岡城
訪問 2017年 7月
駐車場 無
案内板 有
以来、他の城郭遺構も訪れてみたいという欲求が止まらずに遂に7月8月と2度に分けて上田へ出撃を敢行。
そんなわけでして暫くは上田市の城郭紹介が続きますが、初回は武田氏の築城と言われる「岡城」です。
岡と名乗りながら立地は平城なので夏場でも問題なく訪城は可能ですが、他の要因で見学は少し気を使う城郭遺構です。
猛暑でしかも草ぼうぼうの山城シーズンオフに何故・・という意見もありそうですが、「暑~い!」と言いながら回るのも結構好きでして・・・
岡城2郭空堀
場所は以下のURLを参照して下さい。
主郭部が「岡団地」として破壊された為、遺構は周囲の残存部のみとなります、その代わり訪城は岡団地を目指せばよいので比較的簡単。
ただ、主郭は団地に周辺遺構は住宅地として破壊された箇所が多く武田流の特徴である丸馬出しなどもちょっと判らない状態になっています。
現状では、2郭の土塁の一部が公園として整備されているのみ。現地案内板はその公園前に掲げられています。
現地の案内板に掲載の縄張図です。
浦野川を背にして、2重の堀で防禦を固め、各虎口には特徴的な丸馬出しを擁する構え。
レイアウトは静岡の諏訪原城に似てませんかね?
ここで現地案内板の内容を掲載します。
市指定史跡 岡城跡
岡城跡は武田信玄の家臣馬場美濃守信房の縄張により、天文年間に築城されたと考えられる。
内濠・外濠の外に武田氏独特の三ケ月濠のある大規模な初期の平城である。
天文22年(1553)村上義清の葛尾城(坂城町)を落としてから、永禄3年(1560)松代に海津城を築くまでの6年間、武田勢の川中島進出の貴重な前線基地であった。
城の規模は東西460m、南北365m、面積約75,000㎡である。
3か所の三ケ月濠をはじめ、内濠・外濠の大部分が埋められて田や住宅地に変わってしまったが、いまだ旧形をたどる事ができる。
武田流の三ケ月濠のあった小諸、長沼などの城がともに埋められて、当時の城郭の様が全く失われている現在、岡城は貴重な遺構である。
-中略ー
所在地 上田市大字岡字城1249-1外
では早速ですが、案内板の「現在位置」からスタートします。
ここは浦野川方面を見ながら撮影した所。
位置関係からしてこの道路も堀跡のようです。道路左手は三ケ月濠の筈なのですが現状は普通の住宅地。
忘れていましたが、公園には駐車場は用意されていません。
今回は、適当に路肩に停めてしまいました。
案内板となりの2郭堀跡。岡公園と岡防災センターの間になります。
当時は水堀だったんですかね、この辺りの堀跡は非常に大規模でしかも良く残存してます。
岡公園(土塁線)にお邪魔します。
史跡公園というよりも岡団地併設の児童公園と言った方が適当な雰囲気。でもちゃんと土塁は残っています。
櫓台跡らしき土盛りに上って岡公園を撮影。
岡公園から堀跡を撮影。
堀幅は20メートル位ですかね。
同じ櫓台跡から主郭方面を撮影・・したのですが写るのはちょっと懐かしさを感じさせる団地の光景。
団地内部にお邪魔します。
しかし何故、城跡の主郭部を潰して団地を造成したのですかね??
団地内で見つけた2郭井戸跡。
住宅地の真ん中ですので、あんまりカメラ首からぶら下げてぷらぷら歩く雰囲気でもなく早々に撤収します。
団地の外れに僅かに残る主郭部堀跡。
こちらは縄張り図の「二の丸」という文字のすぐ上の辺りの土塁の痕跡。
かなり崩されていますが未だに土の盛り上がり具合で土塁が続いていたことが判ります。
同じ土塁を城の外側から撮影。こちらの方が土塁らしく写っています。
道路脇には堀跡が残ります。恐らくはこの道路自体も堀を埋めて造成しているのではないですかね?
同じ地点より岡城公園方面を撮影。
岡城の評価は 3 とさせて下さい。
公園とその外側の堀は良好に残されていますが、他の遺構は痕跡探しという状況。
丸馬出しも・・・頭を捻りながらひょっとしてこの辺りかな??という具合でして、当時はかなり大規模な平城だったと思われるだけに遺構の残存具合には非常に残念。
残された岡城公園付近の遺構は大変見事なものなので訪城はお勧めですがもうちょっと遺構を残してもらえたらというのが本音ですね。