では 前回からの続きと参ります。
「砥石城」背後の続き、「本城」から「枡形城」へ下って、水の手を経て大手に至るルートになります。
「砥石城」背後の堀切を抜けると、城郭のコンセプトが一変します。
それまでの痩せ尾根の地形を利用した険しい山城の様相からは想像もつかない程の広々とした郭が続きます。
振り返るとこんな感じ。 これでも尾根筋の郭なんですね。
麓からでは想像もつかない広さが確保されてます。
ここならそれなりの兵力を潜ませられそう。
平場を確保するために、ひな壇状に郭が造られてます。
砥石城の最大の特徴はこの山上にある広大な駐屯地でしょう。
妄想を全開にしますと、山城と言えば一般的な認識では少人数で引き籠る(籠城)するの用法になります。
砥石城も、麓 から見れば各山頂部に小郭を設けた典型的な山城に見えますが・・実は奥の平場にまとまった兵力を隠蔽している。
眺望の優れた「米山城」や「砥石城」から敵兵力の推移を観察しながら適時に奇襲用の兵力を繰り出す。
そんな用兵に適した縄張りに思えてなりません。
さてさて、妄想はこの位にしてお城の紹介に戻りましょう。
これは、石積みの名残と思える石。
切岸ラインの折れは、技巧と言うよりも元々の地形の制約が大きいと思います。
さて、平坦地の郭群を幾つも上がった先にこの石垣跡と案内のある石積み遺構が現れます。
この上の郭が「本城」と呼ばれている郭のようです。
明瞭に残る石積み遺構はここだけですが、切岸ラインには怪しげな石が数多く転がってましたので、往時はかなりの範囲で同様の石積みが施されていたのではないでしょうか。
「本城」内部の様子です。「砥石城」の郭と同様にピークを利用して造られた小郭に過ぎません。
「本城」背後の大堀切。
案内板には本丸に相当すると書いてありますが、どちらかと言えば平坦郭群を守る目的のような気がします。
大堀切を渡ってから「本城」側を撮影。
「本城」を過ぎ痩せ尾根を進むとほどなく「枡形城」に到着。
郭内部の様子。 どれも似てますね。
北端部には小堀切を挟んで物見台と思しき小郭が存在します。
物見台の眺望は大変よろしいですね。
真田本城や天白城方面がとりわけ良く見られます。
更に後方 靄の彼方に微かに見える鉄塔の奥が「遠見番所跡」でしょうか。
さて、主郭部の有る尾根筋から東側へ降りまして こちらは水の手の遺構の入り口。
登山道沿いには案内が出てないので見落としに注意ですね。
暗くじめっとしてますが今でも水が湧いております。
登山道に戻りまして麓に向かって降ります。
こちらは途中にあった竪堀状の地形。
竪堀なのか自然の谷筋なのかは判然としませんでしたが、このルートから城を攻略する場合は必ず障害となったはずです。
さらに途中にある無名郭。
小さな支尾根には、整備されてない段郭群が残ります・・・写真じゃ判らないですね。
登山道は途中で旧松代街道と合流します。
今更ですが、このブログでは戸石城じゃなくて砥石城として紹介してます。
どっちでもいいようですので、変換で最初に出た「砥石城」で統一してます。
佐久間象山の通学ルート?
さすがに毎日じゃないでしょうが、上田と松代を結ぶ古道が城を掠めているのは偶然ではないでしょうね。
戦国期の武田氏時代ならば、このルートが海津城(松代城)との兵站線としても用いられていたのではないでしょうか。
更に道は下り、麓の住宅地が間近に迫ってきました。
降りた先はここ、案内板では「内小屋」地区とされた場所です。かつては屋敷地として開けていたのでしょうかね。
谷筋の狭隘な地形で現在は休耕田と畑地になっています。
用水が流れてます。水源はさっきの水の手でしょうか。
畑地に残る空堀跡。
大手口にある「陽秦寺」
散り際の桜が綺麗に咲いてました。
お地蔵さんが並んでますね。
「陽秦寺」を過ぎると集落の中の一本道を下ります。
歴史がありそうな家並み。
集落の目印となる巨大な庚申塔を写真に収めて砥石城の紹介は終わりです。
所要時間 3時間
砥石城の評価は 5 とさせて下さい。
上田城と連携して徳川軍の攻撃を退けた城としても有名な山城ですので歴史的な意義も深い城として一度は訪れたいと思っていた山城の一つでした。
道の整備も行き届いており訪問も比較的容易、訪問者も多いので上田城へ訪れた事があるなら、次には是非こちらの訪城をお勧めします。
城の印象ですが、既に紹介した周辺の山城群とは別格の規模を誇りますが縄張りのコンセプトには共通性を感じました。
具体的には、主郭部の後方に駐屯地としての平場を設ける、その防衛として強い遮断線となる堀切を更に後方に掘る。
一方で正面には堀切などの防衛線は比較的少なく地形による防衛効果に依存する傾向が強い。
前方に少ないのは前述のように、奇襲などの逆襲時の障害となる可能性を考慮したのでは・・と妄想してます。
まぁ、くどくど書いたこの説は全くの私見で根拠はありませんので、訪れた人がそれぞれ妄想を楽しむのが良いかと思います。