ではでは小谷城2の続きと参ります。
今回で小谷城編も最終回です。
三度登場の縄張図。
(23)番の「大嶽」オオヅク からスタートします。
所で今気が付きましたが 嶽の字が間違ってましたね。
岩尾で小休止してからも急坂は続きます。
9月なんで日中はまだかなり暑くなるんですね、再び汗が吹き出しひぃひぃ言いながらも半分意地になって登ります。
心が折れる手前で見えてきたのが大嶽の案内板。
手前には浅くなった空堀があります。
その空堀の様子を撮影・・・まぁ藪です。現地に行っても大体この辺りが堀なのかな?
と思える程度。
周囲を浅くなった空堀に囲まれているのでこの平場が大嶽の中心という事なのでしょう。
案内にもありますが、初期の小谷城はここから始まったらしいですね。
麓からは比高400mは超えますので山城とは言え異例なほど険しい立地になりますね。
だいぶ焼けてますが解説板です。
図と現地の様子を対比するには藪が酷すぎ。
堀を挟んで奥にも舌状の郭が。 大嶽は色々併せるとかなり広い削平地が確保されています。
山頂を奪取されると両尾根部の連絡が遮断される恐れもありますのでそれなりの人数を収容していたのでしょうか。
南西側?の空堀は明瞭に確認できます。
南側の空堀の様子。 幅を広く確保しているので腰郭と土塁かも知れません。
土塁から下段に降りてみます。
下段の郭。若干すり鉢状になっていますがここもまとまった面積を確保した郭です。
石積みで補強されている土塁線。
大嶽は古い時代の遺構という事ですがここの石積みは中枢部の石積みと比較しても遜色のないレベル。 と言いますかこっちの方が好みかも。
しばらく自然地形の尾根道を下って(24)番の「福寿丸」に到着。
福寿丸も織田軍の脅威に備えて朝倉氏によって普請されたと伝えられています。
郭内部の様子。 画像は福寿丸の図右側にある二重空堀付近。
「月所丸」同様に実戦的な雰囲気を持っています、戦時急造型とでも呼びましょうか。
土塁から郭内部を撮影。
虎口導入部に工夫が見られるものの郭内部の面積はこの画像程度。
一個中隊も駐屯できたらせいぜいと言った所でしょうか。
虎口から城外側を撮影。
堀底は堆積物で埋まってますが元々さほどの規模では掘られていたようには思えません。
尾根道から迫る織田軍を阻止するなら尾根を遮断する大堀切を幾筋も彫り込んだ方が費用対効果が高いように思えるのですが、ここはあくまでも郭の普請なんですね。
清水谷を挟んで小谷城中枢部を撮影。
次は(25)番の「山崎丸」になります。
既に大嶽から1400mも尾根道を下って来たらしいです。こんなに歩いたお城は初めてですね。
「山崎丸」設置の案内板。
内部で2段に別れていたり、虎口が複雑に折れながら郭内部に導入されている点が特徴的ですが、郭の寸法は福寿丸と良く似ています。ほぼ同じコンセプトで築かれたと言ってもいいでしょう。
下段郭外側から「山崎丸」内部へお邪魔することにします。堀のラインに折れを持たせてはいますが、福寿丸同様に空堀は小規模。
内部虎口導入部・・だったと思います。山崎丸内部の画像と記憶が一致しません。
郭内部から撮影した尾根上側に位置する土塁。
その土塁線から尾根上の郭外側を撮影。
土塁は2線巡らせてあります。
更に尾根道を下ると獣除けフェンスで山道は終わり、その先は舗装路になります。
麓の集落と虎御前山が間近に迫ります。
麓に降りたらそのまま虎御前山も攻めようかと・・ほんの一瞬思いましたが体力的に無理無理。
更に降りると鳥居に出ました、長い長い小谷城巡りもこれで終了です。
所要時間 4時間半
小谷城の評価は 5 です。
半日費やして一巡りしましたが、清水谷はてつかずのまま。本丸周辺の郭群もさっと見ただけなので腰郭などはほぼ全てスルーしております。
いずれ再訪する機会に恵まれれば一日かけてじっくり見て回りたいですね。
それにしても壮大な規模を持つ城郭です。援軍が期待できるにしても浅井氏の動員力ではちょっと守るのが難しいのでは? と感じたのですがどうでしょうか。