ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

川崎城 (栃木県 矢板市)

川崎城

 
訪問 2017年9月
 
駐車場 有り
案内隊 有り
 
 関東のお城、3城目の今回からは場所を栃木県に移します。 拙ブログでは栃木県は大変ご無沙汰の3年振り、いやぁ~久しぶりに巡りました。
 
 滅多に行かない理由は至極簡単で、この辺りの戦国史が混沌として良く判らない、という事。
 この辺りで戦国史を塗り替えるような重要な合戦や、キーマンと言えるような大大名や武将もちょっと思いつかないですし、地場の盟主と言える宇都宮氏ですら一般の知名度は極めて低いといえるでしょう。
 室町期から続く小競り合いを続けている内に、地方予選を勝ち抜き巨大化した大大名による全国統一トーナメント戦に乗り遅れた地域、と表現するのは言い過ぎでしょうか。(栃木の方スイマセン)
 
 さて、訪問した9月は夏の暑さも幾分和らぐ季節ですが、まだまだ山城は藪まみれで時期が早い・・では平地の城を攻めようか・・という単純な理由で栃木の6城を回りました。
 
  
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川崎城 主郭西側の横堀
 
とは言えですよ、いつも思うのですが栃木のお城は決してイマイチではないんですね。
 今回も掘り出し物を見つけたような気分で城巡りができました。 
 
  さてさて、前置きが長くなりましたが 川崎城の紹介に移ります。
 
 川崎城は東西を河川に洗われた細長い丘陵地帯を利用し築かれた城になります。
 西側は現在東北道が掠めていますがその先は山間部となり立地は平地と山地の境。
 その為、麓との比高はさほどでもありませんが東側に関しては視界を遮る物がなく眺望は大変良好です。
 地形的には河川と山地によって攻め寄せるルートが限定される守り易い占地となります。
 
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 東側から撮影した川崎城 城の東側は一面の水田地帯
 
 
 

 
 
 
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 川崎城へのアクセスは県道242号側から東北道のアンダーパス脇の案内板に従い側道に進みました。 
 道なりに進みますと公園駐車場が用意されています。
 
 
 
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駐車場にある案内図です
 川崎城は現在、城跡公園として整備がなされています。
 
現地の案内板の文言を掲載します
川崎城跡

 川崎城跡は、市民の人々に「城山」として親しまれていますが、古くは「塩谷城」などと呼ばれていました。
 この城は、平安時代末から戦国時代にかけて塩谷地方の北西部を支配した「塩谷氏」(※しおのや氏)の本拠地です。
 
「城山」と呼ばれるように城は、丘陵全体を使って造られた「山城」です。
 城跡の範囲は、北は城の湯温泉センターの西まで、南は北窪不動尊の「堀江山」と呼ばれる所までの、南北1500mに及び、東西は宮川と弁天川の間約340mです。
 
 城の主郭部は、城跡の中央やや南に位置し、東西44m、南北約160m程の三日月形を示しています。
 主郭部と東の宮川との標高差は、約47mで急斜面となっています。
 
 この城跡の築城者は、塩谷朝業と考えられています。
 朝業は、宇都宮業綱の二男で鎌倉幕府御家人として力を発揮し、将軍実朝と和歌を通じて親しくなりました。
 中世文学史に残る歌集「信生法師集」を残しています。
 
 また、朝業の二男時朝が笠間城主となっていることから笠間市姉妹都市になりました。
 城跡には多くの梅が植えられていますが、朝業と将軍実朝が和歌を詠んだ句に梅を詠んでいることにちなんでいます。
 和歌の説明に多くを割いてますが、何も申しません。縄張りのウンチクは一部マニア以外には需要ないですし。
 ということで先入観なしで城を見て参ります。
 
 
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まずは駐車場から隣接する南郭を目指します。
 遊歩道の建設などによって地形の改変はあると思われますが、法面の急こう配から川崎城の要害性が伝わるかと思います。
 
