ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

横瀬 根古屋城 (埼玉県 横瀬町)

横瀬 根古屋城

 

訪問 2023年 10月

 

駐車場 無し

案内板 あり

 

 古御嶽城の次の城郭紹介ということで前回少し触れた横瀬 根古屋城編と参ります。

 本来は訪問順に紹介してるので、今回は珍しく最近の訪問記録のアップになりますね。

 

 

今回

城の名前を  横瀬(半角スペース)根古屋城

と表記します。

 

現地案内板には横瀬は付かずただの  根古屋城  と書かれているので

 

本来は「根古屋城」  と紹介すべきでしょう      

 

 

 が

 

横瀬 根古屋城麓から見える武甲山

 

 

ただの根古屋(根小屋とも)城と紹介すると 

 日本全国 根古屋城 の数が多すぎ問題 

 に直面するので

今回は枕詞のように根古屋の前に横瀬をつけて他の根古屋城と判別できるようにします。

 

 

 ちなみに

 拙ブログでも「根古(小)屋城」は3城目の紹介になります。

そして、いずれの根古(小)屋城も全く関連性はありません。

 

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kurokuwa.hatenablog.com

 

kurokuwa.hatenablog.com

 

 城名の伝承が途絶えた城址にありがちな名前が 根古(小)屋城 という事で

 

さて、本題に戻りましょう。

 

場所いつものようにはグーグル先生にお任せ

古御嶽城と同じく駅間に位置するので、訪問はなかなか面倒です。

付近に駐車スペースがない点も同じ。

 

 

なので、車は古御嶽城訪問時の場所に停めさせてもらいました。

 

 

こちらは現地案内板。

城内には遊歩道が整備され、西口北口の2か所の入口があります。

今回は、西口から入ってぐるり周回して北口で戻ります。

 

西口はここ。

案内板も併設されてますが、駐車スペースなし。

 

根古屋城址遊歩道西口

 矢印が蛇行と途中行き止まりの変則表現になってますが

 

これ

 道路の形状そのままです

 

大周りになりますが、標識に従い右の町道を進みます。

左手は私道とわざわざ書いてあるので、間違って入り込む人がいたのでしょう。

 

やがて町道私道は合流して山道に続きます。

 

実は

町道より私道の方が どう考えても道らしいんですね。

 

 

どういう事かと言うと

 

町道を振り返れば

 

 

民家のガレージを抜けてきてます

 

 

えぇ  

 これが町道 正式な訪問ルート? 

 

 

不安なので家主の方にお断りしたら

 

「どうぞお通り下さい」 との事で 車の脇を通り抜けてきた所です。

 

なので 根古屋城址遊歩道への正規ルートです。

 なんだか色々事情がありそうですね。

 

 

さて

畑の脇を登ると遊歩道が山城らしい地形の中に伸びています。

まずは稜線を辿る感じです。

 

土塁線が見えてきました。

土塁右手には開口部(虎口)もあるので、そこから城内部にお邪魔します。

 

虎口の先は西郭内部です。

案内板と墓地があります。

 

 

案内板に横瀬 根古屋城の歴史についての記述があったので 

転記して掲載します。

 

 

根古屋城址

 

 

 

 この城は、大机山(三角山)から北へ延びる尾根の末端にあり、横瀬川、生川、小島沢、城谷沢に囲まれた山城で、正丸峠妻坂峠からの街道を監視する。

 

 「前山」とも「城山」とも呼ばれている。

 

 本郭は石灰石の採掘により破壊され、一部が残される。

 これより北に延びる尾根には、小口郭・土橋を挟んで25×85mの2の郭が築かれ、麓には水の手郭東郭・腰郭が設けられている。

 

 また、北西に延びる低い尾根の西郭には「御殿跡」があり、35×160mに及ぶ2段の郭と大規模な構堀・腰郭が築かれ、これが本城唯一の特色と言える。

 

 

 

 江戸後期の「新編武蔵風土記稿」によれば、北条氏直の家臣、渡辺監物、浅見伊賀守が在城したといい、往時には秩父別当武光、同十郎武綱、同重綱、同重弘、同重能まで5代に渡り居住したという。

 

 重能は男衾郡畠山(現深谷市川本)に移り、その子畠山重忠は武蔵武士を代表する武将として知られる。

 

 

 

 天正18年(1590) 鉢形城落城と共に開城し、その後廃城となった。

 なお、本城の南には、上杉家の家臣・永田外記の居城と伝える古御嶽城がある。

 

