多気城1 の続きです。
前回、多気城の歴史について全く触れていなかったので、遅ればせながら駐車場に掲示されていた内容を記述します。
多気城跡’(タゲジョウ)
この城は、中世のころに、宇都宮城の支城として築かれたようである。
その後、戦国時代の終わりころ、宇都宮氏は小田原の北条氏の進出に備え、堅固で規模の大きな山城に整備し、軍事的な本拠地にしたと言われている。
現在、この城跡には、御殿平と呼ばれる多気山の山頂を中心に、多くの堀・土塁や曲輪と呼ぶ平坦な区画の跡が、山全体に見られている。
さらに山の裾には、全長およそ2kmにもおよぶ大きな堀も残っているので、全国屈指の規模を誇る山城といえる。
全国屈指の規模を誇るのは間違いないでしょう。
宇都宮氏は 関東八屋形の一家であり、当時の坂東では名門扱いです。
しかし三英傑の天下統一事業や、真田氏などのメジャーな武将と絡みがない為、多気城の知名度と共に高いとは言えません。
再び登場してもいました 現地縄張り図
さて、主郭背後を見てから、北・南の支尾根に展開する郭群を見ていきます。
まずは主郭背後を散策します。
土塁とその虎口
主郭背後は遺構が明瞭に残ります。
背後の多気山山頂を目指します。
画像右側は
北尾根の郭群と主郭を分ける巨大な空堀
映り込んだ影が、何故か足軽っぽくなってませんか?
主郭西端部が山頂のようです。
西側の眺望もまたよろしいです。
日帰りハイキングには最適ですね。
さて、空堀を降りて北側の尾根郭群へ足を伸ばす事にします。
降りたところで振り返り撮影。
尾根筋を断ち切っているのでこの辺りは実に豪快。
肝心の北尾根部の郭ですが、実はこんな感じで藪に埋もれてあまり見えません。
気を取り直して、今度は主郭南側の郭群に行きます。
目印はこの目立たない虎口。ここを降ります。
祠のある小郭があり
作業道は更に先まで続きます。
この写真は低土塁を写したつもりですが、結果はただの藪写真コレクション。
登山ルートから外れると、こんな有様で遺構の確認は困難です。
広大な城域を持つ多気城ですが、遺構を容易に確認できる範囲は極わずかしかありません。
この辺りが、城跡ではなく日帰り登山者を主軸として整備がなされている実情でしょうか。
ここで一旦麓まで戻ります。
主郭を下から撮影。
この先、ほぼ多気城の遺構から外れたルートを辿ります。
折角なので参拝します。
所要時間 1時間半
多気城の評価は・・・
まだ致しません。
巨大山城を訪問したのに、これで帰宅するのはちょっともったいない。
多気城の特徴でもある、山麓にぐるりと巡らせてある外郭部を見たくなるのはマニアとしては当然でしょう。
それではここ
登り始めに横断した林道から再スタートします。
「関東の名城を歩く北関東編」には林道東多気線とあります。
この林道は多気不動尊から多気山の山麓を南に向かって半周して麓の集落まで続きます。
この林道が途中、多気城の外郭部横堀と交差するのでそこを目指します。
注意深く林道両側を観察しながら進むと、やがて右側に空堀を見えてきます。
撮影地点は路肩も広くここに車を停められます。
位置は具体的に言えない(覚えてない)のですが、集落に出る数百メートル手前でしょうか。
結構林道を進んだ所にあります。
林道と空堀が直角に交差してます。
ここ、左側(麓側)にも横堀はあります。
が、ゴミの不法投棄等でちょっと酷い状況なので今回は掲載しません。
ではお邪魔します。
空堀は林道から十数メートルで直角に左に折れます。
折れた先は空堀と、右側(山頂側)の土塁線が延々と続きます。
現状で堀底から土塁上まで2m強ですかね。
下草が少ないので遺構が見やすい。
空堀をよじ登って土塁線を撮影。
土塁の高さは1m弱、元々低土塁だっだのでしょう。
見上げると、小郭が山肌に沿って幾段か設けられているのが確認できます。
当時は石積みでもされていのか?
整形されたらしき石が散在してました。
多気城の評価は 4 とさせて下さい
多気城として、整備がなされれば評価は5になるかと。
本文でも述べましたが、現状の多気山は城跡としての整備がなされているとは言い難く、日帰り登山者の為の整備になります。
多気城としての案内は山頂(主郭)にある東屋に掲げられた縄張り図と石碑のみ。
藪に埋もれた郭群が整備されたら壮大な山城の遺構が姿を現すでしょう。
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