ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

八王子城 主郭北部 (東京都 八王子市)2

ではでは 「主郭北部1」 の続きと参ります。

 

  長く引っ張って来ましたが、ここで今回のテーマである主郭北部の紹介になります。

 

 

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 今回は八王子城で屋外展示されている模型にルートを加筆。

 

 

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 さて、分岐点である尾根鞍部に戻りまして「松竹コース」「新源院コース」の順に紹介します。

 

 こちらは「松竹コース」を僅かに下った所で尾根鞍部を見上げて撮影した画像。

 尾根上に石積み遺構が確認できます。

 

 

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 尾根を過ぎるとその先に明確な遺構はなく、単なる日帰りハイクルートになります。

 

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 標識に従って松竹バス停方向に進みます、その先も道なりにただ下るだけ。

 

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 尾根鞍部から下る事約20分で麓の集落に到着。

 この谷あいの地には確か遺構があるはずなのですが、よく判らなかったので集落内を道なりに歩きます。

 

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 画像右側に少し写っているのが「心源院コース」のある尾根。

 

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 道は陣馬街道との丁字路でおわりです。

 

 

交叉点奥の山は、浄福寺城のある尾根筋の東端部でもあり、現在も尾根先端からの登城ルートが残されています。

 集落を抜けるような道は、長い年月を経ても容易に位置が変わる事は考えにくく、「松竹コース」浄福寺城八王子城を結ぶ連絡ルートであったのではないかと推測できます。(もちろん個人の妄想です)

 

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 こちらは帰りに撮影した、「心源院コース」のある尾根筋。

 尾根を登ると八王子城主郭部に至ります。

 

 

 

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 さてこちらは「心源院コース」

尾根鞍部から麓の心源院を目指します。

 

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 「心源院コース」は基本的に尾根筋ルートです。

最初は、尾根上を削平化した小郭と夥しい石積み石が続きます。

 

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 石積み遺構も良く残っています。

 

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 しかし長くは続かず、この些細な堀切と土橋を境に、尾根上から遺構らしきものは消滅します。

 この堀切+土橋は写真では判り難い程に 

浅く狭く、およそ八王子城らしくない遺構です。

 

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 加筆するとこんな具合。

 浄福寺城伊豆の韮山城天ヶ岳にも同様の普請がありますが、大規模な石積み遺構を見た後では見劣りを感じますね。

  

 そもそも、「堀切+土橋」の組み合わせ自体が八王子城では極めて稀。

 と言いますか唯一? じゃないですか。

 

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 ウンチクはこの位にして更に尾根道を進みます。

 既に八王子城の縄張から外れたのか全くの自然地形の尾根道が続きます。

 

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 途中ある支尾根の分岐点。 

 確認はできてませんが、支尾根を下ると「氏照公墓所の裏側辺りに出るように思えます。

 

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 こちらは途中にある「大六天」のピークからの眺望。

 

 

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 眺めは良いのですが、明確な遺構はなし。

 

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 尾根道にあった唯一遺構らしい?地形。

 遺構かははっきり言ってかなり怪しい、何でも遺構に見える病による幻覚かも知れません・・

 更に尾根道を進みます。 

 

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 「向山砦」の小ピークが見えてきました。

 

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  この小ピークから尾根が二手に分かれて男坂・女坂の2ルートに分岐します。

 

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 左手が女坂、右手が男坂です。

 「向山砦」の小ピークは2本の尾根の結節点であり、八王子市城北側の眺望は抜群。

 北の守りとしてピークに支城を築いてもおかしくないように思えてなりませんが明瞭な城郭遺構はなし。

 砦の名前を冠している小ピークなので監視哨程度はあったかも? 

 

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 浄福寺城に近い女坂を下る事にします。

 

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 女坂の尾根先端部から撮影した浄福寺城遠景。

 指呼の間と言った所ですかね。

 

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 ゴール地点の案内標識です。

尾根鞍部から心源院までは約1時間かかりました。

 男坂の方は通行止めの措置が取られていたようで、結果的に女坂の選択は正解。

 

 

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 登山道入り口はこのお堂の左手奥にあります。

 

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 心源院から八王子城の駐車場まで徒歩で戻ります。

 これが距離があり、面倒この上ないので道中変化をつける為に都道の旧道を歩きます。

 

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 途中、八王子城の支城と推定される小田野城の裏手を抜けます。

 左手の丘が小田野城の主郭。

 

 小田野城は、10年前に紹介済なので興味のある方は当時のショボい記事をどうぞ・・

kurokuwa.hatenablog.com

 

 小田野城はほぼ単郭の小規模な砦で、八王子城を攻略する兵力が攻め寄せたら、瞬く間にすり潰されるでしょう。

 改めて考えるとこの小田野城、本当に八王子城の支城であったのか疑問にも感じます。

 旧道が八王子城の山塊と小田野城の間にあり、裏側に回り込まれたら稜線沿いに撤収も不可能。 

 

 

 

 八王子城 主郭北部のまとめ

 

  2回に渡って掲載した、壮大な遺構の紹介とは程遠い日帰りハイクの模様、もとい城郭遺構。

 

今回八王子城北側は浄福寺城が防禦の一翼を担うので普請が甘いだろう、との妄想を元に検証しました。

 

結論としては、妄想どおり

 自然地形が多く城郭普請に伴う地形改変は軽微である と言う印象を強く感じました。

 

 

対比の為に 他の尾根筋の縄張を少し紹介します。

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主郭西側の大堀切
 

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南側太鼓郭の大堀切 

 

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東側大手口の仕切り土塁と空堀

 

 

全て過去記事で紹介済の写真ですが、これらの遺構と比較すると

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むむむ・・同じ城とは思えない貧弱な堀切。

 

 仮に、ここで侵攻を食い止めても、手前の支尾根を迂回されれば東麓の根小屋地区にショートカットされる危険があり、こちらの守りはがら空きに近い状態。

 

 守りが甘いと言いますか、小規模な堀切から察するに普請が間に合わなかったように思えてなりません。

 

 色々と妄想を書いてきましたが、結論としては八王子城の北の守りには浄福寺城の存在は不可欠。

 

 です。

でも 全て個人的な妄想です。それに実際の戦闘経過は全て無視してますので。

 

 

他の八王子城関連の記事はこちらから

kurokuwa.hatenablog.com