それでは浄福寺城1の続きと参ります。
再び登場の縄張り図
「11番」付近 畝状竪堀群より9番の小郭方向を見上げて撮影。
一般的な畝状竪堀群と異なり、急斜面ではなくほぼ平坦地に掘られているのが特徴。
9番の小郭に接近して撮影。
切り立った切岸面の途中に9郭を防禦する横堀があるのが判りますか?
横堀の位置を加筆するとこんな具合。
11番付近の畝状竪堀群の先、北東側支尾根まで足を伸ばします。
支尾根途中にある竪堀。
圏央道と砕石場による破壊が見られる地点まで降りた所で引き返します。
9の小郭を中心とした一連の遺構群については、火縄銃の使用を前提とした
「火点」ではないかと妄想してます。
9郭の土塁は、畝状竪堀群のある東~北側のみに巡らせてある理由は畝によって行動を制限された攻撃側を狙撃する意図があったのではないかと。
畝状竪堀群・堀切・横堀 それらを複合させた複雑な縄張りは 本当に中世城郭なんですか? と訊きたい(誰に??)位に練り上げられています。
さて、場面は変わりまして 12~17番のある南東尾根に向かいます。
此方へのルートですが、単純に支尾根の合流点から降りられるかと言えば全くもって違いまして、8番の大堀切からこの踏み分け道を辿る必要があります。
ちょっと振り返って撮影。 このルートが実に判り難いのです。
繰り返しますが城内部でのルート案内は一切ありません。 なのでこの場合は、ルート(当時の動線)妄想しながら踏み分け道をさがしましょう。
決まったルートがないのは後世のハイキングルートに惑わされる事なく城本来の動線を想像するのには最適です。
ちなみにこのルートは尾根上の郭と並走してます。
南東尾根の根本から後方を撮影。
このように尾根の結節点はほぼ崖。 険しい切岸面の直登はまず不可能でしょう。
攻撃側が主郭のある尾根に出る為には、ここから一旦右に迂回し8番の大堀切小堀切の防禦線を突破する必要があります。 実に嫌らしい仕様。
南東尾根を進みます。
こちらは12番辺りの堀切。 浅いですね。
そして、尾根上に築かれた段郭群。
この辺りはまとまった平坦地が確保されています。戦闘を意識したというよりも居住スペースの確保を優先させたような造り。
こんな具合に尾根上の割に結構広いんです。
ほぼ自然的の尾根道を少し下ると現れる13番辺りの小堀切。
足元には圏央道が見えてきました。
まさか頭上の藪を徘徊するマニアがいるとは思うまい・・・と妙な優越感にひたる一瞬。
さて、南東尾根の緑丸一帯の拡大図です。
ここも北尾根先端部と同様に厳重な縄張りで敵を待ち構えています。
図の緑線は勝手な妄想による予想侵入ルート。 2本の支尾根の合流地点にある ほぼ自然 地形の円錐形ピークを経て、土橋を渡ると重点防禦郭群に到達します。
まずは「14番」辺りの尾根道を進み 堀切を目指します。
写ってませんが画像左手は郭群になります。
大堀切出現、こちらの尾根筋はしっかりと遮断されてます。
尚 大堀切より先はほぼ自然地形。
ここで順序を逆にしまして、16の円形ピークから15辺りを目指すアングルから紹介します。
画像は15の数字の右手付近から見上げた様子です。ちょっと判り辛いので・・
オレンジ線が奥へ向かう動線、緑が土塁と切岸による障壁です。
手前 土塁ラインに唯一開口してます虎口を登ると更に上段の郭が待ち構えているという仕組み。
虎口を真横から撮影。
同じ様に加筆。
動線は土塁に沿って、撮影ポイントでぐるっと折れて虎口に至ります。
土塁の虎口を抜けると正面に坂虎口が待ち構えてます。
しかもこの虎口、登るに従って開口部が狭くなってないですかね?
漏斗状と表現したら適切なのか、両側の郭が鶴翼の陣のように包み込むように広がっているんですね。
この虎口を進むには当然両側の郭からの射撃を受けながらという事になります。
折角なので坂虎口を登ります。
振り返るとこんな感じです。 かなりの高低差がありますね。
登り切って14番辺りの尾根道側を撮影。
こちら南東尾根の防禦の要は、地形の高低差を利用した動線の折れと所謂横矢かかりでしょうか。虎口の配置なども見所多いですね。
さて、紹介順を元に戻します。
小ピークは2本の支尾根合流点ながら何故か明確な遺構はありません。
しかし、妙に整った円錐形が人為的なものに思えます。 防禦の要をここからバックした14~15に置いた意図は何であったのでしょうか。
「16番」の円錐形ピークの背後に続く尾根道を下ります。
道と言っても踏み跡0で消えかかってますが・・
「17番」の上段郭に到着。
17番を城郭遺構と判断するのはちょっと微妙なのですが、支尾根に段郭もありますし、ここは一応浄福寺城の一部と判断します。
「17番」下段の郭にはお社があります。
そして それなりに広い平坦地が確保されてます。
落ち葉に埋もれた参道を下り麓を目指します。
誰もお参りに行ってないのかな?
なんか 麓が見えてきましたね、どこに出るのか楽しみ。
と、言う事でゴールはここ、民家の脇という地味な登城口でした。
主郭までの動線の長さや方角から考慮すれば、本来の大手口はこっちではなかったかと。
次に訪れる機会があればここから登ってみようかと思いつつ浄福寺城をあとにしました。
所要時間 3時間
浄福寺城の評価は 5 とさせて下さい。
1本尾根を見られてはいませんがそれでも大満足の山城でした。なんだかんだで3時間も徘徊してましたし・・・
で、これだけの優れた縄張りを持つ浄福寺城は一体なんの目的でいつ築城されたお城なんでしょうか? という疑問が一層強くなります。
ぐるっと一巡りした感想では銃撃戦を想定しているように見えましたので戦国末期、八王子城の北の守りを固める目的での築城されたと思えました。
その前提で、記事の内容もダラダラと書いてます。
しかし、今改めて考えると主郭西側の守りが余りにも簡単過ぎませんか?
城の足元を抜ける陣馬街道は西に進むともう国境です。
同じ目的にしては縄張りのバランスが合ってない気がしますね。
2か所の尾根先端の特筆すべき郭群はその時に整備されたんじゃないでしょうか・・ まぁ なんの根拠もありませんが、あれこれと妄想するのが結構楽しい浄福寺城です。