ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

埴原城 再び(長野県 松本市)1  小笠原氏系城塞群

埴原城 再び

 

訪問 2023年5月

 

駐車場 有り(麓の蓮華寺

案内板 有り

 

 

 

久々に長野県は松本市に残るお城の紹介です。

松本市の城と言えば一般的には現存天守を擁する松本城ですが・・

 

「お城なら、藪をかき分ける山城でしょ!」 

 

 そんな一部のおかしい人マニアが好んで足を運ぶ山城もまた数多く残る地域でもあります。

 特に市街地東方の山中にはかつて信濃守護を務めた小笠原氏が築いたと伝わる壮大な城砦群が残されてます。

 

 小笠原氏・・戦国史ではかなり地味な扱いですね。

 

 一般的には戦国大名化しきれずに隣国「武田氏」の膨張に抗しきれなかった弱小勢力という評価でしょうか。

 しかし築かれた城郭群は、どれも弱者の生存戦略の結晶のような魅力を持ちマニアを引きつけてやみません。

 

 

今回はその中でも最大級の規模を誇る埴原城」(ハイバラ)の紹介です。

埴原城 東主郭背後の大堀切

 

 

タイトルにあるように今回は埴原城の再訪回です。

初回はこちら  2017年なのでもう7年前になりますか・・

kurokuwa.hatenablog.com

 

 埴原城は小ピークに主郭を配し、そこから四方に枝別れした尾根沿いに郭や堀切が幾重にも幾重にも執拗に普請された縄張りが特徴。

 一度の訪問で全ての尾根筋を辿るのは効率も悪くかなり難しいでしょう。

よって、前回見られなかった尾根筋の訪問が今回の主目的です。

 

 

前回と今回、併せてやっと埴原城の紹介になるかなぁ・といった所です。

 

 

場所のご案内はグーグル先生にお任せして

 

麓の蓮華寺さんに 見学者用の駐車場とパンフレットが置かれてます。

sotozen-navi.com

曹洞宗ナビ って初めて知りましたが・・なかなか興味深い

 

 

以下に埴原城の歴史を掲載します。 ※前回載せた内容のコピーです

 

長野県史跡
小笠原氏城跡 埴原城


所在地       松本市大字中山
所有者       個人
指定年月日 昭和45年10月22日

 


指定内容


埴原城は、城に関する文献資料が残っていない為、詳細は定かではないが、元々は、埴原牧を背景として勢力のあった埴原氏が築城したと言われている。

 


 しかし、現在の埴原城の遺構は、厳重な防御施設の跡など、他の小笠原氏城跡との共通性がみられるため、武田氏滅亡後に木曽氏上杉氏との軍事的緊張下にあった小笠原貞慶(サダヨシ)が改修したものである可能性が高い。
 

 


 この案内板のある場所が主郭で、東部分と西部分で大きく2つに分けられている。
全体の規模は東西50m×南北13mであり、周辺には石積みを巡らし、背後には高い土塁を築いている。
 標高は約1000m地点にあり、麓との標高差は約200mにも及ぶ。

 


 また、麓の御屋敷梅屋敷と呼ばれる平地から主郭までの道すじは急峻で、途中には堀切、段郭、構等の防御施設が設置され、攻められた際、簡単には主郭に辿りつけない構造になっている。
 更に、主郭背後の尾根にも堀切が連続して設けられ、後方からの攻撃にも備えている。

 


主郭を取り巻く石積みは、平らな石を積み上げただけの構造であり、これは他の小笠原氏城跡で見られるものと同様である。
その技法から、機内から石積み技術が伝わる前のものと考えられる。


県史跡に指定されている小笠原氏城跡のなかでも埴原城は、全体として遺構の規模も大きく、状態もよく残っている為、注目すべき山城である。

 


 平成22年11月

長野県教育委員会
松本市教育委員会

 

 

前置きが長くなったのでそろそろ埴原城に向かいましょう。

出発はここ

麓の蓮華寺さんの埴原城見学者用の駐車場から

ポストには、埴原城のパンフレットがあるので要チェックです。

 

