ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

南酒出城 (茨城県 那珂市)

南酒出城

 

訪問 2019年 1月

 

案内板 有り(蒼龍寺前)

駐車場 無し

 

 関東のお城シリーズ、今回からは茨城の平城編です。

 

 初回は小振りな城郭「南酒出城」から。

小振りと言っても次回以降の城郭と比較しての話。

 城域は広大で遺構も明瞭に残るよい遺構です。

 

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南酒出城 主郭虎口

 

 

 位置はグーグル先生にお任せ。

 県北部のお城は今回が初 となります。

 

 

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南酒出城へは、城西側の県道に標識があります。

 道なりに進むと突き当りが蒼龍寺さん、その右手に城の案内があります。

 

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 こんな感じで墓地の脇に案内板があります。

右手の森に南酒出城の遺構が残ります。

 

案内板の内容を引用します。

 

南酒出城跡

 

所在地 那珂市酒出

築城年代 天正末年

築城者 佐竹氏

 

※酒出の歴史の記述は省略

 

 現在残されている南酒出城跡は内宿集落より低く東に偏っており、南酒出氏(佐竹氏分家)の城ではなく、額田城を攻撃するため佐竹氏が設けた付城・向城であったと考えられる。

 天正17年(1589)江戸重通は佐竹氏の支援を得て、額田小野崎昭通と戦ったが和睦した。

 

 秀吉の天下統一後の同19年(1591)佐竹氏は額田城を攻撃して落城させ、昭通は伊達氏を頼って落ち延びた。

 

 城は南の谷に沿った台地辺縁部にⅠ郭、Ⅱ郭、Ⅲ郭と東西に90m、南北60mの連郭式城郭の構えで造られている。

 Ⅰ郭の北の堀とⅡ郭の西の堀は屈曲し横矢かかりとなっている。

 

 城の北の蒼龍寺周辺もⅤ郭となり、城の北のⅥ郭との間には堀が東西に掘られている。

 平成25年3月

 那珂市歴史同好会

 

 案内板は地元の教育委員会が書かれる事が多いのですが、こちらは同好会によって書かれいるのが珍しい。

 

 南酒出城は、佐竹氏のよって額田城攻めのために築かれた臨時の陣城とのですが、 1591年と言えば前年の小田原北条氏攻めが終わり日本国内は安定した時期。

 佐竹義重 による一連の粛清と言うのでしょうか、この時期の行動は結構えぐい感じ。

 

 

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 さてさて、こちらは現地の案内板縄張り図。

 Ⅰ郭とⅡ郭を囲む空堀が現存する主な遺構になります。

 

 縄張り図の下(南)から右(東)にかけては段丘下面の低地で、こちらから城に攻め寄せるのは困難であったと思われます。

 

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 城の立地が重要なので航空写真に段丘崖線をオレンジ色で塗り込みました。

 
 緑の丸が南酒出城、台地から突き出た岬のような地形を利用して築かれているのが判ります。

  右側の赤丸が額田城の位置。 額田城は次回紹介します。

 

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 うんちくはこの位にして、さっそくお邪魔しましょう。

 

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 森に入る前に振り返ってⅣ郭全景を撮影。

 現在は耕作地化され城らしい雰囲気は残ってません。

正面の建物、木崎浄水場の脇に車は停めさせてもらいました。

 

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 森にはいると現れるⅡ郭土塁線です。

 

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 浅くなってますが空堀も備えてます。

 現状で土塁の高さは人の背丈程度、元々浅く造れていたかもしれません。

 

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 Ⅲ郭は民家があるのでパスします。

 

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 早くも 郭Ⅰ にお邪魔します。

 

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 郭Ⅰの平虎口。

 陣城にしてはかなり本格的な空堀に土橋を渡してあります。

 

 

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 土橋上から空堀を撮影。

 

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 土塁上から郭Ⅰ内部を撮影。

 陣城という出撃拠点の性格を表すように各郭には大面積が確保されてます。

 

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 郭Ⅰの天然の段丘崖面を利用した南側切岸。

 この面からよじ登るのはほぼ不可能な程の急斜面。

 

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地面が少し凹んでますが、 良く解りませんでした。

 

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 郭Ⅰの空堀を外側から観察します。空堀の深さは5mは超えるでしょうか。

 かなりの規模の空堀に、ここ本当に陣城なんですか? 結構本格的な空堀ですよ。 と思えてきます。

画像は北西角部分で右端に土橋が写ってます。

 

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 そのまま堀底を歩き郭Ⅰの東側の崖線を目指します。

 空堀の規模はこの辺りが南酒出城の最大でしょうか。

 

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 崖下に至ります。

 足元がぬかるんでいるのが判りますか?

 

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 おちよ桜跡地方面と書いてあるので、とりあえず道なりに・・

 

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 小規模ですが細長い田切地形のような所ですね。

両側は段丘崖線で谷底を進む印象です。

 南酒出城の2方はこの天然の空堀(水堀?)によって守られています。

 

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 ここ、砂利道を一歩外れると足首までずぶずぶ・・と沈むんです。

 枯草で乾いて見えますが足元は湿地帯です。

 

 実は、城巡りで常々感じていたことがあって、「天然の水堀」と頻繁に説明される低湿地を利用した防禦線は、乾燥する冬場には堀としての機能を失っていたんじゃないの?

 という疑問。(関東平野は極端にカラカラですので)

 

 それが、南酒出城の湿地を考えると水源さえあれば冬場もしっかり湿って容易には突破できない障壁となり得るように思えてきました。

 

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 そんな妄想しながらおちよ伝説の桜跡地まで到着。

 ただし ここも足元が沈むので近づけません。

 

 

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 谷の最奥部にあるため池。

 ため池が無ければ乾燥する冬季には地面も乾くのでしょうか。

 

 南酒出城の評価は 3 とさせて下さい。

 技巧的な虎口や凝りに凝った縄張り等はありませんが、それは陣城という城の性格を考えれば納得でしょう。

 郭Ⅰを囲む空堀は特に規模も大きく見ごたえがあります。

 城域の広さはからは、佐竹氏の動員力の強大さが想像されます。 無名の城跡ですが侮れない遺構を持っているのがこの南酒出城です。