北熊井城
訪問 2016年 5月
駐車場 無し(付近駐車余地あり)
案内板 有
ゴールデンウィークの最終に長野方面へ遠征に行って参りました。
まぁ、この時期を過ぎると山城は下草と得体の知れない虫が増えて訪城は困難になってしまう訳でして、その前に念願の松本市の山間部にある小笠原氏の築いた山城群を回ってしまおうと思いついた次第。
その模様は次の機会に置いときまして、今回はその途中塩尻市にある北熊井城を紹介します。
城北側より撮影した北熊井城 本廓
北熊井城に歴史に関してはかなり不明な点が多い様で、築城及び廃城・築城者も良く判らないようです。
以下に現地案内板の紹介を記しますが、城の歴史に関しての詳らかな記述はありません。
その前に、場所は以下のURLを参照して下さい。
塩尻インターも近くにありアクセスは容易です。周囲は畑が広がり大きな案内看板も出ています。
史跡 北熊井城平山城といいますか、周辺の地形は高ボッチ山の裾野に広がる広大な扇状地地形ですね。
形式
主廓は戦国時代の早い段階にでき、だんだん追加されていったが、戦国末期の一連の平山城と思われるので包括的に記す。
熊井城のような平山城は新しいという見方もあるが主廓のまわりの土塁が高く、人馬の出入り口の虎口がはっきりしていないなど古い様式をも備えている。
厚いローム層の台地の為か土砂崩れがなく石垣は一か所もないのも特徴である。
また規模の大きい事でも県下でも有数である。
以下は各廓の紹介なので省略。
平野部に当たる西側への眺めは抜群です。
城の歴史は不明ですが、規模は極めて広大です。かなりの兵力を収容できる廓の面積が確保されています。
城は、東西に長い舌状台地の地形を空堀でブツ切りにして廓を築いたような造作です。
高ボッチ山に近い東側に向かうに従い周囲の地形との高低差がなくなり東端部で高低差はゼロになります。
城北側は自然地形の高低差のある崖地形、南側は北に比べて自然地形の要害性は低く、土塁や空堀でそれを補っています。
現地縄張り図を掲載します。
舌状台地に溝を入れ込んだような縄張り。 本廓の南側と西側のみに2重の空堀で防禦を強化しています。
ここが城の入口ですかね、本廓を北側から撮影した場面です。
鯉のぼりが翻っているのが本廓側。
画像右手の細い車道を進むと本廓と西一廓を隔てる堀底道になります。
実は案内に従って車で縄張り図の所まで行ったのですが、そこには車を停める余地がなく、Uターンしてこの辺りの路肩に車を停めて撮影しました。
堀底道を車で通り抜けるのはかなり貴重では?
この様に一直線に堀り抜かれています。
堀切を抜けると縄張り図現在地まで至ります。
この箱にはノートありまして訪城者が自由に書き込めるようになっています。
結構訪れる人が多いようでして書き込みが多かったですね。
本廓南側の様子。
縄張り図裏手は、空堀外側の土塁。 かなりの規模で築かれています。
この辺りは土塁が切れており大手門跡の碑も立っています。
そしていきなり本廓に登ります。 本廓から堀切を挟んだ西1廓方面を撮影。
本廓北端から城北西方面を撮影。 足元との比高差は結構あります。
それよりも驚きなのが、案内の記述にもありますが切岸面がほぼ崩れていない事、城が現役の頃と変わらないのではないでしょうか。
本廓で風になびく鯉のぼり。
訪城した日は風が強く鯉もよーく空を泳いでいます。
アルプスに向かって泳いでおります。
こちらは本廓東側ラインに残る土塁跡。
この右手に2重の空堀が控えているのですが樹木が植えられておりまして極めて写真写りが悪い状況です。
こちらは西1廓から堀切ごしに撮影した本廓。
西1廓側はやや低い地形になります。
廓内にある神社。 そして画像には写っておりませんが足元の枯れ草の束の中にシマ蛇が隠れておりこちらを威嚇しておりました・・
一旦廓から降りて、堀底を探索。 本廓南側を巡る空堀。
西一廓西側の空堀。堀底は往時よりも浅くなっているようです。
北熊井城の西端部を撮影。
舌状台地の末端部で、周囲を小川が流れており水堀の役割を果たしていたのではないでしょうか。
一転して、城南側から堀に沿って城東端部を目指します。
画像空堀の右側が東一廓。
東一廓と東2廓?の間の空堀は農道になっております。
廓内側は農地の為入れません。
東2廓と竹の花廓という不思議な名前の廓を隔てる農道。
この農道を辿って城北側に向かいます。
途中で撮影した竹の花廓方面は一面の農地。
城北側切岸面まで至り城東側を撮影。
舌状台地と麓の比高差はほぼなくなっております。
同地点より西側を撮影。
本廓方面は麓との比高差がかなりあります。
そのまま車まで戻る途中で撮影した本廓東側の2重空堀。
北熊井城の評価は 4 とさせて下さい。
一部農地化されていますが、土の城としての遺構はほぼ現存。規模も大きく見ごたえも十分あります。
現地案内板にもありますが、新しい城と思えば古い造作もあり・・というのも何となく判ります。 築城者が不明ならば恐らく用途も不明でしょう。
現状ではよく判らない城とうい事ですが、眺めも良く周囲の景色も大変宜しいです。 車でさっと立ち寄れる点も好評価かと。