再び登場の現地案内図を元に紹介します。
その前に、この史跡エリア外に掲示されていた1600年頃の推定小田城の想像図を掲載します。
これによると、現在残されている範囲よりもずっと広い範囲に展開していたのが判ります。
一体どれだけ用心深いのか・・北側の山中まで城域が広がっていますね。
№ 11 の馬出しへの虎口部分の復元部。
当時もこんな木橋が架かっていたんですかね。
この辺りから復元整備エリアに入ります。
馬出し内部の様子。 これがまた広いんです。
№ 14
馬出し郭から主郭へ向かいます。 これは水堀の跡。
画像正面の土塁張り出し部は涼台と呼ばれる主郭角の火点跡。
№ 14 主郭復元虎口から内部を撮影。
土塁が一直線に伸びているのが判ります。
木橋付近の土塁の折れが横矢を意識してますね。
小田城主郭部詳細図を掲載します。
主郭部はほぼ正方形なんですね、1辺がざっと100メートルちょっとと言った所でしょうから1町四方位ですかね。
元は方形居館のようなもので、それが戦乱に巻き込まれる度に郭や堀の増設を繰り返して最終的には巨大平城になっていた、そんな所でしょうか。
古い航空写真も掲示したありましたので載せておきます。
今よりもはっきりと遺構が判りますね。
土塁線上から再度撮影。 土塁の法面が綺麗に処理されているので何だか堤防のようにも見えてしまいます。 主郭内部には建物跡を示す色分けがされています。
建物跡の展示です。 柱跡が更に色分けされています。 因みに基礎部が礎石造りと掘っ建て造りの両方が確認されているようです。
№ 5 部分 前回ちょっと掲載しましたが廃線跡が主郭を貫通していた部分です。
ここは今でもトンネル状になっておりまして、トンネル脇の扉はトイレです。
トイレが土塁に埋め込まれているという真に稀有な仕様。
トンネル壁面に描かれている土塁断面図。
土塁の形成具合や風化具合が大変判り易く解説されています。
土塁面の解説文です。
戦乱が激化するに従って、堀と土塁も順次強化されていったようです。
№ 16
主郭内には庭園の池も再現されています・・が、何故かコンクリート造り。
№ 17
水堀越しに撮影した主郭南東角にある涼台を主郭側から撮影。
ここは復元整備から漏れており風化した姿を留めております。
郭Ⅺ 付近をサイクリングロード上から撮影しました・・・が道路両脇は猛烈な藪で遺構が全く判りません。 何となくこの辺りが土地が低いから堀の跡かなぁ??
という程度ですね。
№ 18
郭Ⅹ にあるお団子状の土塁を遠距離から撮影。
藪の海の中にあって小島のような土の盛り上がりで、明らかに人工的な地形。
物見台の跡と思えましたが詳細は不明です。
№ 20
東郭(馬出し郭でいいと思いますが)を水堀越しに撮影。
堀底に水が張ってあるこの姿が当時の小田城の雰囲気に近いのではないでしょうか。
№ 21
主郭北東側角の張り出し部。 この付近は水堀・土塁を含めて綺麗に復元整備が完了しいます。
ここも堀底に水を入れたらまた違った雰囲気になるでしょうに。
市街地に残存する土塁。 結構はっきりと残っているもんです。
これは№21の水堀の向いにある幼稚園の脇の水堀跡に立つと対岸に見えます。
どうも私有地の様でフラフラっと見れるもんじゃなさそうです。
№ 23
先ほどの22で触れた水堀跡を23地点から撮影。 撮影方向は北側です。
水堀の形で水田が残っており堀の確認は容易です。
№23 地点を引いて撮影。
画像道路奥 水堀を挟んで対岸が東郭になります。
№ 24
道路左側が縄張り図では水堀に当たるのですが、現況は完全に宅地化されており堀の痕跡は判りませんでした。
小田城の評価は 4 とさせて下さい。
とにかく広大です、それも現存する範囲だけに限定しても一巡するだけでかなりの時間が必要になります。
遺構の整備はまだ途上と言った所ですが、資料館や駐車場も充実しており訪城は容易です。
個人的には、主郭の方形居館を中心として増築を繰り返したような複雑な縄張りがお気に入りですね。
小田城、増設の結果城域が広がり過ぎて逆に防禦が難しくなったように思えてなりません。