ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

麻場城 (群馬県 甘楽町)

麻場城
 
訪問 2018年 1月
 
駐車場 有り
案内板 有り
 
 一度中断しましたが群馬のお城紹介に戻ります。
 
今回の麻場城はダイナミックな空堀が特徴的な城郭遺構になります。
 平地にあるので訪問も容易、 とにかく空堀が見たければここはお勧めです。
 
イメージ 1
 麻場城 主郭空堀
 
 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 

 
 
イメージ 2
現地縄張り図になります。
 駐車場は、図の右上側に用意されてます。
 
城の解説は当地 甘楽町のHPからの抜粋で済ませます。
 ちなみに 甘楽の読みは「かんら」です。 う~ん難読地名ですね。
 
麻場城址


指定  平成元年8月24日 町指定史跡
所在地 甘楽町大字白倉918他
見学  常時可


 麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城である。
 
 当城は、この地の豪族白倉氏の居城であり、約500m東方にある仁井屋城(※未訪城)と合わせて白倉城と呼ばれ、別城一郭(双子城とも言って、二つの城が一人の城主のもとに相助けて戦う構造)の形態と言われている。

 城址公園整備に伴い、平成元~3年に調査が実施され、本丸(城の中心となる郭で、東西の南側約60m、同北側約42m、南北約54mの台形状)内には、土塁(土を盛り、たたいて固める)が回っていたと推考でき、
 
 周囲には空堀(上幅約15m、下幅約3.5m、深さ約6mの逆台形)が巡り、東側の堀と北側の堀のほぼ中央付近には橋を架けたと思われる穴がみつかっている。

 虎口(出入口)は、本丸の南側中央にあり、幅約2m弱の土橋構造で、二ノ丸(本丸を保護する郭)へと続いている。

 白倉氏は、小幡氏と並んで関東管領上杉氏の重鎮であったが、天正18年(1590)国峯城と同時に落城し、小幡氏とともに滅んだ。

平成4年4月、麻場城址公園となった。
本来なら国峯城とセットでの訪城がいいんでしょうね。
 
 
イメージ 3
現地復元想像図。
 
 想像図を見る限り、典型的な舌状台地を利用して築かれた城郭ですね。
段丘が多い関東平野では極一般的な立地と言えるでしょう。
 
 現在は二ノ丸の半ばまでが整備保存されてますが、当時の城域は舌状台地をいっぱい取り込んで遥かに広大であった事が判ります。
 
 また、自然の崖地形に頼りきるのではなく、主腰部には巨大な横堀を巡らせているのもこの麻場城の特徴でしょうか。
 
 とにかく投下した土木量が尋常ではないです。
 
 
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駐車場が判らずに2郭脇に車を停めたので、2郭からのスタートです。
 ここには復元土塁とちょっとした公園施設があります。
 
 
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2郭土塁から撮影した本郭。
どうですか、この迫力ある空堀
 
 
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土橋を渡って本丸にお邪魔します。
 
 現在本丸内部は丸見えですが往時は堀際に土塁が巡らせてあり、内部の様子は外部からは窺えなかった筈です。
 
 
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本郭東側の空堀
自然の切岸(崖地形)に加えて巨大な空堀を巡らてあります。
 
 
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 本郭北側の空堀には復元木橋が架けられ対岸の小郭への連絡路となっています。
 
 
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 更に堀切を挟んで先端に小郭が配置されてます。
 
 
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ここが麻場城の北端ですかね。
 崖地形が天然の切岸となって、北側からの侵入を阻んでいます。
 
 
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こちらは本郭の西側から撮影した画像。
 
 北面よりもややなだらかな地形ですね。 横堀を巡らせたのも地形に頼れない事情からでしょうかね。
 
 
イメージ 12
ここから本郭空堀に入れそうです。
 開口部はちゃんと本郭の角からの射線になっている所がポイント。
 
 
イメージ 13
堀底から見上げて撮影。 
 こんな深い空堀でも堀底は堆積物で埋まり往時よりも浅くなっているのでしょうね。
 
 
イメージ 14
最後に、本郭東側の駐車場から見上げて撮影。
 どーん と土の壁が立ちはだかる感じですかね、圧迫感さえ感じます。
 
 

麻場城の評価は 3 とさせて下さい。
 
 ほぼ本郭のみの残存遺構といった所ですが、良好に整備されており見学も容易。 ありがたい事です。
 
 空堀はダイナミックで迫力はありますが、縄張は比較的単純な部類に思えます。
 戦闘本位というよりも日常の利便性をも考慮した造作と感じましたが如何でしょうか。