沢山城(三輪城)
訪問 2022年5月
駐車場 無し
案内板 無し
引き続き、都内町田市の丘陵地帯に残る中世城郭を一つ紹介します。
「三輪城」とも呼称されるようですが紹介中は「沢山城」(さわやま城)で統一します。
城の歴史について
幾つかの説はあるようですがいずれも伝承の域を超えるものはなく、今回は割愛します。
その分 お城に行って、ありのままの遺構を見て あれこれ妄想しましょう。
沢山城(三輪城)主郭部の七面大明神
今回もグーグル先生に登場願います
周辺環境が判るよう画像データ仕様で表示してます。
周囲は新興の宅地開発が進みつつありますが、古い集落や畑地・林地などの自然環境も多く残る地域です。
北に鶴見川を望み、南隣の公園の名前からも「谷戸」地形を含む段丘面の多い複雑な地形であったと推定されます。
又しても「余湖さんのお城のページから」縄張り図をお借りしました。
沢山城の縄張り
段丘崖面を背にして主郭と思しき「郭1」と「郭2」を配し、その正面を守る「郭3」、唯一尾根続きの西側には「郭4」と小規模な段郭を設けています。
明瞭に遺構が現存し見学可能なのは「郭1」「郭2」となり、「郭3」の遺構はかなり曖昧な印象を受けました。
今回出城へは訪問してません。
沢山城へのルート
幾つかあるようですが、今回は「郭4」の西尾根端からお邪魔しました。
城域は私有地で、「郭1」の「七面大明神」社とその参道のみ開放されています。
素晴らしい遺構ですが
立ち入り禁止の指示に従っての訪問をお願いします。
うんちくはこのくらいにして早速訪問しましょう。
沢谷戸自然公園側から撮影した沢山城全景。
公園側は開発により元の地形は不明瞭ですが「谷戸」の谷地形の名残で段丘上に位置する沢山城を見上げる形になります。
近隣に駐車場はなく、車はこの辺りの分譲予定地の路肩に停めました。
入口の写真を撮り忘れた為、既に「郭4」に向かって緩い尾根道を進んでいます。
入口は「沢谷戸自然公園」の西側入り口の脇にありますが、何の案内も出てません。
地元の方以外の訪問はあまり歓迎されてないようですね。
「谷戸」の自然公園側を撮影。
段丘崖面の比高差によりこちら側から城に攻め寄せるのは困難でしょう。
尾根筋には浅い堀切を伴う段郭幾つかがありますが内部が墓地の為 遠慮して撮影。
このように通行見学できるのは尾根道のみ。
地主さんの好意で尾根道だけが解放されているようです。
あれですよ、虎ロープの先には足を踏み入れないようにしましょう。
フェンスと虎ロープ間を進むと「郭4」と「郭2」を隔てる大堀切に到達。
大堀切の中には入れませんが・・
堀切に大を付けたくなる規模で普請されているのは伝わるかと思います。
ちょっとした砦を想像して訪問しましたが、当初の期待を裏切る本格的な城郭遺構。
大堀切の堀底道は左手には進めるので「郭3」を目指します。
画像右手の「郭2」側切岸も本格的。
こちらは「郭3」内部から「郭2」方向を撮影。
「郭3」内部は立ち入り禁止ですが、「郭2」方面へのルートは解放されています。
「郭2」の手前の様子。
見事な切岸面の前ですが、それよりも団体での訪問や犬の散歩を禁止する注意書きが気になります。
テレビ局と何か揉めたんですかね?
地主さんのメッセージがありました。
三輪七面山は沢山城主郭「郭1」に残る櫓台と思しき土盛りにあります。
こちらは「郭3」と「郭2」を隔てる切岸面。
立ち入り禁止の為このアングルのみの撮影ですが、それでも切岸ラインの折れが確認でき沢山城の技巧性の高い縄張りを楽しめます。
また私有地の為か踏み荒らされるような事もなく遺構は良好な状態を保っていることが窺えます。
この先は、「三輪 七面山」 と呼称されるようです。
参道のみ散策可の「郭2」 通過するのみ
正面鳥居の先には
堀底道を挟んで「郭1」の鳥居と参道があります。
鳥居からのアングルが沢山城の一推しです。
これ
鳥居から堀底道を挟んで「郭1」を撮影。
お社の経つ位置は「郭1」の中で一段高く土を盛られ視界を確保しています。
周囲の屈曲された空堀の堀底はお社から常に監視される位置関係にあります。
堀底道に降ります。
今は堀底フラットですが、城が現役の頃はどうでしょうね?
ここで立ち入り禁止の案内が・・・残念。
よさげな遺構が続いるのでもっと奥まで見たい所ですが・・
別のアングルから
三輪七面山ですが、沢山城が現役の頃は主郭である「郭1」を守る火点でしょう。
お社側から「郭2」方向を撮影。
お社の裏側から撮影。
奥には進めませんが、堀切が見えますね。
見学できる範囲は以上です。
沢山城(三輪城)の評価は 3 とさせて下さい。
沢山城の紹介にサブタイトルを付けるなら
住宅地にひっそりと残る本格的な中世城郭。
こんな感じでしょうか。
沢山城は本当にひっそりと、それでいてしっかり残っています。
城の案内が一切ない為、事前知識がなければ存在には絶対に気づかないでしょう。
遺構の状態は
非常に良好な状態を保っており、現状の堀切や空堀の規模からも大がかりな普請が施された事が想像されます。
見学できる範囲が限定的なのは少し残念ですが、私有地を好意で解放している点を踏まえるとこれ以上は贅沢な要求と言うべきでしょう。
城址の公園整備化によって遺構が破壊される事例は枚挙にいとまがありませんので、今後も私有地としてひっそり残され続ける方が良いかもしれません。