文殊山城
訪問 2019年 5月
駐車場 無し(路駐可能)
案内板 有り
久々の城郭ネタ更新はいつもの関東圏を抜けて、初の三河国の城郭シリーズになります。
2019年のGWを利用しての訪問で、目的は武田氏が三河侵攻時に築城したと伝わる「古宮城」。
古宮城は続日本百名城にも選定されるに相応しい極めて技巧的な縄張りで持つ、城郭マニアには知られた存在の城郭になります。
また、古宮城周辺には地元奥平氏築城と伝わる城郭遺構も幾つか存在し、そちらも良い遺構が残るので順に紹介したいと思います。
さて初回は、「文殊山城」
文殊山城に残る石仏
では早速・・・ と、その前に
この界隈のお城巡りには
新城市作手歴史民俗資料館 に立ち寄られるることをお勧めします。
なぜなら
このような城郭分布図や個々の城郭案内図が頂けます。
丸印を付けたのが今回の訪問城郭で、本命「古宮城」の他 時間の限り回って来てます。
⑨は資料館ですね。
こちらは裏面、健脚の方用ですかね?
所で、民俗資料館では係の方が 「亀山城」は訪問されましたか?
と、しきりに尋ねられるんですね。
全国的には、続百名城にも選定された古宮城が有名ですが、古宮城は当地に侵略してきた武田氏が築いた城郭、いわば敵方の拠点。
やはり地元の奥平氏居城と伝わる亀山城に思い入れがあるように感じました。
毎年古城祭りも亀山城で開催されているようですし、町全体で亀山城推しのようです。
やたら長い 前置きはこの位にして
早速文殊山城に参りましょう。
作手歴史民俗資料館すぐ南の作手総合支所東交差点を西に進んで矢印の林道に入ります。
林道終点が文殊山城の脇になります。
路肩が広いので駐車可能です。
ここでグーグル先生に登場願います。
縮尺を変えると城跡が幾つか出てきます。 この辺りは城郭の密集度が非常に高い。
ですが
グーグルマップは地形が良く解らないので・・
安定の国土地理院先生にも登場してもらいます。
山頂部に位置する「文殊山城」と次回掲載予定の「塞之神城」 とは、なだらかな尾根道(オレンジ色の線)接続しており、両城の距離は徒歩で10分程度。
「塞之神城」は稜線先端部に位置し、尾根を下った足元には「古宮城」が控えます。
さてさて、車を停めると文殊山城の主郭を見上げる位置になります。
再現された櫓(展望台)も見えます。虎口は反対側なので回り込みます。
切岸上には石仏が沢山。
道は良く整備されて歩きやすい。
主郭南側の切岸を見上げて撮影。
高さは3メートル程度でしょうか、切岸の角度も鋭く要害性は高い印象です。
足元は遊歩道ですが元の横堀かもしれません。
巨木の元にある虎口から主郭へお邪魔します。
主郭内部の様子。お堂がありますが文殊堂でしょう。
郭内部は良く整備されてます。
と言いますか、ちょうど草刈りをされている最中で、麓のお寺の方とおっしゃってましたので善福寺のご住職?でしょうか。
草刈りは重労働でしょうし、城マニアには入場料を徴収してもいいかも。
主郭に掲示された縄張り図です。
山頂部を均した楕円系の主郭と、東側の塞之神城に繋がる尾根筋に土橋を伴う堀切で仕切られた小郭のシンプルな構造。
解説文をそのまま転載します。
文殊山城跡
この城跡は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570~72)に武田氏との和睦の証として、塞之神城とともに築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたので「一夜城」とも言われる。
中央の文殊菩薩は、江戸時代に地元有志により奉納された石像で、台石には「西須山村東市場村」と刻まれており当時村界であったことが分かる。
また宝筐印塔左手に足助町有志が奉納した笠付の円柱石塔があり、この山は近世から近代にかけた信仰の山であったことを示している。
この文殊堂は善福寺の奥之院で文殊菩薩は知恵の文殊とも言われ卯年生まれの守護仏で縁日は毎月25日である。
唱え真言「おん・あらはしゃ・のう」
合掌
お堂の内部。
藪々ですが一部明瞭に横堀が確認出来ました。
山頂部を利用した単純な縄張りですが、中々の土木量が投下されているように思えます。
櫓台からの眺望。
郭内部の全景。
綺麗に平坦化されてますね、山頂を削ってここまで均すのは大変な労力だと思われます。
一夜で造るのは現代のスーパーゼネコンでも不可能でしょう。
こちらは、塞之神城へ続く尾根筋の様子。
正面に土橋があります。
土橋の手前には、石積みで補強された虎口があります。
土橋を渡り振り返って撮影。
土橋を突破しても、小郭から先の主郭虎口が控える、中々に厳重な構えです。
では、このまま尾根道を辿り次の塞之神城に向かいます。
文殊山城の評価は 3 とさせて下さい。
本来は隣接した塞之神城とセットで評価するのが正しいのかも知れませんね。
ひとまず 3 の評価とした根拠ですが、縄張りは山頂を利用したほぼ単郭式のシンプルな物に過ぎず、山頂の物見台程度と思えば、いい意味で期待を裏切られます。
郭内を平坦に均す相当の土木量を投下したと思しき点、更に横堀を巡らせる周到さ、塞之神城方向の厳重な虎口からも、一夜城と呼ばれるような急ごしらえの城郭とは思えません。
また、見学し易く整備が行き届いている点もありがたいですね。