ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

飛山城 (栃木県 宇都宮市)①

今回は初の栃木県の城跡です。 私用の帰りに寄り道して参りました。                        
 
ここ飛山城は宇都宮市郊外に流れる鬼怒川の段丘沿いの台地に築かれています。 
                   
 規模は南北に凡そ400メートル、 東西に200メートルの方形で、 城の北と西側は比高25メートル程の河岸段丘に守られ、 台地と地続きになる東と南側は、 1町ごとに張り出し部を設けた土塁と空堀によって遮断されています。                                                               
 
現在城跡は飛山城史跡公園として大変良好な整備が行われており一部の土塁や空堀は復元工事によって往時の姿が蘇っています。                                                          
 
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飛山城 6号堀南側 
 
 飛山城は下野国守護大名宇都宮氏の歴代の重臣、芳賀氏の芳賀高俊によって鎌倉時代後期に築城されたとあります。
 1590年に秀吉が、北関東の不要な城の破却を命じた際に飛山城も廃城され、 また主家の宇都宮氏が
1597年に改易された為、 芳賀氏も同時に没落したとされます。
 
 

 
国道408号沿いに案内標識が出てます。
 駐車場も確保されており最寄り駅からも離れているのでクルマでの訪城をお勧めします。
 
 
 
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縄張り図です。 左上から左側に鬼怒川が流れてます。 右上の歴史体験館脇の駐車場から木橋を渡ります。
 
 
 
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 訪城は4月の末でしたが既に鯉のぼりが上げられていました。 この辺りは復元された土塁と空堀です。
当日は、春なのに雪のチラつく寒い日でして・・・小生以外誰もいませんでした。
 鯉は水気を吸ってだらりと垂れ下がって元気がありません。
 
 
 
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木橋を右手から見た所。 橋の奥手に土塁の張り出し部があります。
 
 
 
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 木橋から右手(北側)を見た所。 箱堀の堀底がきれいに真っ平ら!・・復元の際に重機で馴らしたんでしょうか・・やり過ぎ感も若干ありでした。 
 奥に見える張り出し部の土塁だけは 「土塁登り体験」 の為傾斜が緩くされてます。 せっかくなので試されてみてはいかがでしょうか?
 
 
 
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 北端から土塁を迂回して内郭に入ります。 縄張り図の赤丸現在位置の辺りから南側を撮影。
土塁が遥か彼方まで続いてます。 よくぞここまで復元したものです。 
 飛山城・・とにかく広いです。 そして城内は高低差ゼロです。
 
 
 
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 最初の木橋で6号堀を渡ると角馬出しに当ります。 更に馬出しの奥には5号堀があり、堀を土橋で渡ると
その先は木戸によって遮断されます。 その奥は郭Ⅵです。 非常に厳重な構えです。
 
 
 
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木橋左手の土塁張り出し部より。 木橋まで目測で十数メートルでしょうか側面射撃が出来そうです。
 
 
 
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 同、張り出し部より南側を撮影。 こちら側は復元がなされていません。 半ば堀は埋まってますが延々と続いてます。 当時も6号堀は箱堀だったのでしょうか
 
 
 
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こちらは5号堀南側です。
 
 
 
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 その説明です。 少なくとも3回は堀の掘り直しが行われたそうです。 堀幅を広げて戦術や火力の進化に対応してるようですね。
 
 
 
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 上の画像の縄張り図、赤丸現在位置より北側虎口を撮影。 土橋が堀底を渡ってます。
先ほどの木橋の虎口と違い防禦があっさりしてます、何故なんでしょうか?
 
 
 
 
 
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 6号堀、南側堀底より東側を撮影。 右手は城外で正面に土塁の張り出し部が見えます。
張り出し後方は全く見えませんね。
 
 
 
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 同地点から6号掘の西側を撮影。 見事にV字な薬研堀です。
堀底道のようなので西側に進みます。
 
 
 
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 掘底道を進むと道が段丘側面に沿って北に降りて行きます。 丁度鬼怒川河川敷方面です。
右手断崖の上は郭Ⅵです。 どうやら搦め手口のようです。
 
 
に続きます。