ちょっと山城に (正規運用版)

ヤフーブログからの避難民です

小野路城・奈良ばい谷戸(町田市)1

小野路城 ・ 奈良ばい谷戸

 

訪問 2022年3月

 

駐車場 無し(隣接小山田緑地P利用)

案内板 無し

 

 

奈良ばい谷戸に残る山城遺構

 

 年始早々から継続連載した八王子城シリーズではマニアック度が振り切れてしまったので一旦、他の東京都のお城紹介に戻ります。

 

今回は 

多摩丘陵に残る貴重な山城遺構「小野路城」

周囲の谷戸地形」に残る貴重な自然環境も併せて紹介していきます。

 

 

 では

簡単に小野路城の歴史を・・

紹介したいのですが、ここも山城あるあるで詳しい経歴が不明な城郭です。

 

 「東京都の中世城館」によると

 文明9年(1477年)3月長尾景春の乱に際して扇谷上杉氏「小山田」に拠点を構えたとあり、小山田がこの「小野路城」とも推定されるようです。

 

 この説が正しいならば、築城は15世紀後半、戦国時代初期。

 築城の発達を考えれば「お城 黎明期の山城」と考えても良さそうに思えます。

 戦国最末期に築城された八王子城より確実に100年以上は時間を遡り、お城の発達史を考える上でも貴重な遺構と言えます。

 

 

小野路城 主郭部 土塁線と空堀

 

 

 

場所はいつものグーグル先生・・ではなく国土地理院先生に来て頂きました。

地形、特に高低差を強調したい時はこちらに分がありますね。

高低差と言ったものの 小野路城の立地については、

多摩丘陵にありがちな低山・丘陵   

漠然と感じるかもしれません。

 

しかし

それでは半分正解に過ぎません・・もったいぶった言い方ですが。

その辺りの答え合わせはおいおい紹介するとして

 

  この地図に今回のルート赤→ と、おおよその紹介物件の位置情報を落とし込みました。

 

一応

訪問用に、グーグル先生マップも貼り付けておきます。

これだけでは入口が判らないので

 

 

訪問は小野路城から道路挟んで西側を目指してください。

ここ、 小山田緑地の駐車場に車を停めてから訪問しましょう。

www.tokyo-park.or.jp

車で訪城なら、この駐車場が最適・・と言いますか他に停める場所はないですね。

 

 

道路を渡って

 

水田の脇のここが小野路城への訪問口です。

実際は、小野路城用というよりも自然散策路の入口。

 

 

稜線まで登って振り返って入口を撮影した所。

 

散策路は綺麗に整備された尾根道です。

 

見事な竹林を過ぎて

 

NPO法人さんがこの一帯の自然環境の整備をされているようです。

 

なだらかな稜線ルートを進みます。

 

しばらく道なりに歩くと

切岸のような遺構が現れます。 

 微妙な地形なので写真では伝わりにくいですが

 

下手な線を入れてみました。

小野路城の範囲外と思われるので城の警戒ラインと考えていいと思います。

 

次第に

小野路城の遺構に近づいてきたので縄張り図を掲載します。

いつものように 余湖さんのホームページから借用させて頂いてますが。

西側から進んでるので、図の左端から尾根を鉄塔に向かってます。

 

画像正面奥に「郭3」が見えてきました。

 

「郭3」の前は高低差2メートル程度の低い切岸ライン

頼りない防衛線ですがこれで大丈夫なのか?

 

少し引きのアングルで撮影。

鉄塔のある平坦地は仮に「鉄塔郭」とでも呼びましょうか。

「鉄塔郭」はほぼ自然地形のままと思われます。

 

「郭3」切岸上から歩いてきた稜線を撮影。

切岸から見下ろしても比高が低く頼りなさを一層感じます。

 

本来はこの辺りに堀切でもあったのでは?? 

 と妄想してます。

 

こちらは「廓3」から切通し状の堀切を挟んで撮影した「郭2」の様子。

 

「郭2」の北側の脇道を辿って「郭1」の北側尾根筋を目指します。

 

「郭2」の北側にも「鉄塔郭」のようなほぼ自然地形の段郭があります。

段郭先端(写真左側)は崖地形になって容易に人を寄せ付けません。

 

冒頭に触れた地形の特色についての答え合わせが小野路城を取り囲む

この崖地形です。

 

 遠景ではなだらかな丘陵に見える地山ですが、実はテーブルマウンテンのような地形なんですね。

 

 山頂部のテーブル部分に小野路城は築かれており、城へのアプローチは何本かの尾根道のみ。

 従って、尾根に堀切などの遮断線を入れるだけでも城として成立する・・実に築城に最適な山です。

 

 

うんちくはこのくらいにして

こちらは「郭2」「郭1」を隔てる堀切(堀底道)の様子。

正面の「郭1」稜線部に限っては段郭を設けてます(看板裏側)

 

「郭1」の北端に向かいます。

右側の切岸面とその上の段郭群は、いかにも山城らしい遺構が残されてます。

 

北端部から「郭1」方向を撮影。

案内板の裏は段郭ですが、ちょっと写真では判り難い・・

 

北端部は、そのまま北側に伸びる稜線と繋がってます。

 

この稜線にも明確な遮断線はありません。

この辺りに堀切を設けたくなるのですが・・後世埋められたようにも思えます。

 

すぐ脇には井戸跡があります。

今でも湧水があり水源としての寿命は非常に長いですね。

 

 

長くなりそうなので

続きは 小野路城・奈良ばい谷戸(町田市)2  にて