塞之神城
訪問 2019年 5月
案内板 有
駐車場 無
いつものように更新遅れましたが、奥三河シリーズ2回目は文殊山城と尾根続きの山城「塞之神城」になります。
塞之神城は文殊山城から緩やかな尾根道を10分程下った所に位置します。
ここで現地案内板の内容を掲載します。
塞之神城址(本城・砦城)
所在地 作手村大字清岳字本城
立地 山頂・標高628m(比高80m)
規模 150×900m
塞之神城は、来歴不明な城の一つである。
伝説も含め、古くは元亀年間(1570~73)武田氏によって、奥平氏との和睦の際、合議により築かれたともいわれ、また、奥平氏が作手に来住する以前の米福長者(三河三大長者の一人で作手に在住)時代に存在したとの推定もされている。
いずれにせよ2時期にわたる構築が指摘されており、主郭とその東西の虎口の部分、2の郭と堀切を含むその付属部分と普請の程度に明らかな差異が見られる。
明らかな差異はちょっと判らないのですが、縄張りが少し変わっていると言いますか妙な点は感じましたね。
さて、場所はグーグル先生を参照して下さい。
塞之神城は、文殊山城のあるピークから派生する尾根の先端部に築かれてます。
また、足元の古宮城とは高低差を除けばほぼ隣接していると言っていいでしょう。
ここで一つ疑問が・・
塞之神城 という風変わりな名前の事です。
そのまま解釈すれば 城の神さまのお城 になります。
軍神と呼ばれた武将なら判りますが、城の神さまとは?
妄想力を働かせると
「神」ではなく 元は 「上」 じゃないですかね。
塞(城砦・城)の上の城。
そしてこの塞とは立地的に古宮城を指すのではないかと・・
更に妄想を働かせると
「神(上)之塞城」ではなく「塞之神(上)城」である意味に注目。
つまり塞と神の文字の位置関係です。
一見どっちでも良さそうですが、
上の塞城では、塞の上の方角にある別のお城 になり
塞の上城では、塞の上に当たる一部分 となります。
東大阪市や西東京市が、大阪市や東京23区に含まれず、〇✖市〇〇西町(仮称)は〇〇町の西側を指すような理屈と同じです。
では、
塞之神城は古宮城の一部と解釈してもいいようにも思えて来ましたが、以上は全く根拠がないので・・・
妄想はここで終了してお城紹介に戻ります。
さて、歩いて行くと最初に現れるのがこの堀切と背後の土塁セット。
堀底から土塁上端までは3m程度でしょうか、それ程大きな物ではありません。
ここで現地縄張り図を掲載します。
文殊山城から歩くと左手の尾根からアプローチします。
塞之神城の縄張は、尾根先端部の小ピークに主郭を配置し、東側(古宮城側)には尾根斜面に沿って段郭を配し、主郭前の小郭脇に主郭への虎口を設けてます。
また井戸跡と思われる遺構(縄張り図の小丸のマーク)もあります。
そして西側、先ほどの堀切を渡ると最初に現れる郭。
周囲には土塁を伴なってませんが、かなり丁寧に平坦化された郭内が特徴ですかね。
同じ郭の南西側の支尾根に繋がるポイントにも堀切を設けて遮断してます。
藪が酷いので降りてはいません。
同郭から主郭方向を撮影。
手前に尾根の鞍部があって天然の土橋状になっています。もしくは土橋に人為的に加工してあるのかもしれませんが。
反対側から撮影。
この平坦な郭はなんでしょうね? 兵の駐屯地?
防禦性よりも居住性に重きを置いたような地形ですね。
妄想を駆使し架空の堀切を書き込んでみました。
ここを主郭背後の防衛線とすれば堀切は1本で済みますが・・実際はオレンジ線の所に各1本づつ設けてます。
なので この郭を設けた意図が非常に気になります。
さて、こちらは尾根鞍部から北側斜面を降りて井戸を撮影。 土砂の堆積で今では単なる窪地ですが。
井戸跡から主郭を見上げて撮影。
切岸はかなり念入りに削り込まれているようです。
尾根筋に戻って主郭を目指します。
こちらは、主郭虎口手前の小郭へのアプローチ。
と、言いますかこの小郭は馬出しみたいですね。
動線を加筆。
90度ターンで虎口内側を見通せない仕様。
かつては石積みで補強されていたようです。
少し飛ばして虎口から主郭へお邪魔します。
背丈を超える土塁を周囲に巡らせてあります。
ここも郭内部は丁寧に平坦化されてますね。
虎口の脇に案内板が設置されてます。
土塁を接写。
土塁と書きましたが結構石積みの名残のような石が残ってますね。
土塁線上から主郭内部全景を撮影。
土塁線上に残る石積み遺構。
主郭土塁線上から古宮城側を撮影。
残念ながら麓は全くみえないですが。
古宮城側にも降りてみます。
虎口を過ぎて振り返って撮影。
何段かの小郭が連続しています。
所要時間 1時間20分
塞之神城の評価は 4 とさせて下さい。
来歴不明なお城が大好物である事を再認識させられた塞之神城でした。
近世城郭や、有名どころは、城の歴史や経緯が丸判りで、それも悪くはないんですが、縄張りと地形を見ながら築城意図や想定される攻撃ルートを「妄想」させられないので、案外感動が少ないんですね・・へそ曲がりなんで。
冒頭で少し触れた、縄張りで感じた妙な点について。
山城の多くのパターンでは主郭をピークに設けて、山麓から尾根伝いに攻め寄せる敵に備える縄張りだと思います。
しかし、塞之神城では主郭(ピーク)の背後をかなり意識している縄張りに感じました。
特に主郭虎口の前に馬出しと呼んでもいいかな? と呼べる小郭を配置し更に謎の平坦郭を設ける厳重な構え。
やっぱり もう一度訪問してじっくり観察したいですね~ コロナが終息したら再訪でしょう。
さて、今回の塞之神城ですが、本命の古宮城に時間を割いたので駆け足で見てしまったのが心残り。
個人的には前回の文殊山城とセットで高評価です。
仮に山城のない地域にポンと塞之神城があったら、もっと脚光を浴びると思われますが、なにせ麓には超絶技巧の古宮城が控えているので何とも損な役回りです。