ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

古宮城 (愛知県 新城市)2

ではでは 古宮城2 と参ります。

 

 

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今回は、オレンジ色の線に沿って進みます。

 主に「東城」郭とその周辺を見て回り、次回は「西城」郭を紹介します。

 

 所で「東城」郭と妙な書き方をしているのは、縄張図では古宮城の一つの郭を「東城」と呼称し、土橋を挟んだ対の郭を「西城」記載してるからに他なりません。

 

 

(注) ここからしばらく妄想力全開なので、適当にご笑納頂ければよいと思いますが・・

 

 古宮城にはこの「東城」「西城」以外にはまとまった広さと防禦力を備えた郭は存在せず、実質この2つの主要な郭から構成され縄張りに思えます。

 

 そう考えると、古宮城主郭は「東城」で、その虎口を守るのが「西城」と言えるのではないでしょうか?

 また 西城はその形状と主郭虎口との位置関係から、主郭虎口前面の馬出し郭と考えた方が自然でしょう。

 

一見すると複雑怪奇な縄張りに見える古宮城の構造ですが、分解整理すると

 

「主郭+馬出」 のみの超シンプル構造となります。

 

 そして主要部から外れた丘陵地の内、西側は空堀と土塁で全て潰し、東側は可能な限り平坦地を段々に設けて駐屯地として利用した為、結果的に複雑怪奇な縄張りに見えているだけなんですね・・・

 

 

 さてさて 妄想は以上で終了。 

お城紹介に戻ります。

 

 

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1 の辺りには「東城」郭内部を隔てる間仕切り状の土塁線が残ります。

 高さは 現状で人の背丈程度。

 

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間仕切り土塁の上から「東城」郭全景を撮影。

 

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2 の「東城」郭の東側に残る虎口です。

 縄張図では、虎口内側がやや枡型に描かれてますが・・イマイチ判りませんでした。

 大ヒノキの虎口が正面ならこちらは通用口か?

 

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古宮城1 で紹介した東端部の郭を見降ろして撮影。

 

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同じく全景。

 

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3 の郭? を「東城」土塁線上から見下ろして撮影。

 

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 この土塁で囲まれた空間はちょっと用途が良く解りませんでした。

 土塁に囲まれているので中央には水溜まり。 

貯水池・・ではないような気がしますが、排水性の悪い郭ですね。

 

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 土塁が高いので脇は竪堀状になってます、いやこれは竪堀でいいのかな?

 

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4 辺りの段郭と緩斜面

 

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この辺りは防禦というより、平坦地の確保が目的でしょうかね。

 

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同じ様な写真ですが以上です。

 

きりがいいので続きは 古宮城3になります。