ちょっと山城に (正規運用版)

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伊奈氏屋敷跡 (埼玉県 伊奈町)1

伊奈氏屋敷跡(伊奈陣屋)

 

訪問 2024年11月

 

駐車場 有り(臨時駐車場)

案内板 有り

 

 

河越館の次も関東平野に残る城郭遺構で今回は「伊奈氏屋敷跡」です。

現地案内板に則り屋敷と表記しましたが、屋敷では建物遺構の紹介と誤解を招きそうなので伊奈陣屋、以降は略して「陣屋」と表記します。

 

 

陣屋跡、段丘崖面に残る「頭殿権現社」

 

 

先に「陣屋」と表記すると書きましたが、実際訪れた印象は

立派な城郭遺構

 

それも中世城郭の匂いが濃く残るもので、移転後の赤山陣屋とは違う実践的な縄張を楽しめます。

 

 

ではパンフレットの内容から抜粋して

 

 

伊奈氏屋敷跡について

 

 伊奈氏屋敷跡は、原市沼などの低湿地に囲まれた島状の台地全体に位置し、その規模は東西約350m、南北約750mである。

 昭和9年3月31日に、陣屋跡は重要な文化財「伊奈氏屋敷跡」として県の史跡に指定された。

 

 この場所は、中世以来の名刹無量寺閼伽井坊の屋敷があった。閼伽井坊は、後北条氏の家臣で岩付城主の太田氏支配下にあった。

 後北条氏が滅び、徳川家康が関東入国した後の天正19年(1591)伊奈忠次閼伽井坊明星院桶川市)に移して陣屋とした。

 

- 中略 -

 

 その後、伊奈氏江戸屋敷に移る事となり、万治3年(1660)には代官も江戸常駐となったが、蔵屋敷や御林管理など、知行地村々の支配のために一部の家臣屋敷が存続した。

 

 明治維新後、陣屋敷地は収公ののち払い下げられ、民有地となり、各所の門の取り払われた。

 現在、建物の遺構は検出されておらず、陣屋内の区分は明らかではないが、当時を偲ばせる堀や土塁が各所に良好な状態で保存されている。

 

 

 

補足として 現地案内板一部抜粋

 

 天正18年(1590)、関東郡代伊奈忠次は、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に陣屋を構え、その後の関東地方の幕府直轄地を支配する拠点としました。

 

 寛永6年(1629)に、三代忠治川口市赤山に拠点を移すまでの間、この地が地方支配の中心となっていました。

- 後略 -

 

 

関東郡代って何? という事なら

ja.wikipedia.org

 

 

場所はグーグル先生にお任せ

大宮近郊、ニューシャトル沿線ながら奇跡的に宅地開発から逃れたように田園風景が残ります。

 

ちなみに最寄りはニューシャトル丸山駅

駅から・・いや駅前ですね。

 

では、恒例になりつつあるいつものタイムスリップ

国土地理院先生の1961~69年の航空写真です。

 

陣屋全体が紡錘形の微高地に占地して、北東方(搦め手口)に唯一他の微高地と地続きになり、他周囲は低湿地(画像では水田)に囲まれた天然の要害地形です。

 

 

うんちくが長くなりましたのでそろそろ移動しましょう。

 

 

所で、ニューシャトルで訪問の人は別として、車でお越しの方はどうしたら良いのでしょう?

と、言う事で訪問者向けの臨時駐車場からスタートです。

入口はこの砂利道、ちなみに臨時の為か駐車場の案内は一切ありません。

 

臨時駐車場は広々した空き地です。

他に誰も停めてないので間違ってやしないかと不安になります。

 

位置は表門の辺りに置いてあるパンフレットに載っています。

 

 

パンフでは臨時が強調されていたので、ここでも臨時を繰り返し書いてますが

できれば車で来ないでね。 という事でしょう。

 極力駐車場を目立たせないようにしてますね、臨時と謳っているのも恒常的な駐車場とは言えない事情があるのでしょう。

 

 

そんな事情に忖度して、臨時駐車場の位置は割愛しまして

こちらが現地の縄張り図(現況図)

北が下になってます。  

 

こちらに紹介ルートを加筆。
左上のから順に廻ります。

 

 

1

藪に隠れてますが右手の水堀に沿って進んでいます。

水堀の先は「表門跡」の文字付近、ここは地形的に一段高く出桝形のような地形です。

 

2

露出が破綻してますが、道路沿いに残る水堀

判りにいいので

 

アップで撮影、ちゃんと今でも水を湛えてます。

 

ぐるっと回り込んで

3

表門跡。 道路はかつての表門の動線をなぞっていると考えていいでしょう。

道路右手の高台が先ほどから回っている水堀に囲まれた?の跡。

ここにも伊奈氏屋敷跡の案内板があります。

 

 

 

航空写真も掲示してあったので載せておきます。

現在位置から「二の丸」に移動します・・

しかし変な所に2の丸ありませんか? いやそもそも陣屋内側の縄張りが良く判りません。

 

正面左手、草原奥の切岸が「2の丸」ですが、一旦南側散策路に迂回します。

 

 

4

南側散策路から撮影した「2の丸」

手前の空き地も2の丸に含まれるのかは不明です。

 

散策路は空堀の堀底を辿ります。 堀自体は痕跡程度の窪み。

 

5

この辺りはそのまま中世城郭の堀底道ですね。当時の遺構がよく残されてます。

 

同じく堀底道。 ちゃんと中世城郭してます。

 

現在位置 

2の丸正面に到着。 人の背丈程度の土塁の前に掲示板があります。

 

2の丸内部の様子。 史跡整備前は畑作地?

 

現在位置の土塁から6土塁空堀を撮影。

私有地で空堀は詳しくは見られないですが、その規模感は相当なもの。

 

補助線を引いてみました。

6の土塁と空堀は、伊奈氏屋敷では最も見ごたえと見やすさを備えた遺構かも。

 

6 

道路から撮影した土塁線。

伊奈氏屋敷の遺構の特徴と言えるのですが・・このようなかなりの規模を有する土塁・空堀は残っていますが、全体の縄張りの中での役割が良く判りません。

 

 

7

集落を通り抜けて東側に移動します。 

 集落の先が下り坂になっており、伊奈氏屋敷が微高地の上に築かれているのが判ります。 

 

 

8

蔵屋敷東側の散策路を進みます。

 

この東側散策路は、伊奈氏屋敷のある微高地の東側ラインに沿っています。

 

散策路をしばらく進み

9

竹藪に隠れてますが、空堀土塁のライン、良い遺構です。 

撮影地点は90度ラインが折れる所

 

散策路は堀底道になって

堀底道の分岐を左に

 

堀底道を進むと土塁が・・ここの竹藪エリアの遺構は必見ですね。

 

 

 

きりがいいので

伊奈氏屋敷跡2 に続きます。

 

 

全体の記事検索はこちら

kurokuwa.hatenablog.com

 

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