ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

葛尾城 (長野県 坂城町)2

 葛尾城1の続きと参ります。

 

f:id:kurokuwa:20200505233513p:plain

 再び登場のルート案内。

 今回は山頂部の葛尾城本体を中心に紹介します。

 

 

f:id:kurokuwa:20200505233550j:plain再び掲載の余呉さん縄張り図。 

左下の段郭群を登り、東屋のある主郭を目指します。

 

f:id:kurokuwa:20200510223030j:plain

葛尾城1で最後に掲載した段郭群はまだまだ続きます。

 

f:id:kurokuwa:20200510223044j:plain

 急に開けた郭に出ました。

 余呉さん図の2又は3の郭か。

 

f:id:kurokuwa:20200510223100j:plain

 そして巨大な切岸面。

 足元は堀切とルート分岐の案内板。

 

f:id:kurokuwa:20200510223113j:plain

 千曲市磯部方面が「岩崎城」ある尾根道なんでしょうね。

 五里ヶ峰方向の切岸を登ります。

 

f:id:kurokuwa:20200510223159j:plain

 切岸の先は葛尾城主郭部。

 山城なので主郭といってもこの程度の広さ。

 

f:id:kurokuwa:20200510223250j:plain

 随分登りました。 汗で全身びっしょりです・・

 

 

f:id:kurokuwa:20200510223316j:plain

 主郭東側の切岸面。良く削り込んでますね。

 この下に「遊歩道近道」のルートがあります。

熱中症予防の為にも 東屋でしばし休憩をとります。

 

f:id:kurokuwa:20200510223355j:plain

 東屋には葛尾城主郭部の縄張り図が掲載されてました。

 現在位置の場所がずれてませんかね?

 

葛尾城の解説文を転載します。

 

 

 

指定  昭和49年1月17日

所在地 坂城町大字坂城

 

葛尾城跡

 

 ここは戦国時代に、武田信玄と戦った村上義清が本拠としたことで有名な山城です。

 

 山城は 慶長5年(1600)の関ケ原合戦のころまで使われたので、現在残っている地形は義清時代そのままのものではありません。

 

 山城は尾根の最も高い所を平にして(主郭)、人がこもれるようにしてあり、その周囲に次々に平な場所(郭)を造成してあります。

 

 一部の郭の周囲には防禦のための土塁や、尾根を切るように堀切が設けられています。

 

 北側や南側から主郭を見上げると、この山城にいかに多くの人の手が加えられているかが判ります。

 なお、南側には姫城、西側の尾根にも多くの山城遺構があります。

 

 これらは葛尾城とつながりを持って造られたものです。

 

平成7年3月

 長野県教育委員会

 坂城町教育委員会

 

 

 

 

f:id:kurokuwa:20200510223421j:plain

 東屋にはお城の専門用語の解説があちこちに掲示されてます。 

 これが結構判り易いく説明されてます。

葛尾城に訪れた一般の人(マニアじゃない人)にも今残る地形こそ貴重な遺構そのものである事が伝わるのではないでしょうか。

 

f:id:kurokuwa:20200510223432j:plain

 さて、こちらは主郭から東側の眺望を撮影した画像。

 

 まさに絶景。

 

 正面の横に広がる山塊の向こうが上田城やら旧真田町の方向です。

 思えば当時、このような小さな盆地ごとに領主が存在して、おのおの合従連衡を駆使して小競り合いを繰り返していたんですねえ。

 

 外から来た人間からは雄大な景色と映りますが、ここを守る立場で考えたらどうでしょう?

 山に囲まれた小盆地に閉じ込められている様な閉塞感を持ったかもしれないなぁ・・と 少し当時の守兵の気分に浸ったおりました。

 

 

f:id:kurokuwa:20200510224310j:plain

 パンツまで汗でぐっしょりで座ってましたので。

 座り込んでいた所の水分か塩分を補給しているんでしょうかね?

 

f:id:kurokuwa:20200510223504j:plain

 東屋で休憩して、体力が回復したので主郭北側に向かいます。

 

f:id:kurokuwa:20200510223544j:plain

 主郭北側を守る2重堀切を上から撮影。

 

f:id:kurokuwa:20200510223603j:plain

 逆に撮影地点を堀切側から見上げて撮影。

垂直に近い切岸面で主郭の北側尾根筋を厳重に遮断してます。

 

f:id:kurokuwa:20200510223624j:plain

 2重堀切の先にある小郭。

 

f:id:kurokuwa:20200510223639j:plain

  この先は、巨大堀切によって何重にも尾根が遮断された、堀切天国が待ってます。

 堀切には幸いにも階段が設置されてます。 

 

 階段を歩く事で、歩行によって遺構が削られる事も防げますしこれは良いですね。

 

f:id:kurokuwa:20200510223656j:plain

 堀底から見上げて撮影。

 

f:id:kurokuwa:20200510223730j:plain

 堀切の説明もあります。

 

f:id:kurokuwa:20200510224227j:plain

 石積みで補強されていたような? 跡もあります。

 

 

f:id:kurokuwa:20200510223910j:plain

 階段があると堀切の深さが良く伝わりそうです。

 

f:id:kurokuwa:20200510223945j:plain

  尾根道と並行して崩落した石積みのような遺構が現れます。

 明らかに人為的に整形した石です。

 

f:id:kurokuwa:20200510224005j:plain

 その先には石積みで補強された土橋がありました。

 

f:id:kurokuwa:20200510224020j:plain

 脇に降りて石積みを撮影。

 これは葛尾城が現役の頃の遺構なんでしょうかね?

 ちょっと新しい気もしましたが・・

 

 

f:id:kurokuwa:20200510224040j:plain

  石積みを過ぎて土塁線を1本越えると、なだらかな尾根筋になります。

  この辺りからはほぼ自然地形でしょう。

 

f:id:kurokuwa:20200510224100j:plain

 尾根道に設置されていたであろう公衆電話の遺構?

なぜこんな山中に・・・

 

f:id:kurokuwa:20200510224119j:plain

 公衆電話の先は林道の終点とぶつかります。

ここにも案内板があるので、こちら側からも訪れる人がいるんでしょうね。

 

f:id:kurokuwa:20200510224142j:plain

路面の様子です。
 ここだけなら普通車でも通れそうですが、林道の路面状況はあてにならないので無理して車で入るのはちょっとリスクあるかもしれません。

 

 

 所要時間 4時間

 

葛尾城の評価は 4 とさせて下さい。
 

 真夏の猛暑日を訪城日に選ばなければ、4時間はも掛からずに一巡りできると思いますが、地山の斜度がとにもかくにもキツい。

 しかも直線の一本尾根で登るも体力が要るかも知れません。

 それなりに覚悟して登る必要がある本格的な山城です。

 

 山城の遺構としては、比較的堀切と段郭主体の比較的オーソドックスな縄張りですが、主郭周辺の土木量は解説にもあるように相当数を投下して造られていると思われ見ごたえがあります。

 訪問時期が真夏という事もあり、多くの遺構が夏草に隠れていたので見落としが多数ある予感がします。

 

 その点を考慮すると、草が枯れた時期に再訪が必要な山城になりそうです。