 
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南郭ですね、三日月形の細長い郭。 案内板にあった歌集から和歌をの石碑が設置されています。
 
 
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 歌碑です。 お城の紹介ブログなので詳細は割愛します。
 
 
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歌碑の裏側にもう一段郭があります。
 
 
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南郭から直上の郭に移動します。
 坂虎口に見えますが、これは公園整備の際に造られたものでしょうかね。
 
 
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上段の郭の様子。 元地形の制約でしょうね、ここも三日月形の地形になっています。
画像左側の主郭方向は勾配のきつい切岸面が続くように見えます。
 実はこの切岸に仕掛けられた巧妙な罠が川崎城最大の見どころではないかと思うんですよね。それは次の画像になりますが
 
 
 
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郭を真っすぐ進み切岸が途切れた所で振り返って撮影した所。
 このように切岸と思えていたのは実は高土塁で、その奥に控える巨大な空堀を隠蔽する仕切りなんですね。
 ちなみに画像土塁の左手が郭、右手が空堀になります。
 
 
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反対側も撮影。
空堀は藪まみれになりがらも麓まで降りているようです。
 
 
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隠蔽空堀に降りて撮影。
 画像右手が高土塁。 左手が主郭になります。
この空堀は川崎城の西側、山肌を縦断するように彫り込んで普請されています。
 
 
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すぐに主郭には登らずに、堀底を北に進みます。
 どこまでも続く巨大横堀にクラクラしてます。
 
 
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堀を挟んで主郭対岸にある2郭が見えてきました。
 
 
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2郭側から空堀を挟んで主郭方面を撮影。 主郭は一段高く均されています。
 2郭内部は良く均されて居住性は良さそう。
 
 
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2郭の先に空堀を挟んで更に3郭があるのですが・・堀底に降りる木製階段が判りますか? 激しい藪の為、この先の散策を断念。
 
 
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寄り道が多くなりましたが、ここで主郭へお邪魔します。
 
 
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主郭内部の様子。
 ゆるやかな凹凸はありますが丘の頂上部を良く均してあり、まとまった面積を確保しています。
 
 
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主郭西側に残る土塁。 かなり風化してますが幅の広い土塁でした。
 
 
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土塁上から撮影した空堀と目隠し土塁。
 これだけの規模を誇る横堀を山肌に巡らせた労力はいかばかりであったか。 人力で掘ったとはちょっと思えない規模です。
 
 
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こちらは主郭東側方向の様子。 土塁らしきものは明瞭に残っていませんでした。
 
 
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東側を見上げて撮影。 よじ登るのは容易ではない程に切岸面は削り込まれてます。
 
 
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山城としては低い比高ながら抜群の眺望が堪能できます。
 
 
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主郭北東側にはこのような一段下がった小郭があります。
 これは小郭から主郭方面を撮影した所。
 
 
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小郭の先端には実に怪しげな土橋が延びてまして、もうこれは進むしかありません。
 
 
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土橋の脇には例の巨大空堀が流れてきてます。 
しかしどのアングルで見ても豪快に堀り抜いてますね。
 いまさらですが、堀底は当時から箱堀形状だったんですかね?
 
 
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土橋の先は5m四方程度の極小規模の郭があります。 その先と横は空堀
 空堀に進む敵に射撃を浴びせる役割を果たしていた郭と推定、実に芸が細かい仕上げ。
 
 
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振り返るとこんな感じです。
土橋には凹みが設けられており、万が一占領されてもここで敵を食い止めるつもりだったのでしょうか。
 

川崎城の評価は 4 とさせて下さい。
 
 高速道路建設に伴って削られて部分や、藪で探索を断念した所もあり全てを見られたわけではありませんが、ひとまず豪快な空堀は一見の価値があります。 
 細かく横矢だ虎口だと工夫を凝らすような指向ではないのですが、その代わり大振りで豪快さを持つ特徴的な城郭に思えます。
 
 画像でも判ると思いますが要所要所は丁寧に草刈りがなされており夏場の訪城も十分可能な点も高評価です。