ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

八王子城 外郭部1

八王子城 外郭部

 
訪問 2018年 1月・4月
 
駐車場 有り
案内板 有り
 
 
唐突ですが今年は7年振りに八王子城を訪れました、しかも2度も。
 
 ご無沙汰していたのは、近くのお城はいつでも行けるので・・・と言う事にしてこの所、遠出の傾向が強かった事にあります。
 今年はこれを猛省し??  都内のお城訪問にも力を入れております。
 
 そこで再びの八王子城です。
 
 さて、八王子城の説明は今更必要はないと思いますが、築城者は後北条氏四代目統領である北条氏政の弟、北条氏照
 
 後北条氏と太閤秀吉との外交関係悪化のさなか、来るべき開戦に備え氏照は居城を従来の滝山城から西方の山間部へ移転する形で築城された、戦国末期に間違いなく築かれた大規模な山城という訳です。
 
 八王子城知名度はその悲劇的な落城のエピソードや日本百名城選定などもあり都内の城郭の中では群を抜いていると言えるでしょう。
 
 ざっとのルート解説は以前のショボい記事で紹介してますので、今回は7年前には訪れていない奥の方とか隅の方まで よりマニアックに 見てみよう! 
 というのをテーマに訪問しておりますので一般的なルートはそれなりに省略しますので宜しくお願いします。
 
 
イメージ 1

八王子城 太鼓郭に残る石積み遺構群

 
場所は以下のURLを参照して下さい。
 
 

 
 地図上の「八王子城」のマークは山頂部にある主郭の位置を示すに過ぎず実際の防衛線は遥かに広大。
 
 城域としては東は宗関寺の辺りから西は圏央道トンネルを越えて更に尾根を進んだ所までが八王子城になります。 
 
 立地とレイアウトは滋賀県小谷城との類似性を感じます。
 
 二つの支尾根末端部に位置する宗関寺付近に防衛線を築き内部の谷合の地ごと城域に取り込んでいます。
 
 実に広大なエリアを包括していた八王子城ですが、更にその外部にも出城と示唆されている城跡が幾つもあり、それらも含めれば八王子城の防衛ラインは更に広域に跨ることになります。
 
 
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7年前にも引用した八王子城縄張り図です。
 
 
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これに今回の散策ルートを加筆。
 
 赤が1月のルートで主郭後方の尾根部を中心に徘徊
 オレンジ色が4月のルートで主要部とは異なる尾根筋に築かれた郭群を徘徊
 
 所で、八王子城も7年前と異なる状況が幾つかあります。
 
 まずはルート上の黒×印は通行止めになっています。
 また主な訪城ルート以外はガイドの方同伴ではないと通行できない措置が取られています。
 
 
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ともあれ駐車場に車を停めて散策スタートです。
 
今回は、1月訪問の赤ルート、主郭後方の郭を中心に攻略します。
 
 
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隅とか奥の方とか言いつつもまずは麓の御主殿(氏照の居館跡と言われる)に立ち寄る事にします。
 
 
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川を渡ると巨大な土塁がお待ちかね。
 
 
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大手の門跡の遺構らしいです。
 
 
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川を渡って枡型虎口の防禦体制なんですが枡型が巨大なのでアングルに収まりきれません。
 
 
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土塁の法面には僅かですが当時の石積み遺構が残ってます。
 
 
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大手のすぐ脇には尾根上に展開する太鼓郭から竪堀が降りてきています。 
 
 
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御主殿へと続く復元木橋は架け替えられてます。
 橋の先、御主殿郭への動線の折れ具合もなかなか味わい深いものがあります。
 この辺りの石積みは復元になります。
 
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御主殿郭の内部はかなり変化してました。
 発掘調査の内容を反映した屋敷の礎石復元や屋敷の間取りの解説なども充実。
 
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建物の礎石跡。 
 礎石のピッチ幅が以前は掲示されていたのですが、記憶が確かなら現在の1間(1820mm)より少し間隔が広かったはず、江戸間というよりも京間に近い寸法。
 ちょっと専門的ですが当時は度量衡の全国統一の前なので この規格寸法は北条氏規格と言えるのでしょうかね?
 
