鈴岡城・松岡城
訪問 2019年8月
駐車場 有り
案内板 有り
更新に間が開きましたが(いつもの事・・)南信のお城紹介はここで一旦終了です。
ここまで紹介した南信の松岡城・南本城はいずれも河岸段丘に面した舌状台地を利用して築かれた城郭ですが、
松岡城 には 松岡南城
南本城 には 北本城
と、隣接した舌状台地にも城郭遺構があり、2本の舌状台地の遺構をもって、1セットの城郭と捉える事ができると思います。
今回の鈴岡城・松尾城もほぼ同じ占地で、毛賀沢川の浸食谷を隔て並立する舌状台地にそれぞれの城郭が築かれています。
にも関らず松尾城・松尾南城とならないのは元々の城主が異なるからかも知れませんが、その説明は後に現地案内板の解説に譲るとして、今回は南側に位置する鈴岡城の紹介となります。
鈴岡城 2ノ丸空堀
場所はいつものようにグーグル先生にお任せ
鈴岡城は城址公園として整備されているので迷う事はないでしょう。
元の地形図も補足として掲載します。
オレンジ〇が鈴岡城、赤枠が次回紹介予定の松尾城
ここで現地案内板から鈴岡城の紹介をします。
長野県史跡 鈴岡城址(すずおかじょうせき)
鈴岡城は、鈴岡小笠原家の居城です。
段丘の突端に主郭を置き、背後は「念通寺断層」により形成された段丘崖で守られています。
台地続きの西側には、幾つもの堀と郭で防禦を固めています。
特に、最大幅30mにもなる内堀と、2郭を取り囲む外堀は見事です。
鈴岡城の始まりは不明な点が多いのですが、南北朝時代に小笠原政宗が築いたとされます。
15世紀後半に政秀が在城してからは、伊賀良庄と信濃守護職を巡り松尾小笠原家と争いました。
明応2年(1492)と天文23年(1545)に、松尾小笠原家に攻められ落城しました。
信濃守護職「小笠原氏」のまとまりの悪さを象徴するような両城でしょうか。
いや居城が隣同士なので松尾小笠原家・鈴岡小笠原家 始めは両家の関係は良好だったのでしょうね。
松尾・鈴岡に加えて松本の深志小笠原氏 と、国中で鼎立状態の小笠原氏は、信濃の統制もおぼつかず戦国大名化に遅れ、いち早く国内をまとめた隣国甲斐武田氏の侵攻を受けます。
そんな小笠原氏が気になる方向けにウィキのリンクを貼っておきます。
現地の家系図も併せて掲載しておきます。
前置きが長くなりましたが早速鈴岡城の見学に参りましょう。
城址公園として整備されている恩恵で、トイレ付の駐車場が利用できます。
市民の憩いの場としては最適でも、郭内部の雰囲気はあまり出てませんね。
鈴岡城址公園の案内図です。
車は第四駐車場に停めました。
こちらが現地掲載の鈴岡城縄張り図。
バリバリに劣化して見ずらい事この上なし。
こちらは「2郭」こと 運動ひろば・いこいの広場。
城址を利用した市民公園の様相ですね、お城マニアには少し居心地が悪いかも・・
眺めは大変よろしいです。
麓との標高差から河岸段丘の要害性がよくわかります。
一旦 2の丸虎口(車道)を抜けて外郭部から見学する事にします。
史跡公園らしく発掘調査の掲示もあります。
2の丸外周部の空堀と切岸面は往時の姿をよく残してますね、写真右端の車道によって多少の改変はあるかもしれませんが。
この辺りはかなりいいですね、かつての空堀の規模がうかがえます。
外郭部の「外郭」(的場)に移動します。
写真は外郭(的場)から撮影した2ノ丸方向。
郭内部は第三駐車場とされてますね、臨時駐車場のような扱いなのか?
駐車場としての整備に伴い旧態からの改変の可能性もあるかと。
説明板もあり。
外郭(的場)外周部の空堀。
現状は箱堀の形状でかなりはっきりと残存してますが全く整備されてません。
こちらは外郭(荒小屋)と地続きの台地を隔てる空堀跡。
轍に雑草が茂る辺りが空堀の土橋?にあたります。
そしてその案内板。
縄張図よりもこの案内板の方が見やすいですね。
轍付近から撮影した空堀。
元々浅い堀であったのか、幅広のわりに浅い造り。
こちらは北側斜面の防衛施設の案内板ですが・・
全然わかりません。
そろそろ本丸を見学しましょう。
こちらは2ノ丸と本丸を隔てる空堀。
堀底はだいぶ浅くなっていると思われますが、堀の規模は伝わると思います。
脇に回り込むと、遺構はほぼ手つかずで残されてます。
お城らしくなってきました。
こちらは本丸内部の様子。
こちらは本丸の先にある出丸から堀切越しに撮影した本丸。
出丸と本丸は高低差を感じませんでした。
その堀切の案内板。
一つの郭を堀切で分断して本丸と出丸造り変えたように感じましたがどうでしょうか?
出丸内部の様子。
出丸の先は、毛賀沢川に向かって一気に下ります。
橋が見えてきました。
毛賀沢川の作り出した峡谷が深い!
こちらは、毛賀沢水路橋
水路橋は人道橋も兼ねてます。
対岸の松尾城に移動します。
高低差が判りますか?
天然の切岸であり水堀ですね、鈴岡城と松岡城はお隣ながら天然の水堀によって断絶されてます。
次回 松尾城の紹介に続きます。