埴原城へは蓮華寺さんの左手に進みます。

 

蓮華寺さんですが・・城郭のような構造してませんか?
左手の切岸と正面の草地には空堀があったような・・・妄想中。

 

ここで

7年前に用いた現地パンフレット記載の縄張り図を引用します。

夥しい数の郭・・堀切の数も尋常ではないですね。

また、主郭が東西2つに分かれているのも特徴です。

 

これに

今回の訪問ルートを加筆しました。

左端マークの駐車場から番号順に辿り最後はで終わりです。

ちなみに、こんな変則的な廻り方を普通はしないかと・・

 

 

参照用として 前回の訪問ルートに再登場してもらいます

ほぼ見学路に従ってますが

主郭北側尾根だけルートが見つけられずに未調査に終わってます。

 

 

今回の肝は、訪れる人が少ないであろう

主郭の北側尾根の遺構群です。 

 

 

 

では、埴原城に向かいましょう。

1

尾根手前の緩斜面に残る段郭群を通過します。

 

名称(仮称?)も掲示されてます。

が、ここはまだまだ埴原城の素晴らしさの序の口

 

2

獣除けのゲートを超えてから尾根道になります。

 

 

3

尾根上を進みます。 

本来の見学路は尾根右手の谷筋ですが、尾根上には縄張り図から漏れた遺構があるのでここもチェックします。

 

尾根上の遺構は痕跡程度ですが、空堀?や簡易的な段郭が確認できます。

 

4

北西尾根方向を厳重に遮断する多重堀切。 

画像は尾根先端に向かって撮影。 

多重堀切より先の北西尾根は前回訪問済ですが、全体的に普請が甘く攻め寄せられたらこの防衛線まで後退する目論見かと。

 

 

同 尾根上から北の谷側を撮影。

谷、というより平坦地が広がってますね。

 

 

5

尾根を断ち切る大堀切と、その先に続く段郭群

ここから通常の見学路より外れます。

 

大堀切の堀底から南側を撮影。

見学路は左手の斜面を登って尾根筋を進みます・・が

 

北側の谷筋に降りて、北側尾根を目指します。

谷合いの緩斜面はひな壇状の平坦地にされてます。

埴原城の郭群にも見えますが、耕作放棄地の可能性もありそう。

 

6

尾根脇には竪堀が降りてます、 もとい正確には竪堀に見える溝状遺構ですね。

ひな壇が城郭遺構と無関係なら作業道の名残でしょう。

 

意味ありげな岩が一つだけ、 建物の束石にしては不自然なサイズ感。 

 

ひな壇から先ほどの尾根筋を見上げて撮影。

段郭・堀切・竪堀 の山城パーツ3点セット 

一度に収まるアングルは貴重でしょう。

 

 

補助線を加えてみました。

 

7

段郭の脇、谷底に降りました。 むやみに羽虫が多いと思えば

 

湧水がありました。

流れ出しは石で護岸工事が施されますね、城の水源としても利用されていたでしょう。

 

 

貯水施設の跡? 城郭とは無関係な後世の遺構かと、

 

北側尾根を見上げて撮影。

主尾根に繋がらるなだらかな支尾根、どこからでも這い上がれる要害性は乏しい地形。

 

8

斜面に残る石積み遺構がありました。

ひざ下程度の高さで段郭の土留めにも思えましたが

 

う~む 

これは城郭とは無関係でしょう。 一見すると段郭に見えますが耕作地か何かしらの建物があった平坦地でしょう。

このまま正面の斜面を登って北側尾根に取り付きます。

 

斜面に残るこぶ状の地形。 (写真右側)

竪堀の脇に残るので堡塁の機能でも果たしていたのか?

 

9

こぶを過ぎると斜面に穿たれた竪堀が明瞭になります。

これほどはっきり残る竪堀はかなり貴重ですね、しかも 長い。

 

 

 

埴原城 再び2 に続きます。

 

 

近隣の小笠原氏系山城はこちら

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