 

色々な人物が出てきますが あまり気にしなくていいと思います個人的には。

 

 重要なのは城の立地。

 

 横瀬根古屋城は、正丸峠を越えて秩父盆地ひらける直前の位置に築かれています。

 現在でも脇には国道299号真下には西武秩父線のトンネルが通り抜けている交通の要衝です。

 

虎口を郭側から撮影。

 こう撮影すると単純な平虎口に見えますが、虎口の位置を稜線サイド側にもってきているので、動線的には虎口の手前で90度折れるような工夫が凝らさせています。

 

西郭は、稜線上に造られながらかなりの平坦地が確保された郭です。

しかし内部はかな~り藪々で、あまりよく見えません。

郭中央の遊歩道を辿るしかないかも

 

この辺りなら切岸から下段の腰郭が見えます。

 

上下2段に別れています。 この先が西郭の御殿址と呼ばれているようです

 

その先に現れる遊歩道分岐

右手の登りが主郭方面なのでこちらに進みます。

 

地形が険しくなってきました。

階段が途中で右に折れているのが判りますか?

ここに段郭が設けられてます。

 

段廓を上から撮影。

山城らしいパーツですが、小規模な段郭。

 

あれ、虎ロープで規制されてますね。

境界線があるのか、稜線上に虎ロープが続き立ち入り禁止だそうです。

 恐らく石灰石の採掘で地形の改変がなされていると思われます。

 

 

稜線上で撮影。

正面に堀切がありますが、ロープ右側は入れません。

遊歩道は画像左手、稜線に沿って伸びています。

 

城の半分しか見られないような物足りなさを感じますね。

 

 

階段登り切った上が主郭

 

この案内板の所で右に折れ

 

半ば埋もれた階段を登り切ると

 

到着しました、主郭に・・

しかし狭いのは判るとしても ほぼほぼ斜面なんですね。

 

主郭にしてはほぼ平坦地もなく・・

 採掘によってごっそり削られますねぇ。

 

主郭背後の虎ロープ。

往時はこの先まで主郭が続いていたのでしょう。

 

規制線の先をのぞき込むと採掘跡のひな壇地形になっています。

一見すると段郭にも見えなくはない?

 

 

主郭の見学を終え 

 2廓方面の尾根筋から 遊歩道北口を目指します。

 

2廓背後を守る堀切土橋

 遊歩道が土橋の上を通過するので、遺構も見やすくここは見学ポイントですね。

 

2廓内部の様子。

下草の多い植林地で見通しは悪いですが、広々した削平地が確保されていた事は判ります。

 

2廓先端の切岸

 山城らしいパーツですが、高低差はさほどないです。

 

そのまま尾根道を下って 左折

 

手前の窪地が 水の手郭 奥の森が東郭

どちらも見学するには藪がひどい状態なのと、個人的にジメジメ感が苦手なのでここはパス。

 

あっという間に 根古屋城址遊歩道北口に降りてきました。

 

遊歩道北口はここです。

国道299号から折れてすぐ。

 

 

最後に北口側の案内図を掲載。

こちらの方が新しくて見やすいですね。

 

 

所要時間 1時間

 

 

横瀬 根古屋城の評価は 2 とさせて下さい

評価は少々辛めです。

 幾筋もの尾根筋を利用した大規模な山城の遺構なので本来はもっと評価は高いのですが・・・

 マイナス要素がありすぎで、遺構の魅力以外の所で評価を下げてます。

 

石灰石の採掘による遺構の破壊

 主郭はほぼ壊滅、恐らくその背後にあったであろう搦め手は完全消滅。

主郭がほぼ消滅しているのはかなりの痛手か。

 

稜線右側が私有地で立ち入り禁止

 こちらも石灰石の採掘による遺構の消滅もあると思いますが、半分しか見られない消化不良感が高いです。

 

遊歩道以外は藪々で遺構が見えない

 「御殿郭」下段にある「追手」が見えないなど、縄張りの妙を堪能するには藪が酷い。 こればっかりは、自然相手なので何とも言えませんが・・

 

 

 遊歩道は整備されているので、訪問は容易ですが

隅々まで見ようとすると、色々な制約に引っかかるので不完全燃焼感がありますね、ここは。

 肝心の城としての魅力を堪能するにはいささか難しいかと。

なので、前回紹介した「古御嶽城」などとセットで訪問すると丁度良いかと思います。