ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

津久井城の再訪:マニアックな中世城郭の探索 2

津久井城 再訪1 の続きと参ります。

 

 

もう一度だけ「みちあんない」に登場してもらいます。

「みちあんない」の一番上、尾根の鞍部に津久井湖側から辿り着くところから再開です。

 

 今回は津久井の山頂要害部の紹介となります。

 

 

 城の重要区画でもあるのでここで、遅まきながら津久井の歴史について少し触れたいと思います。  といっても現地案内板をそのまま載せるだけですが。

 

 

 

津久井城の歴史

 

 

津久井城の位置

 津久井は地理的には、北方に武蔵国、西方に甲斐国に接する相模国の西北部に位置しています。

 そして、八王子から厚木・伊勢原古代東海道を結ぶ八王子道と、江戸方面から多摩丘陵を通り、津久井地域を東西に横断し甲州街道に達する津久井往還に近く、古来重要な水運ルートであった相模川が眼前に流れていることなどから、交通の要衝の地でもありました。

 また、津久井地域は、その豊かな山林資源から、経済的に重要な地域としても認識されていました。

 このように、津久井地方は、中世の早い時期から政治・経済・軍事上の要衝であり、利害の対立する勢力のせめぎ合いの場でもありました。

 

 

いつごろ、誰が作ったのか?

 津久井の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇った三浦氏の一族、津久井によると伝えられています。

 戦国時代、小田原城を本拠地とした北条氏は16世紀中頃までには、相模・武蔵を領国とする戦国大名に発展しました。

 そしてこの広大な領国を経営し、敵勢力から守るために本城の下に支城を設け、支城領を単位とする支配体制を作りました。

 当時の津久井地域は甲斐国境に近く、領国経営上重視されており、津久井城主内藤氏有力支城のひとつとして重要な役割を果たしていました。

 現在残っている遺構は16世紀に北条氏が整備したものです。

 

 

津久井城が滅びたのは?

 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方の関東の諸城も前後して落城しました。

 津久井は徳川勢の本多忠勝平岩親吉ら12,000人の軍勢に攻められ、6月25日に開城しました。

 城の南に広がる金原地区には、陣場、奥陣場、勝どき畑、首塚など、戦に関連すると考えられる地名が残されています。

 

 

 

この説明文には

津久井の戦力たる津久井衆」やその「内藤氏」の事はほぼ触れられておりません。

また「敵知行半所務」と言われる後北条氏甲斐武田氏の両勢力の支配を受けていた特異な立ち位置についても言及がありません。

結構重要だと思うんですがね~

 

 津久井城と津久井衆の勢力範囲は、小田原城を本拠地とする後北条氏にとっては本国に位置するいわば絶対防衛圏に含まれます。

 更に武蔵の有力支城であり一門を送り込んだ滝山城鉢形城へのルート上に位置する為、この地域の安定的な支配はかなりの需要事項であったことでしょう。

 

 通常であれば、一門の何某かが送り込まれて乗っ取られてもおかしくないのですが・・なんででしょうね。

よっぽど後北条氏と武田氏の間を上手く立ち回ってきたのでしょうか。

 

 

うんちくが長くなったので、そろそろ見学に戻りましょう。

こちらは女坂を登りきって尾根鞍部が目前の位置から撮影した画像。

 

右手の痩せ尾根が主郭から延びる尾根の鞍部。

女坂は画像の奥で右に折れて

 

堀切の堀底道に至ります。

中央の堀切に対して 左側が女坂    右側が男坂

手前が主郭で、画像奥の尾根筋を登ると主郭とは別の小ピークに築かれた飯縄郭に至ります。

 

 

↓ こちらが山頂要害部の現地縄張り図。

現在位置は現在地ではなく太鼓郭飯縄郭の間にある堀切です。

山麓の根小屋(居館部)とは一転して本格的な山城の様相を見せます。

 

 

主観ですが、要害部の特徴について予めここで触れておきます。

 

要害部の地形は

「主郭のある西の小ピーク」・「飯縄郭のある東の小ピーク」 の2峰を中心に東西に細い稜線が連なる険しい山頂部を形成します。

 また飯縄郭から東へは一段標高を下げながら「鷹射場と呼ばれる小ピーク」も存在します。

 前回触れたように地山は峻険でる為、要害部のある山頂稜線部は狭く縄張りの拡張性には不利な地形です。

 

要害部の縄張りは

前述の地形の制約上、後北条氏の有力支城を名乗る割には大変コンパクトに収まっています。

2峰の小ピークを主軸に小郭を重ね、それを繋ぐ稜線上の要所のみ堀切による遮断系の防衛線を構築しています。

 また、要害部の各郭の連絡線にならない南北の支尾根などにも堀切は見られます。

 

 

 

城域は狭く、目立つ大堀切なども見られない遺構の為 なんとなく地味な印象・・

しかしながら

 

一見すると旧式の山城の雰囲気があるものの、1590年の豊臣方の小田原征伐に備え、大規模な近代化改修工事が施され

それにより、戦国時代最末期の戦闘に対応した一定の戦闘力は付与されたでしょう。

 

 

個人的には、辺りの限られた人・物・金に加え時間という厳しい制約の中、旧式化した縄張りを如何に改善したのか?

