三階城(安房城)
訪問 2022年 1月
駐車場 無し
案内板 有り
名は体を表す 3階建ての三階城
実験的に前回の神明城から冒頭にサブタイトル的な物を入れてます。
今回も茨城のお城紹介ですが 2階でもなく3階です。
妙な名前ですが別名「安房城」とも呼ばれるようです。
三階城の名前の由来は現地を歩き廻ればすぐに理解できます。
名前のまま3階建ての縄張り。
小さな独立丘に3段の立体的な縄張りを持ちます。
広義の意味で「円郭式」に含めてもいいでしょうし、立体円郭式と呼んだ方が三階城の縄張りを表すにはふさわしいかもしれません。
三階城 堀底道
場所はグーグル先生を参照ですが
やや入口が分かり辛いので
城の南側 県道2号からの案内です。
パチンコ店の手前の案内に従って脇道に入り
道なりに砂利道を進みます。
普通車でも問題なく走れます。
やがて、右手の雑木林に「三階城」の案内板が見えてきます。 目の前には駐車スペースはありません。
もう少し進むと、車1台分突っ込める場所があったので、こちらに停めて手早く見学する事にします。
案内板の付近見取り図
安房城(三階城)とありますね。付近の支城の位置も記されてますが今回はパスしてます。
縄張り図は ざっくり過ぎてあまり役に立ちません。
掲示された城の略歴を転記します
史跡 三階城(さんがい) 址
この城跡は鎌倉時代に築城された「安房氏」の居城にて、その西北部は三層の絶壁をなし、人呼んで「三階城」という。
近くに要害城・高野城と呼ばれる支城もあり、含めて「安房城」の呼び方もある。
※安房氏について
平安時代末期、 鹿島郡 北部 徳宿郷に進出した鹿島成幹は、その長子親幹を配して、「徳宿氏」を創設した。
二代目秀幹を経て3代めにおいて、長子俊幹を安房の地に配し、二子幹秀(朝秀)を烟田地区に配置した。
四子幹直は、「徳宿氏」を継承したという。
その後、俊幹の子孫相次ぎ応永年間(1394~1428)まで続いたが、宮ヶ先氏と共に「上杉禅秀の乱」に参加して一族滅ぶ。
のち、「鹿島氏」の老臣額賀大炊助がここにいた。 詳細は不明。
「新編常陸国誌」
昭和50年代に若干の現状変更があった。 以前には、土塁・古井戸もあったという。
うんちくはこのくらいにして 早速中に入りましょう。
案内板の脇から雑木林に入ると正面に3段目の切岸が見えます。
左手には切岸ラインを斜めに上がる(坂虎口?)の動線があります。
坂虎口を登ります。
3段目 郭内部を撮影。
左手は2段目の切岸ライン。 遺構は風化せずよく残ってますね。
2段目の切岸ラインに沿ってぐるっと回ります。
浅くなってますが、切岸際には空堀の遺構があり、画像左手が3段目の郭。
3段目の郭から 2段目を見上げて撮影。
切岸面はかなりしっかり造られてますね。小さな砦かと思えばちゃんとお城してます。
倒木のトンネルから2段目に上がります・・・
が この先は藪々々々・・
写真も全滅なので 省略します。
こちらは1段目(主郭部)であり三階城のある丘陵の山頂部です。
内部は平坦に均されてます。
が、こちらも藪が酷くほぼ歩けません。
下の段が少し見えたので撮影。
三階城の評価は 2 とさせて下さい。
3階建ての特徴的な縄張を写真では・・伝えきれてない感は非常に強く感じます。
また、藪が酷く見られる範囲はごく一部。
実際現地でも半分以上は想像しながらの妄想補正で「立体円郭式」を楽しんでいました。
と いう事で評価は若干辛めです。
比較的小規模な城域でさらっと見学はできるので、何かのついでなら立ち寄ってもいいかもしれません。