神明城
訪問 2022年1月
駐車場 無し
案内板 無し
じゃない方「武田氏」の城郭 神明城
2022年の正月休みを利用した茨城県北部遠征編に移ります。
さて 初回の神明城は、武田氏の築城と伝わります。
と
言いますか
一部マニアを除いて他の武田氏の知名度は地元を除けばほぼゼロでしょう。
甲斐国以外にも武田氏系列は全国各地に土着しており
主なじゃない方の武田氏は
若狭武田氏
安芸武田氏
関東なら 「武田信長」という何とも覚えやすい名前で有名な上総武田氏
この辺りが比較的有名ですが
茨城北部に土着した常陸武田氏と呼ばれるマイナー過ぎる武田氏も存在し、神明城の主はその常陸武田氏になります。
はっきり言ってマイナー過ぎてウィキペデイアにも掲載されてません。
辛うじて始祖の兄の記事だけは載ってました。
国道354号沿いに残る神明城遺構
場所と縄張りはグーグル先生にお任せ
写真仕様のマップで見ると、そのまま「神明城」の縄張りが判りますね。
場所は国道354号沿いとアクセスは極めて良好です。
少し話が脱線しますが
神明城から国道を1キロほど東進すると「木崎城」のピンが立っています。
同じように武田川に突き出した舌状台地に立地し神明城とよ~く似てます。
実は、「神明城」は、「木崎城」が築城される以前常陸武田氏によって利用されたと推定される城郭であり木崎城の方が知名度は遥か上。
普通は「木崎城」に寄って時間があれば「神明城」に立ち寄るでしょうね、神明城だけ見て木崎城を見ずに帰ってしまった人は余りいないでしょう・・・
さて、神明城に戻りましょう。
国道354号は城の南端部を横断してます。道路沿いに案内板の類はありません。
駐車場もないので適当に路肩に寄せて見学しますが交通量が多いのでゆっくりはできません。
漫然とハンドルを握っていると気づかずに通過する恐れが・・
でも
車道から切岸が見えるので お城マニアなら
あれだ! と気づきます。
こんなマニアックなブログに来る人なら問題なくピンとくるでしょう。
では時間がないので サクサクと見ていきましょう。
国道と直交する空堀の遺構。
交通量が多いので、車列が切れたタイミングで撮影。
ドライバーさん達、城を撮っているとは思わないでしょうね、不動産屋が土地の下見に来てるとか?
西側から、城の側を見て回ります。
切岸ラインが明瞭に残されてますね。
画像右手は、郭を隔てる空堀。
堀底がフラットな箱堀の形状ですが、廃城後の耕作地化による地形の改変も考慮する必要があります。
郭の上は畑作地。
土塁はありませんが廃城後の耕作地化に伴って崩されたのか?
周囲は水田なので季節を変えると城の輪郭がもっとはっきり分かるかもしれません。
空堀の中を歩きます。
切岸外面よりも堀底はやや高め。
神明城北端、武田川沿いに神明社と雑木林が残ります。
お社がひっそりと
背後には土塁が残されてました。
耕作地化された郭にも本来は土塁が巡らせてあったのかも?
武田川方向を撮影。 空堀が確認できます。
郭内部の虎口?搦め手の動線か 溝状の地形が。
この辺りが最もお城らしさを感じますね。
路駐した車が気になり出したのでこの辺りで神明城編は終了です。
神明城の評価は 3 とさせて下さい。
帰り際のさらっと見学の為ざっくりした解説になってますが、おおよそこんな感じでいい具合に残ってます。
適当なまとめですね・・
「神明城」廃城から500年近く経てますが、地形としてはっきりその痕跡を留めています。
こんなにはっきりお城してるのに案内板の一つもないのが不思議なくらいですね。
所で、その後の「常陸武田氏」ですが
同じ県下の「島崎城」2 で少し触れた
佐竹氏による国人領主粛清
いわゆる「南方三十三館」謀殺事件 に巻き込まれ領主としての武田氏は滅亡しているようです。