そんな所が訪問時の妄想ポイントかと考えてます。

 

 条約型巡洋艦の近代化改修を考察するような・・・いやいや、話がマニアックに触れたので戻しましょう。

 

 

紹介するパーツに赤丸を付けました。

堀切からまずは主郭の小ピークへ、次に引き返して飯縄郭から鷹射場を目指す事にします。

 

こちらは太鼓郭切岸下から見上げて撮影したもの。

登山道は右に迂回して切岸に沿って登り

 

ここから太鼓郭内部に入ります。

 

太鼓郭の全景。

しゃもじのような変則的な形状でしかも狭い。 元々は独立した小ピークを削平したかもしれません。

 

さて、振り返っていよいよ奥に控える主郭に向かいましょう・・・

 

 ではなく

 その前に

 

太鼓郭の南側に控える家老屋敷郭も見ましょう。

ここには屋敷を建てられるような敷地はありませんが、太鼓郭から南に伸びる支尾根部を扼する位置関係になります。

 

家老屋敷郭から見上げた太鼓郭

切岸によって両郭は隔てられてまして

 

切岸の下には崩落した石積みに用いられたと思しき石が多数転がります。

 

こちらは石積みの状態を保ってますね。

目立たない遺構なので訪問時は注意深く観察してください。

 

他にも半ば埋もれた石積みの遺構があります。

切岸面には大規模な石積みの普請がなされていたのでしょう。

 

家老屋敷郭の全景です。

お屋敷は無理ですよね、実際は尾根沿いに設けられた馬蹄形の段郭ですね。

郭の周囲には土塁の遺構はありませんね。

 

では今度こそ主郭に向かいます。

 

浅い堀切で痩せ尾根が断ち切られてます。

 

浅いと言いましたが、斜面を見ると堀切はそのまま岩盤を穿つ竪堀になります。

 

浅く感じたのは堀切の中央に土橋を残すスタイルだからですかね?

 

その先、中央に土橋を残した堀切を越えて小ピークを登ります。

 

登った先は主郭手前の郭。

縄張り図には名前は記載されてませんが土蔵郭と呼ばれる現役の頃の土蔵が確認された郭です。

 土蔵なんぞ建てたらただでさえ狭い郭内部の空間がなくなりそうですが。

 

上段の主郭との動線は折れを伴う虎口ですが、ちゃんと撮れてないので割愛してます。

 登山道も虎口を無視しているので分かり難いのもありますが。

 

こちらが上段の津久井城主郭部。

内部には更にL字の土塁で囲まれた中枢部というべき区画があります。

 

 

現地の主郭部詳細縄張り図

 

険しい山頂部を懸命に均して面積を確保してます。

 

L字土塁を内側から撮影。

近隣の八王子城と、どうしても比較したくなるのですが

津久井の主郭は同じ山城スタイルなのにかなり広いですね、城域は圧倒的に狭いのにも関わらず。

 

なにかの遺構を保護してますが・・石積み? 礎石ではなさそう。

 

 

主郭は最高所とあって津久井湖を一望に臨めて最高です!

ですが・・ここはマニアックなお城ブログなので

 

城山ダムによって生じた人造湖である津久井湖は城が現役の頃は存在せず、津久井の歴史を妄想考察する際にはよろしくないので

 

 

恒例の国土地理院先生の航空写真に登場願います。

こちらが現在の様子。

 

ここから時間を遡り

こちらは1961~69年頃の航空写真。 丁度城山ダムが建設された頃ですね。

 

山中湖を源流とする相模川が山間部を蛇行しながら相模平野に流れ出す直前の位置、ここに立ち塞がるように聳える山塊がまさに津久井が築かれた場所です。

 

先ほどの100円入れる双眼鏡のあった腰郭から主郭切岸面を見上げて撮影。

 

 

さて、ここで主郭の西側防衛線にも寄り道しましょう。

西側はすぐに斜面になるので空間的な広がりはありませんが、段郭を重ねて各郭間を複雑な動線と虎口で繋ぐ、津久井でも縄張りの妙が楽しめるエリアではないかと。

 

と、言いながらもただの斜面写真ですが。

 

写真が下手なので動線を加筆しました。

カクカク折れて下段の郭に降ります。

 

坂虎口から下の段郭を撮影。

 

段郭から先ほどの撮影地点を撮影。

 

 

更に下まで続きますが・・道が完全に消滅しているのでここで引き返します。

 

屈曲した虎口ですね、斜度もかなりあるので搦め手という事でいいのでしょうかね。

 

 

キリがいいので続きは

 

津久井城 再訪3 に続きます。

次回は飯縄郭・射鷹場とあまり人が立ち入らない東側エリアの散策路の紹介を予定してます。

 

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kurokuwa.hatenablog.com

 

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