では、早速続きと参りましょう。
今回はお隣の 松尾城です。
松尾城の主腰部は現在、松尾城址公園としての整備がなされています。
水路橋を渡って、一枚撮影。
対岸の鈴岡城との距離感はこんな具合です(適当な表現ですが)
お隣さんの両城ですが、双方の連絡には大きく迂回せざるを得なかったのでは?
水路橋の説明板を読みながらしばし休憩。
真夏に城址のはしごは駄目ですね、4城目で疲労が溜まってきております・・
松尾城の現地案内板を掲載します。
左側の赤い線は、鈴岡城から渡ってきた毛賀沢水路橋のだいたいの位置です。
ここで現地案内板の松尾城の説明を転記します。
長野県史跡 松尾城址(まつおじょうし)
松尾城は、松尾小笠原家の居城です。
段丘の端に主郭を設けており、背後は切り立った崖で守られています。
地続きの北西側には、何重もの深い堀で防禦を固めていました。
また、さらに北側に広がる南ノ原の台地にも家臣団の館があったことが分かっています。
松尾城の始まりは不明な事が多いようですが、南北朝時代に小笠原貞宗が居城したと言われています。
小笠原氏は武術・作法に秀でた一族で、室町時代を中心に、信濃国守護を務めました。
しかし、県内では深志(松本)・松尾・鈴岡の三家に分立し、信濃国守護職をめぐって争うようになりました。
松尾城は、鈴岡城と並んで小笠原氏抗争の舞台となりました。
天正10年(1582)、織田信長に攻められて落城し、天正18年(1590)、小笠原氏は本庄(埼玉県)に移り廃城となりました。
さて休憩もそこそこにして、早速松尾城中枢部に向かいます。
主郭と2郭を隔てる大堀切方向に至るはず。
長い坂道の途中、砂利道の分岐とその脇の階段に遭遇。
階段の上は、主郭から鈴岡城方向に延びる支尾根上の郭になります。
砂利道の先は位置的に本城エリアのはずなんですが・・実際には民家の庭先に出てしまったので慌てて撤退してます。
どうやら、公園には私有地も点在しているのか本城郭のように一般には入れない所もあるようです。
こちらは階段先の支尾根上の小郭の様子。
城址らしさは余り残っていないような。
こちらは主郭と2郭を隔てる大堀切がそのま毛賀沢川へ続く竪堀の様子。
大堀切の堀底は現在車道になっていますが、道幅と比較してもその規模の壮大さが分かるでしょう。
アングルを変えて
日差しが直接当たるので苦行のような坂道です
反対側からも撮影。
2郭側から主郭方向を見ながら撮影。
ちょっとくどいですが、松尾城最大の見所ポイントなので・・
階段上って主郭へ
この辺りはほぼ公園
主郭の様子、芝生広場の趣ですね。
2郭から追手口に向かいます。
車道両側が2郭と3郭を隔てる空堀
この辺りが追手口ですかね、車道で虎口の状況が不明瞭ですが。
車道右手の空堀。
左手の方が良く残ってますね。
では早速 堀底にお邪魔します。
堀底が均一に平坦なのは、後世の耕作地化の影響ですかね?
続きは竹藪で諦めました。
段郭にぽつんとブランコ
他に遊具は無く需要は不明・・
松岡城は 以上です。
3郭以下は私有地なので訪問は遠慮してます・・と 言いますか暑すぎて撤退です。
鈴岡城・松尾城 の評価は 3 とさせて下さい。
前述の松岡城・南本城 と比較しても規模縄張り共に遜色ない、むしろ本来は凌駕する程の城郭遺構ですが ね、評価は若干渋めにしてます。
あくまでも個人の感想ですが・・・城巡り目的で訪問すると一般的な公園としての整備が史跡らしい匂いを打ち消しいるのように感じてしまうんですね。
地元の方の利便性を考えると、遠方からぽっと訪問した者が意見すべきではないとは承知してますが・・