花園城
訪問 2017年 4月
駐車場 無(麓に路駐余地有)
案内板 無
単発ですが今回は埼玉のお城、花園城の紹介と参ります。 どうでもいいことですが花園という名前は全く軍事施設らしからぬ名前に感じるのですがどうでしょうか?
築城は在地勢力の藤田氏によるものとされていますが、最終的には鉢形城の支城網の一部を担っていたらしいです。
花園城 岩盤を削りだした堀切跡
場所は以下のURLを参照して下さい。
遺構が整備されていないのなら当然駐車場もありません。
訪問はこの花園城南側にある諏訪神社裏側からになります。車はこの手前に路駐させてもらいました。
桜が丁度いい具合に咲いております。
神社のお社裏側にある「花園城」への案内。
実は案内板はこれだけ・・鉢形城では道路標識まで建っているのにこの待遇の差は・・
そうは言ってもちゃんと道はあります。
途中 一瞬見える城下の様子。
縄張りは尾根の西端部付近に本郭を置き、東に向かって各郭を堀切で区切りる配置。
更に南側斜面には腰郭を複数巡らし竪堀を落とす事で横移動をけん制してます。
その竪堀も単純に堀切に接続するのではなく一旦クランクするという念の入れよう。
また本郭南側には横堀も掘ってあったりと極めて複雑な構成をもっています。
今回の訪城ルートを加筆。
諏訪神社から竪堀6辺りまでは一本道なのですが、其処から先は道が曖昧と言いますか、各郭方面への道が分岐しており縄張り図を持たずに訪城すると迷うかもしれませんよ。
竪堀6に到着。
堆積物で浅くなっていますが良く残されています。
この竪堀は竪堀7と並走しており、2重竪堀の構成になっています。
間には石積みの名残と思しき石が転がっております。
竪堀からちょっと寄り道しますと、尾根沿い下段郭にコの字方に組まれた石積み遺構が残ります。
平たく整形した石が丁寧に積み上げられています。
再び竪堀沿いに登ると切岸面にぶち当たります。
ロープが用意されているのでこれを利用して奥に進みます。
登る途中で横面を撮影。 ここにも石積みの遺構が残ります。
その先にある小郭。 奥が本郭または2郭方面。
藪に埋もれていますが膝の高さ程の石積遺構があります。 これは何か間仕切りの跡ですかね。
尾根沿いの花園城中枢部郭群を目指します。
石積み遺構が残りますが、ここは竪堀と連結する横堀を辿り、2郭3郭を隔てる堀切に到着して撮影した所。
先にも触れましたが、堀切は横堀と連結して堀底をクランク状に折り曲げた後に竪堀に落ち込むような複雑な構成をもって普請されています。
更に進んで堀切の真ん中で撮影。
2郭内部にお邪魔します。 うーん藪がひどい。
先の堀切と接する面には土塁跡も確認できました。散乱する石ころは石積み遺構の名残でしょうね。
こちらは、2郭と本郭を間仕切る堀切・・これが凄まじいことに岩盤を垂直に削り込んで造られいるんです。
石積みの石はここから切り出されてんでしょうか、とにかく花園城の必見ポイントですよ。
こちらは本郭南側に残る石積み。崩落が進んで残るは僅か。
石積みの下段には本郭の南側を守る為に横堀が造られています。
花園城の堀は竪堀あり堀切あり、又それらを横堀で連結して複雑で迷路状の堀底に造り上げたりと、堀の構成を見ているだけでも興味が尽きません。
本郭にある「花園城跡」の石碑。 碑は大層立派なものですがここまで行く人はごく限られるでしょうね。
こちらは本郭西側を守る堀切・・と言いますか横堀に近い扇形をした空堀。
ここも岩盤を削り込んでます、岩盤の反対側は石積みを施す丁寧な仕上げ。
手間・・相当掛かってますよ。
一転してこちらは3郭から南側の腰郭3方面を撮影した所。
枡型虎口が明瞭に残ります。
更に引きのアングルで一枚。 枡型の奥は坂虎口になって、動線は東郭方面に誘導される造りになっています。
この凝りに凝った虎口の為に3郭の面積はかなり狭くなっています。
花園城東端の東郭から城外側の堀切4を撮影。
この堀切が実質上の花園城と東側の山との境界線だったのでしょうか、ここの堀切が最も深く規模も最大に思えました。
堀底に降りて撮影。
この後、花園城東側の尾根を暫く歩いたのですが、城っぽい遺構は発見できず。
ただ、幅の広い緩やかな尾根で要害地形とは言えないと思えました。
それだけにここまでの土木量を投下した巨大堀切を普請する必要性があったのではないでしょうかね。
花園城の評価は 4 とさせて下さい。
ここから荒川を遡上した山間部にある天神山城と同様に、土の城かと思えばかなりの石積みを駆使した城でありました。 この素朴ながら丁寧に積み上げられた石積みを探すのが大変楽しい・・
完全にマニア目線ですが(笑) 良好に残された石積み遺構はこの花園城の見どころの一つではないでしょうか。
また、城内を縦横に廻る堀による防衛線の変態的な技巧性も見所。
マイナス点は、城内の整備が最低限歩ける程度であって同じ町内にある鉢形城とは比較にならない所でしょうか。 ロープの設置なども恐らく個人の好意でなされたものじゃないですかね?