 
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こちらは御主殿より一段低い位置にある「御主殿の滝」
 
 落城の際に城内の多くの女性が自決の為に飛び込んだと伝えられていまして、八王子城落城の悲話の一つとされていますが・・・
 すいませんがこれはフィクションではないかと想像してます。
 
 何故なら、この滝は城主氏照の居館があった御主殿よりも城外側にあり、より敵側の脅威に晒される位置なんですね。
 
 恐らく、滝に辿り着くには敵兵をかき分けてて進む必要があり、それはちょっと無理があるのでは・・と思えるのです。
 
 
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滝つぼばかりに目がいきますが、上を見上げると見事な石積み遺構が残されているのが判ります。
 これ、7年前は完全に見落としてました・・
 
 
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石積み遺構は この櫓台跡? の法面保護用でしょう。 
 この背後に御主殿の滝があります。
 
 
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御主殿から一旦引きかえして本丸方面へ続く尾根道を辿る事にします。
 
 
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鳥居を潜りますと、尾根道の新道と尾根下を並行する旧道に別れます。
 新道の辿る尾根上には金子丸の郭群が連続して控えています。
 
 
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が、今回は尾根下の旧道を進む事にします。
 本丸を目指す人のほぼほぼ全てが新道を進むのですが今回は敢えて旧道をチョイスします。
 
 旧道は尾根外側、つまり城の外側をなぞるように進むので当時の城攻めの気分を味わえるんですね。
 
 
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旧道から尾根上を見上げた所。
 
 急斜面の遥か上は金子丸のある尾根上の新道が見えます。
ここからよじ登るはかなり困難。
 
 勝手な推論ですが八王子城の特色はこの尾根自体を城壁に見立てている点だと思います。
 従ってこの尾根筋には堀切は設けられていません、と言いますか八王子城には山城ではスタンダートな堀切自体が少ない。
 
 
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ズームで撮ると、このように尾根上には石積みが延々と続いているのが判ります。 
この石積はもはや城壁と言えないですかね?
 
 残念ながら新道の尾根道を辿るとこの石積は足元で見えないので殆どの人が気づかないんですね。
 
 
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 途中省略しましてこちらは本丸手前のビューポイント。
八王子城山麓部は勿論ですが都心部のビル群まで一望できます。
 
 
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山頂の本丸跡は 思いきって省略して更に奥を目指します。
 今回は奥の方とか隅の隅を重点的に紹介するのがテーマですので。 
 
さてこちらは整備状況のお知らせ、本丸奥の分岐に標柱が追加されてます。
 
 分岐左手が最奥の伝大天守方面の尾根道。
 右側は作業道と敢えて書いてありますが伝無名郭方面へのルートになります。
 
 伝無名郭方面は道が険しいので観光客を通らせない措置として作業道と書いてあるのでしょうね。
 
 
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暫く進むと現れる伝、馬冷やしの大堀切。
 本丸と繋がる尾根筋を断ち切る為に設けられた圧倒的規模を誇る堀切です。
 このように要所には大堀切が設けられています。
 
 
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その先は伝大天守郭まで尾根道を辿る事になります。
 この尾根道には崩落した石積み遺構がふんだんに残されています。
 
 
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ちょっとしたピークには土盛りが施された跡が残ります。
 当時は櫓でも設けていたのか。
 
 
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途中で見つけた竪堀の跡。
 
 
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斜面に残る石積み遺構。 
 全体的にかなり崩落が激しくのぞき込まないと見落とします。
 
 
イメージ 29
伝大天守郭手前の尾根の様子。
 この辺りは石積み遺構が明瞭に残されています。
 尾根の左手、つまり城外側に積み上げてますね。
 
 
イメージ 30
振り返って撮影。
 
 
八王子城 外郭部2 に続きます。
 
 
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