稲倉城
訪問 2020年 3月
駐車場 無し(路駐可)
案内板 有り
今回も松本市北部の山城紹介です。
引き続き、どしどし長野お城紹介と・・いきたいのですが実は長野お城ネタはここで打ち止めです。
稲倉城等を訪問した2020年3月は、コロナ禍初期の感染爆発直前という際どいタイミングでした。
訪城直後に緊急事態宣言が発令され、そこからはご存知のように怒涛のコロナ禍がスタートした訳ですが、いやはやもう3年も続いているんですねぇ・・
初期の頃はマスクや消毒用アルコール消毒が店頭から消え、そして何故かトイレットペーパーまで入手困難になりましたね。
改めて思い返すと不思議なもので遥か昔にも感じられます。
コロナ禍は趣味のお城巡りにも影響があり、長野などの遠征を控え近隣の南関東エリアばかりを巡ってましたが、自粛が解除されても一旦狭まった行動範囲は容易には戻らず今に至ってます。
話が脱線したので、本題に戻りましょう。
前回の早落城から足を延ばして訪問したのが稲倉城です。
両城は近いと思ってましたら、稲倉城の支城が早落城のようです。
稲倉城 3郭切岸面
場所はいつものようにグーグル先生にお任せ
稲倉城へはR254から稲倉峠へ向かう林道を進みます。
ちなみに
稲倉城と書いて「しなぐらじょう」と読むそうです。
現地に適当な案内文が無かったので松本市HPのリンクを貼っておきます。
稲倉城の歴史に興味のある方はそちらをご覧ください。
では稲倉城に向かいましょう。
林道を進むと獣除けのフェンスがあります。
立ち入り禁止ではないので、開けてたらフェンスを閉めて進みましょう。
このヘアピンカーブの所に稲倉城の案内板と駐車スペースになってます。
本来は林業関係の作業スペースかも?
まぁ一般の訪城者にも開放されていると判断して脇に車を停めます。
林道脇に現地縄張り図。
左ルート右ルートがあるようですが
稲倉城入口↑ に従うと自動的に左ルートを選択します。
右ルートは看板から離れてちょっと判り難いですね。
左ルートですが
暫くは稲倉城のある稜線下部を水平に移動します。
その途中には謎の? 石積み遺構が続きます。
かなり大規模に普請され、更に郭のような平坦地を伴っているので城郭遺構とも見えますが・・どうなんでしょうね。
さて
ルートはここから谷筋を一気に登ります。
この谷底も一部人為的な地形が残ってます。
山肌の斜度はこの位の険しさ、山城らしい感じがしますね。
ルートはやや踏み跡が薄いものの見落とす程ではありません。
ほどなく稜線が見えてきました。
稲倉城の主要部はもうすぐそこ。
見えて来ました。
ここは主郭と2郭を隔てる空堀ですね。
ひとまず主郭からお邪魔します。
尾根筋を幅広く削平化して平坦地を確保してますが、地山の登り勾配がやや残されいます。
ここから主郭の最奥部。
岩が目印。
郭は狭くほぼ地山のままでしょうね。
物見台か背後搦め手に備えたように一段高くされてます。
振り返って主郭全景を撮影。
それなりに兵力を収容できる面積が確保されてます。
こちらは主郭背後を守る堀切を見降ろして撮影した所。
そして堀底。
反対側から堀切を撮影。
岩盤を削った堀切でしたね、これだけでも登って見る価値ありですね。
さて、ここからは2郭3郭と移動します。
こちらは最初に見た主郭と2郭を隔てる空堀。
稲倉城が現役の頃は石積みで固められていたのか、それらしい石が残ります。
堀底から撮影。
堀底はかなり埋没してますが良く残されてます。
堀底はそのまま斜面を下る竪堀になります。
2郭側から空堀を撮影。
土塁を掻き揚げて、堀の深さを稼いでます。
このあたりは平地の平城のような普請ですね。
2郭と言っても、郭内部は幾段かに別れています、また斜面には段郭も残り平坦地の確保に留意された事が窺えます。
3郭方向を見て2郭全景を撮影。
郭内部には高低差がありながら全体としてはかなり広い面積が確保されてます。
3郭のある小ピークが見えてきました。
3郭が稲倉城では最も標高があるかもしれません。
2郭と3郭を隔てる空堀とその解説板。
解説文にもあるように空堀はそのまま斜面を下る竪堀へと連続します。
堀底から3郭を目指します。 稲倉城で唯一の鎖場。
3郭内部全景。
郭内部は小ピークを少し削っただけの狭い郭に過ぎません。
が、南側の眺望が抜群でここは物見台も兼ねていたのかも?
3郭から南西側の眺望を撮影。
画像左端中央に早落城があります。
画像右側には伊深城もあるのは判ってますが・・どの山ですかね? どちらにしても城郭密集地帯を実感できる眺めでした。
所要時間 1時間半
稲倉城の評価は 4 とさせて下さい。
案内板もアプローチルートも整備されており訪問し易い山城遺構といえます。
稲倉城は、前回の早落城と違い本格的に山の稜線上に普請された「山城」にも関らず、郭面積の広さや石積みの痕跡、岩盤堀切など相当な土木量を投下して築かれた事が窺えます。
今回時間の関係で3郭の先端部は未訪問の為、機会があれば再訪したい城郭の一つとなりました。