ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

亀山城 (愛知県 新城市)2

亀山城1 の続きになります。

 

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今回は オレンジ色の線に沿って紹介します。

 

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2郭から主郭へお邪魔します。

 2つの郭には若干の高低差があります。

 

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郭内部は良く整備されてます、古城祭りの幟旗が賑やかな印象を与えます。

 

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土塁に登って撮影。

 土塁は現状で人の背丈程度の高さがあります。

 

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主郭土塁上に建つ亀山城の巨大看板。

 国道からも非常に目立つので、亀山城については迷うことはないでしょう。

 

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看板の位置から主郭北側を撮影。

 春うららといった気持ちのいい天候と季節にしばしのんびり休憩。

 足元には腰郭が幾段か確認できます。

 

 

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反対側の主郭虎口を郭内側から撮影。

 縄張図では木戸と書かれた虎口で、外側は西郭にあたります。

 

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画像の土塁上から同虎口を撮影。

 

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同土塁地点から主郭全景。

 

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更に同地点から「西郭」を撮影。

 

 さきほどから同じ土塁から撮影してばかり・・

と 思われるでしょう。

 

それは

 

 この主郭虎口外側に控える「西郭」が原因なんです。

 

縄張り図を振り返ってもらえれば判りますが、西郭と呼称されるこの小郭

 

 主郭虎口を守る「丸馬出」の役割を担っているように思える縄張りなんですね。

 

 丸馬出と言えば武田氏のお城の特徴とも言える城郭パーツで以前紹介した「新府城」「大島城」「諏訪原城」などには見事に半円を描く丸馬出しが残されています。

 

 しかし、ここ亀山城は地元平氏築城と伝わり、又西郭武田流丸馬出と呼ぶには小規模かつ形状もいびつで、空堀も伴ってません。

 それでもいわゆる丸馬出と同じ役割を担っていた郭に思えてならないんですね。

 

 

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西郭(丸馬出)より主郭虎口を撮影。

 

 この時は これは新説発見!  

とアホな事を考えていたのですが

 

 西股総生氏の「パーツから考える戦国期城郭論」

にも同じ趣旨の記事があり、このいびつな丸馬出は「三遠型馬出」と呼称されるそうです。

 

 まぁ、素人さんがちゃっちゃと見て新説発見な訳ないですしね。

 

 この一見素朴に見える丸馬出を含めて亀山城の縄張には見所が多い。

 

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さて、 こちらは主郭北側の腰郭から亀山城看板を見上げて撮影。

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同腰郭から城北側を撮影。

 画像正面の桜の奥が道の駅になります。

 

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 西郭もとい「三遠型馬出」の画像で 

亀山城の紹介は終わります。

 

 

亀山城の評価は 4 とさせて下さい。

 実は、記事の紹介と実際の訪問順は全くバラバラで、朝一に古宮城を訪問し、その後に訪れた「作手歴史民俗資料館」職員の方が

 

亀山城には行かれましたか?」 

 

 と かなりの猛プッシュをされるのでまぁ、そこまで推奨されるのなら行ってみようかな? 

 くらいの軽い気持ちで訪問したんですが・・

 

結論として、

 いいじゃないですか 亀山城

 

 記事にも書いた謎の丸馬出やら複雑な折れを伴う枡形虎口など、縄張り好きなマニアも満足する内容ですかね。

 さすがに変態的な縄張りを持つ古宮城に比肩し得るとは言えないものの、十分に楽しめました。

 

 塞之神城の記事でも同様の事を書きましたが、城郭の密集してない地域に亀山城が ポン と残っていれば、城マニアにもっと注目を浴びていたかも知れません。