それでは真壁城2と参ります。
再び登場の現地縄張り図。
前回、真壁城の歴史について触れてなかったので
現地案内板の内容を転記して真壁城の紹介とします。
真壁城は真壁久幹(まかべひさもと)によって築城されました。
桜川市教育委員会による発掘調査では、築城された年代を永禄年間(1,558~1,570)と推定しています。
真壁家は平安末期~中世に、桜川市南部付近を治めた平一族(常陸平氏)です。
1,602年には、真壁家が出羽・角館に移転して、真壁城も廃城とされました。
真壁城跡(国指定史跡)は本丸、二の丸、中城、外曲輪の4エリアに別れ、指定面積は125,000㎡程です。
遺跡全体の大きさは、館(だて)、陣屋、大手前等の周辺地域を含めれば、東西900m、南北700m、総面積250,000㎡程になります。
本丸は城の中心にあり、かつて城主が住んでいた場所です。
真壁城は、湿地(現在は水田)に囲まれた平地にあります。 本丸の堀は幅15~20mで、部分的に屈曲し、かつては大きな土塁を伴っていました。
鉄砲を用いた戦争では、周囲の湿地や、大きな堀と土塁が役に立った事でしょう。
本丸は1,981年に発掘されています。城内からは、土塁、堀、多数の柱穴等や陶磁器、土器、硯、武具などが出土しました(15~16世紀)。その後、本丸の発掘はありません。
しかし、外曲輪や中城では、庭園、門、道路、堀、土塁などが出土しました(15~16世紀)。 特に中城の庭園は真壁城の文化機能を示す、重要な発見となりました。
そして、城の西には城下町がありました。
城下町は、桜川市真壁伝統的建造物群保存地区として保存され、私たちは中世の町を歩く事ができます。
以下 省略
さて、一旦真壁城を外側から見てみましょう。
こちらは真壁城中城の南側を防御する土塁線の様子。
一直線に続く長大な土塁とその手前の水堀。
規模雄大な真壁城らしい光景です。
中城と外曲輪を隔てる空堀との直交部。
土塁の面が角ばっている点からも復元土塁と推定。
ここまで力を入れて土塁を復元しても、一部のマニアを呼び寄せる以外に観光資源としては活かしがたいと思われますが、ここは素直に感謝しましょう。
土塁面に埋め込まれた「真壁城」の巨大看板。
昔からありますね これ。
車道からも良く見えるんです。
外曲輪の虎口の解説板です。
位置は赤丸の所。
外枡形虎口の形状をしております。
クランク状の虎口から再び城内へお邪魔します。
虎口から外曲輪にお邪魔しました。
ひたすら広大ですね
そして日陰がありません・・暑くても逃げ場はなし。
こちらは復元土塁を城内側より撮影。
交差点を左折して中城方向へ
導線が舗装されているので、「折れ」具体が良く分かります。
土塁にぶつかって右に折れて、土塁線の手前を辿って虎口に至ります。
外曲輪と中城を隔てる空堀を渡る土橋上から撮影。
土橋から反対側の空堀も撮影。
堀の規模からも真壁城の規模が窺えますね。
中城にあった庭園の解説板。
位置は赤丸の所。
中城内部の様子と、外曲輪を隔てる土塁。
中城の土塁に登って、歩いてきた舗装路と外曲輪を撮影。
この辺りも復元土塁ですね、これほど大規模に復元化がなされた土の城も珍しいでしょう。
地元の意気込みですかね、それが伝わってくるようです。
真壁城3に続きます。