もう一度登場の現地縄張り図
東側の郭から紹介を続けます。
主郭から見た東側 2郭と3郭
主郭から東側に伸びる支尾根上に築かれています。
東2と東3の郭の境を強調してみました。
南側の郭から撮影した東3郭(左端は東2郭)
東3郭はなだらかな支尾根上にドーナッツ状の土塁と浅い空堀を巡らしたような造作になっています。
ちなみに撮影地点の南郭との間にはかなり深い谷でもって隔絶しています。
東3郭土塁線上から撮影した土塁。 復元も多少あるんでしょうか? ちょっと判断はつきませんでしたが、なんだか頼りない空堀と土塁の組み合わせ。
東3郭のより東側、城外側の尾根筋の様子。
このように尾根とも呼べない程の幅の広いほぼほぼフラットな地形が続いています。
北側の郭もそうですが、尾根上に位置する事による攻撃側の横展開の阻止には全く貢献しない地形なんですね。
出撃ならいいとして防禦には全く不適当にしか思えないのですが・・
同じく東3郭から主郭側を撮影。 正面虎口を持つ土塁奥が東2郭。
東2から主郭にかけては地形の高低差を利用して比較的堅固に作られています。
再び主郭に戻ります。
ここは東2郭と連絡する虎口付近から撮影した、杉山城南側郭の東端部の様子。
この辺りのアングルが杉山城のハイライトですかね。
土塁線の折れ(屏風折れというらしいです) 直線ではなくカクカク折れを設けた土塁が攻撃側に十字砲火を浴びせる仕組み。
反対側から同じ部位を撮影。
全く誰が考案したのか、芸術的と言っても差し支えない設計、特にこの杉山城は教科書的な模範例のような判り易さです。
こちらは井戸郭西下にある井戸跡。 井戸は大きな石で塞がれています。
最初に書いたように西側は尾根の展開がない為、山肌に幾筋も竪堀を入れて防禦力の強化を図っています。
これは横堀の土塁ラインに食い込む竪堀。 これだけはっきりと残る竪堀もなかなかお目にかかれないです。
こちらは南3郭外周部を巡る空堀と土塁ライン。
この辺りの堀はかなりの規模を持って構築されています。
南3郭から馬出し郭方面を撮影。 手前は南3郭へ繋がる土橋。
同じ地点より撮影した馬出し郭(右端)と外郭部郭 及びその間の空堀の様子。
馬出し郭奥に見える竹林の内部の様子。
緩斜面が麓まで続いていますが、ここは幾段かの平場に地形をならした形跡があります。
タケノコのにしては少し育ち過ぎですかね・・・
馬出し郭と外郭部郭の外側の様子。 画像右手坂を下って積善寺。
この辺りは元の地形が急勾配のようで、切岸面の大変険し堅固になっています。
こちらは南3郭と 南2郭を隔てる空堀。 撮影地点は南3郭で土塁上が南2郭。
堀は浅くて大変幅の狭いのが特徴。
同じラインの喰い違い虎口。
前回も少し触れましたが、南2南3と井戸郭を分割する堀関係は極めて小規模。
南2郭と井戸郭を繋ぐ土橋の様子。 撮影は井戸郭側より。
ここは本当に狭い空堀でして、ジャンプしたら渡れるんじゃないかと思う位(本当に飛んだら堀底に落ちると思いますが・・)
防衛ラインというよりも間仕切りに近いようなささやかな堀で、元々一つだった郭を後から分割したんじゃないですかね?
杉山城の評価は 5 です。
ある意味当然の評価ですかね、中世城郭の汎用例のような様々な要素をぎゅっと濃縮還元?したような縄張。
特に南側の郭群に見られる虎口の種類、屏風折れ、馬出し等々は城郭の要素を詰め込み過ぎにさえ思えてきます。
もっとシンプルにして堀や土塁を深く広く設けた方が使い勝手や汎用性に勝るように思えるのですが。
北側東側は逆にオーソドックスさが際立つ感じがします。割り切って構築したような印象。
考えれば考え程、な縄張りの意図が判らなくなってしまいますねぇ、まぁ私のような素人が解けたら杉山城問題 等は起きないですよね。