浦野城
訪問 2019年 4月
案内板 有り
駐車場 無し
お城の紹介 長野編を気まぐれに復活させます・・
今回は山城にしては気軽に登れる浦野城をサクッと紹介。
浦野城 主郭部石積み遺構
場所は例によってグーグル先生にお任せ。
麓にある「浦野氏館跡」は未訪問ですが
近隣には依然紹介した「岡城」があります。
頑張れば徒歩圏内ですかね。
と さりげなく過去記事の宣伝をした所で
浦野城の歴史について 現地案内板を転載します。
浦野城跡・ 御射山祭広場跡
浦野城跡は、主郭東側に広い平坦地が存在する市内ではやや特異な形態の山城で、山麓にも館跡や城下町などが残るなど、「浦野氏」の領域支配の一端が窺える良好な遺跡です。
この平坦地で発掘された礎石建物跡は16世紀頃に建てられたものとみられますが、市内では塩田城跡等に例があるのみで、非常に貴重な遺構です。
建物跡からは、常滑焼の大かめ、素焼きの茶碗などが出土しました。
また、この平坦地は建物が造られる以前は、武士たちが小笠懸や相撲などを披露したり、宴を行った御射山祭広庭だったと考えられ、周囲の土壇は桟敷とみられます。
御射山祭は諏訪大社の神事で、旧暦7月に行われました。
浦野氏が諏訪大社の神氏だったことから、自領でも祭りを行ったものと考えられます。
各地に御射山地名が残るなか、このような祭祀跡は市内唯一のものです。
なお、城内にある浦野古墳は、古墳時代後期に造られた横穴式石室を持つ円墳で、一部が築城時に破壊されているものの、玄室(遺体を納める場所)が良好な状態で保存されています。
また、山中に単独で所在する後期古墳は市内には少なく、大変貴重な事例です。
こちらは現地案内板に記載の縄張り図です。
「浦野城」訪問は、南麓にある赤ラインの登山道を利用します。
麓に案内が出てますが
ここで大きな問題が一つ。
登山道入口に車を停められない・・
山城巡りあるあるの一つですが
ここに停めたら完全に道路封鎖で迷惑行為になります。
結局、数百メートル離れた広い路肩に車を停めて、あらためて浦野城を目指します。
登山道入り口から城跡までは430mだそうです。
少し登って振り返った 様子。 なかなか眺望に優れてます。
途中分岐が一か所あります。
なんだか開けてきました。
正面の切岸と手前の坂虎口がお出迎え。
虎口は石積みで固められてますね。
切岸のラインの様子。
そんなに高さは無いんですね、防衛ラインというよりも斜面を造成した結果生じた段差と表現した方が適切でしょうか。
あちこち石積みが残ってます。
更に奥にすすみますと
ぱっと視界が 開けてきました。
実は案内板にある「この平坦地」とはここの事です。
麓から想像もつかない広大な平坦地、かつてはここで様々な行事がなされていたんでしょうね。
「塩田城」も山腹に広大な平場を設けてますがあちらは北麓に築かれた城なので日当たりが悪くジメジメ。
浦野城は南麓なので日当たりが良く開放感がありますね。
この平坦地まわりにもいい味出してる石積みが豊富に残されてます。
しかし、これ全部が城郭遺構なのかな?
日当たりが良いのが災いして耕作地化され、地形改変を受けた可能性も考慮が必要でしょう。
大き目の石が二つ並んでます。 礎石遺構ですかね?
またしてもスケールで計測。
礎石にしては間隔が中途半端ですかね、結局用途不明な置き石。
案内板の背後には古墳があります。
手前に散乱する石も何か気にります。
石室がありますね。
「浦野古墳」と呼ぶそうです。
平坦地の左手に延びる支尾根部には「浦野城」主郭部が控えます。
登り口が見当たらないので適当によじ登ります。
尾根上は良く均されてますが、草ぼうぼうで見通しが悪く進みにくい状態です。
何ものかが泥浴びをしたような形跡がある水溜まり。
周囲の草は倒され、獣と思しき足跡があります。
と 言いますか奥の草むらで時おりゴソゴソと物音がするんですね。
草むらから何かがこちらの様子をうかがっているように思えたので、慎重にここで引き返します。
驚いた猪にでも突進されては怪我では済まないですしね。
支尾根の先端部は安全っぽいので、こちらの石積みを堪能し
さらに先の段郭群を見て浦野城は終了です。
所要時間 1時間
浦野城の評価は 3 とさせて下さい。
草むらから聞こえる謎の物音のせいで、背後の尾根筋に残る遺構群を見落としているのが心残りですが、中腹の広大な平坦地・膨大な石積み遺構・古墳 と 見所は多岐に渡り、山城ながら訪問は容易と なかなかお得感がある遺構に思えます。
文中でも触れましたが、南麓に残る山城は日当たりが良くて訪問しても気分がいいですね。 平坦地までは良く草も刈られて整備が行き届き訪問し易くなってます。