で、昭和のこの頃は一顧だにされてはいませんでしたし・・
現存遺構としては、新郭・鍛冶郭が見学のポイントとなるでしょう。
突き出た2連の角馬出しと、背後の新、鍛冶両郭が射線によって相互に補完し合う見事な縄張のプランは特に個人的には必見かと。
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