ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

新府城  の まわりだけ再訪

「能見城」を訪問したならば新府城にも立ち寄るのが正しい?

ように思えて12年振りに少しだけ再訪しました。

 

 

 実際は新府城真横の県道17号(七里岩ライン)を甲州街道の抜け道として利用してたので、通る度に復元工事の様子は見ていましたが。

 

 

 今回は少しだけの訪問なので、側(外部の堀だけ)の見学です。

詳細はごく初期の新府城の記事を参照してください。

kurokuwa.hatenablog.com

kurokuwa.hatenablog.com

 

新府城 北側水堀と低湿地跡

 

一応グーグル先生も載せます

 

 

せっかく新旧の画像があるので

 2010年と2022年の写真を並べてみましょう。

 

こちらは現地の案内

新府城の縄張りの特徴の一つとして挙げられるのは、この北の堀に突き出した2本の角状の「出構」と呼ばれる遺構でしょう。

 

解説では用途に関しては明言を避けてますが、見た所城に取り付く敵兵を横から射撃する陣地に思えます。

 

 

東「出構」2010年

 

東「出構」2022年

 

2010年の「出構」は先端が舌状ですが2022年では全体的に角ばってます。

以前工事中の場面を偶然見ましたが

 物凄く丁寧に角々に仕上げてて・・「やりすぎ」感がちょっと・・

現代の土木工事の基準で施工すると戦国風じゃなくて、土地の造成工事のようになりますね。

 

 

こちらは

東西の「出構」の中間付近で撮影した水堀と外側の湿地帯部分。 2010年

まさに復元工事中の雰囲気。

 水堀が浅くて狭いのは復元予算の関係で縮小されたのか、それとも当時の堀幅を忠実に再現したモノなのか?

 

2022年は、藪々で近づくことも叶いません。

 

 

こちらは

「出構」 2010年

 

 

「出構」2022年

ちょっとアングルが違いますが。

 

 

こちらは

「乾門」内側の舛型虎口 2010年

土塁は復元仕立ての新しさを感じます。

 

「乾門」内側の舛型虎口  2022年

12年を経て復元土塁が 溶けて きてませんか?

ちょっと低くなっているような・・・

 

 

 

折角なので

東側の「側」の遺構も見ることにします。

 

こちらは

県道17号沿いの新府藤武神社参道

 実はこの参道、県道からじゃないんです。

 

参道側から撮影。

道路挟んだ反対側には堀の遺構があり

 

堀の対岸から撮影した参道。

参道は水堀の堰堤? 状の土塁線の上を辿るように続きます。

 

振り返ると

まだ続くようですが道路工事の為 訪問時は立ち入り禁止でした。

 

 

他にも土塁遺構が残っているので訪問の際はこちらの参道へも立ち寄られるのをお勧めします。

 

 

おまけ

航空写真に周囲の史跡が表示されてました。

前回掲載した「能見城」と背後の防衛線も載ってますね。

 

 

古い航空写真では、能見城山の南斜面は耕作地化してます、地形の高低差は畑の跡であったことが判ります。

 防衛線の堀は北側斜面に残っているようですね、現状藪で入れそうもありませんが・・

 

 

今回は正式なお城紹介ではないので このくらいにします。

 

 

 

 

 

所で 新府城のそばを通り抜ける度に一つの疑問が浮かんでいました。

 

武田勝頼なんでこんな所に拠点を移転したのか? 

 

 

1. 現在周囲は果樹園が広がり集落もなく、当時も栄えていたとも思えず。

 

2. 水運に恵まれる事もなく4方に街道が通じている訳でもない。

  大河川はいずれも七里岩台地の下。 

  もっと言えば台地上は水源も乏しく多くの人口を維持するのは難しい。

 

3. 甲府から北西方向に拠点を移すにしても距離が中途半端。 

  先代の武田晴信時代から増えた信濃方面の領域を考慮すると、領地の中心軸へ寄せての移転は合理的ながら韮崎では甲府とさほど変わらないかと。

 

 

甲府市北部の躑躅ヶ崎館から周囲の反対意見を振り切って移転するほどの価値があるとは思えません。 

 ※地元の方スイマセン

 

 

 

 そこで邪推すると

本音は「諏訪」に移転したかったのでは? 

 諏訪なら、松本方面・東信・南信・木曾方面に出るに都合が良い立地。甲府方面にも出易いし、なにより本人が諏訪ゆかりなので。

 

 ただ諏訪への移転では甲斐に根付く古くからの家臣団の反発も予想され、妥協して中間地点の韮崎が選ばれたのでは? 

 

当然、韮崎の新府城では信州各地への連絡は諏訪より劣ります。

 

 しかし地図を見ると新府城から茅野辺りまでは八ヶ岳山麓がなだらかな地形として繋がり行軍を阻害する大きな河川もない。

 

例えばこの八ヶ岳山麓

「真っすぐに伸びる、棒のような道路」

があったら、新府城の地理的制約も抑えられるのでは?

 

 

と ややこじつけですが

次回は 八ヶ岳山麓に残る「棒道」の紹介編になります。