では
小野路城・奈良ばい谷戸1 の続きです。
地図に再登場して頂き
余湖さんのHPからの縄張り図にも再登場してもらいます。
井戸の脇を過ぎて、「郭1」の東側を目指します。
井戸側から見上げた「郭1」の稜線上の段郭
井戸北側を見下ろして撮影。
前回触れた小野路城テーブルマウンテンに築かれた説の説明用に撮ってます。
実は、崖地形は基本的に藪々で写真で伝わるアングルはほぼありません。
こちらは「郭1」東側の緩斜面。
ほぼ自然地形と思わるやや傾斜した平坦地。山城でこれだけのスペースが確保できるのも小野路城の特色でしょう。
そのまま東側に歩くと左手に分岐があります。
直進は東側の尾根道へ続きます。
一旦直進し
東端部の堀切を城外側から撮影。
散策路の整備や風化によって現状はかなり浅くなってます。
こちらは「郭1」を緩斜面南東側から見上げて撮影。
画像正面奥に「郭1」の土塁線が見えます。
「郭1」は事実上主郭ですが、このアングルでは無防備にさえ見えますが・・が
振り返るとテーブルマウンテンの崖地形という天然の防衛線が控えています。
さっきの左分岐を下ってみます。
尾根道から崖下に降りられるようです。
荒れた竹林を通り抜けます。
この尾根には堀切などの明確な遮断線は見られません。後年埋められたようにも思えないので元から設けられてなかったのか?
竹林側は例の崖地形で人が斜面を登り降りするのは難しそう
降りた先は「万松寺谷戸」の最奥部。
足元の地形は谷戸の水田より一段高く小野路城の郭とも考えられそうです。
「万松寺谷戸」は都内とは思えない里山の風景が残されています。
ほんの数百メートル北は多摩ニュータウンですよ、あっちも開発前はこんな光景が広がっていたのでしょうね。
里山の証拠? に
日本の国鳥様の歓待を受けました。
全然逃げないんで人慣れしてます。
歓待を後にして「郭1」に向かいます。
さきほどの緩斜面を登り事実上の主郭である「郭1」へ進みます。
正面に低い土塁線が見えています。
正面虎口手前で「郭1」の土塁線(画像右側)と空堀を撮影。
空堀はほぼ埋没してほぼフラットな地形になっています。
空堀判りますか?
土塁と空堀で明確に郭として区画されているのはこの「郭1」のみ。
井戸に面した北側に残る土塁線。
このラインだけ土塁の規模が大きく普請されてます。
土塁線より「郭1」内部全景を撮影
訪問時は、案内板の設置工事中でした。お城の解説文でも掲載されているのかも
奈良ばい谷戸 編
小野路城からの帰りです。
同じルートで駐車場へ戻るのもつまらないので、北側尾根線を辿って戻る事にします。
幅の広いなだらかな尾根を下ります。
谷を渡ると散策路が丁字路になります。
左手を撮影すると
「奈良ばい谷戸」が一望です。
奈良ばい谷戸 方面へ進みます。
読みは 「なら ばい たにど」のようですね。
一般的には「谷戸」書いて読みは「やと」だと思いますが。
谷戸とは、小さな谷合の平坦地を意味し、古来より谷を流れる小さな水源を利用しての稲作が盛んであった地形です。
大規模河川が暴れる平野部が大々的に開発されたのは主に江戸期以降なので、小野路城が現役の頃も周囲には「奈良ばい谷戸」と似た里山の光景が広がっていたことでしょう。
とは言え、様々な紆余曲折を経て一旦は耕作放棄地と化していたようです。
現在の光景は自然環境整備活動があったからこそのようです。
その結果
ここが東京都町田市? ※町田は神奈川じゃありませんので・・
と 目を疑うような里山の環境が再現されています。
「奈良ばい谷戸」に沿った散策路を辿り戻る事にします。
現役の畑地もあったり
梅が咲き始めていたり
耕作放棄地もまだ少し残っています
この辺りは水田の再現ですかね。
稲藁は展示用に思えます。
「あぜ」を曲線に仕上げているのが懐かしさを感じさせます。
麓まで降りてきました
少し右を向くと
スタート地点が見えます(トイレの脇)
小野路城の評価は 4 とさせて下さい。
内訳は、小野路城で2 谷戸の散策で2 合わせて4です。
今回は、都内に残された貴重な里山と谷戸の自然を楽しみつつ、小野路城を堪能できる「二兎を得る」お得感満載の訪問となりました。
お城に興味がなくとも日帰りハイクコースとして万人にお勧めできるルートと言えます。
実際、ハイカーと思しき方が多く見受けられましたが、城を意識して散策されている方は私が確認できた範囲では皆無でした。
さて
小野路城の縄張りですが、派手な大堀切や巨大な空堀などはなく、また尾根道の堀切など一部消滅したと推定される遺構もあります。
堀と土塁で囲まれた郭らしい郭は主郭のみと、受ける印象はかなり地味。
しかし崖地形に囲まれた自然の要害地形を利用した小野路城ならば、特定の尾根筋を抑える最低限の普請でも城郭として成立できる点も考慮する必要があるでしょう。
可能な限り土木工事量を抑えるのも築城には必須の要素と考えれば、実に効率的な築城計画を練った結果の縄張りと言えるでしょう。
しかし最も特筆すべきは
都内の多摩ニュータウン近傍ながら、遺構を含め周囲の環境が全く損なわれず存在している点でしょう。
立地を考慮すれば開発により遺構は完全消滅し、ありがちな新興住宅地に城址の石碑がポン だけになっても全く不思議ではありません。
城が現役であった中世期を彷彿させる光景、末永く保ってほしいということで
今回の小野路城・奈良ばい谷戸の紹介は終わります。