飛山城①からの続きです。
①の堀底道を下ると土橋が現れました。 土橋下は旧河川敷かと思われます。
現在この先は民家の庭先になります。
土橋から引き返してここは郭Ⅵです。 縄張り図では別名広場と書かれている所で、 その名に恥じず非常に広大な郭です。
この飛山城史跡公園には、 中世の建築物を復元された物が幾つか展示されてます。 飛山城とは無関係なものもあります。
これは平安時代初期の竪穴式の建築物だそうです。 竪穴式とは地面に開けた穴に柱を突き立てて建てますのでいずれ柱が腐ってしまい耐久性で劣ります。
開口部もはね上げ式の窓なので今日の和室より使い勝手が悪いですね。
一見すると屋根だけ? こちらは中世の半地下式の貯蔵庫だそうです。
この手の半地下倉庫(方形竪穴建築址)は鎌倉末期から南北朝初期のみに出現するそうです。
木造の半地下式では恐ろしく耐久年数が短かったとしか思えないのですが・・
こちらは将兵の詰め所です。 復元建物としては最も城らしい物でしょうね。
屋根は板葺で柱は掘立ですが大分、近代建築に近づいてきました。
詰め所の内部です。 いたって普通です・・・コンセントも壁にありますし・・
郭Ⅳの遠景です。 広大な敷地に復元建築物の将兵の詰め所が点在します。
飛山城で最初に見た所へ戻ってきました。 鯉のぼりのあった虎口をまっすぐ進んだ所にある木戸を裏から見た所です。
発掘調査により発見された礎石からから復元された 「塀重門」 です。
塀重門から城外を臨みます。 土橋の先に角馬出し、その先の土塁の間から鯉のぼりが確認できます。
土橋から右手 (南側) を撮影。 5号堀です, 大分土砂が堆積してますが延々と続く空堀の規模は圧巻です。
郭Ⅵから4号堀を撮影。 発掘調査中に空堀から畝が発見された為、 復元に際して畝も再現されてます。
郭Ⅳから2号堀を撮影。
ここの空堀にも張り出し部が再現されてます。 外郭部の堀より幅・深さ共に劣ります。
郭Ⅲ西端より鬼怒川を臨む。 河川敷まで断崖絶壁、ここから敵が攻め寄せるのは恐らく不可能。
ここが1号堀でその奥が本郭です。
と、書いても只の雑木林にしか見えないと思います。 1号堀は廃城の際に埋められ今は痕跡しか残ってません。
本郭も鬼怒川に削られて磨滅して一部を残すのみとの事です。
本郭から引き返して、 城の外郭6号堀を外から南側を巡ります。
空堀を挟んで復元されてない張り出し部があります。
城の南東端の6号堀の一部は生活道路に転用されてました。 右手のこんもりは張り出し部跡です。
どういったいきさつか、この付近だけ公園ではないようです。
南東端の張り出し部、ここだけ完全に私有地でした。
飛山城は 広大で平坦な城域に堀と土塁が縦横に巡らされており、その圧倒的規模は城好きにはたまらないと思います。
又、堀や土塁は、中世の土の城の雰囲気を壊さずに復元されており、好感が持てました。