戸倉城
訪問 2018年9月
駐車場 無し
案内板 有り
都内の山城シリーズに一旦もどりまして2城紹介します。
戸倉城のある西多摩の丘陵地一帯は奥多摩へと続く山岳地帯と関東平野が入り組む複雑な地形で、「八王子城」や「滝山城」などの良好な遺構を残す山城が数多く残されている城郭密集地域になります。
戸倉城 主郭からの眺め
その中でも今回の戸倉城は、どちらかと言えば地形を最大限の防禦とした古いタイプの山城になりますが主郭からの抜群の眺望というおまけもあり、お勧め城郭の一つになります。
場所は以下のURLを参照して下さい。
地図上の城山山頂部が戸倉城の位置になります。
山麓の「光厳寺」さん脇の登山道から戸倉城を目指し、帰りは「八雲神社」へ降りるルートを辿ります。
戸倉城訪問でちょっと困ったのが、「付近に車を停められる所がない」 という点ですかね。
もう、登山口付近でウロウロするのも面倒なので、今回は武蔵五日市駅前のパーキングから歩いての訪問にしました。
まぁ、距離はありますが登山口までは30分程度で到着します。
歩くと、これから登る城山の様子もじっくりと見られますんで、これもいいもんです。
光厳寺さんに到着。
お寺さんに駐車場があったみたいですが、これは檀家さん専用でしょう。
戸倉城(登山道標識では城山)へはこの脇道を進みます。
登山道入り口に設置されている戸倉城の案内板。
案内板の文面を掲載してお城の紹介とします。
東京都指定史跡
戸倉城跡(とくらじょうあと)
所在地 あきる野市戸倉328ほか
指定 平成5年3月22日
戸倉城は、あきる野市戸倉の五日市盆地を眼中に望む山頂に、室町時代から戦国時代にかけて築かれた山城です。
15世紀頃に武州南一揆(秋川谷から南多摩地域にかけての武士集団)の一員であった土豪小宮氏が築城したとの伝承もありますが、詳細は不明です。
その後、天文15年(1546)頃、北条氏康の次男氏照が大石氏の名跡を継いで滝山城主となると、大石定久は戸倉城に蟄居した伝えられています。
この事から戸倉城は、大石定久隠居城とも呼ばれています。
北条氏照が滝山城を拠点にして、甲斐の武田氏と対峙するようになると、檜原城が甲州の押さえとなり、戸倉城は網代城や高月城を経て、滝山城や八王子城へと入ってくる情報を中継する機能を持つ城になっていったと考えられています。
天正18年(1590)、八王子城の落城とともに廃城となりました。
枡形・虎口・竪堀等の跡が、現状からでも確認する事ができます。
東京都教育委員会
一言で言うなら戸倉城の歴史は良く解ってません・・という事です。
秋川を遡上した先にある檜原城との関連・麓の五日市の防衛はまぁあり得るでしょうが、そこから先は妄想力で遺構を見ながら想像するわけです。
所で、ここで登場する大石氏は親会社(北条氏)から創業者一族の御曹司(氏照)を新社長に迎え先代社長(大石定久)は、相談役に退き㈱大石は北条グループの完全子会社化されました・・と理解してほぼあってます多分。
こちらは主郭に設置されている戸倉城想像図。
五日市駅方面からは、急峻な独立峰に見える城山(戸倉城)ですが、実際は檜原村へと続く稜線の先端部になります。
その城山(戸倉城)は、二つのピークとその中間の鞍部、それに図で大手道と書かれた北に一直線に延びる支尾根で構成されます。
ウンチクはこの位にして、早速登りましょう。
快適な登山道も少し登ると踏み跡が薄いエリアもありますが全体的に良く整備されて迷う心配も少ないでしょう。
(急坂)と書かれるだけあって、ここから斜度が上がります。
ちょっとした岩登りもあり・・ここは登りで来てよかったかも。
岩を登りきると主郭に到着です。
狭い山頂部を均しただけの素朴な主郭ですが
主郭からの眺めが抜群にいいんですね。
標高こそさほどでもありませんが周囲に遮る山がないので麓の五日市方向の眺望が抜群です。
こんな感じ、五日市市街どころか都心まで一望。
ちなみに近隣の山城もこの画像の中に幾つか写り込んでます。
さて、主郭背後の鞍部を経て出丸を目指します。
この石積は後世の物と思われますが、このような段郭は当時の地形そのままかも知れません。
鞍部に造られた郭を上から撮影。
戸倉城で由一まとまった平場を持つ郭でしょうかね。
鞍部に降りて主郭部を見上げて撮影。
この斜面にも遺構らしき地形が残されてますが、登山道の動線と混じってしまい当時の遺構が判り難くなってますね。
ちなみに私には何となく遺構があった感じがする・・程度しか判別がつきません。
更に出丸を目指します。
この標識があったら道なりに進まずに、この背後に注目です。
ここが出丸。
標識右手奥には横堀の遺構が僅かに残ってますが、写真では全く判らないので今回は割愛です。
出丸の全景。
主郭同様に小ピークの山頂部を均して造られた郭です。
土塁は回してなかったようで、単純な平坦地の様相になります。
出丸の先端部。
尾根筋になるので頑張れは降りれそうですが、戻れないとちょっと困った事態に陥るのでここで撤退です。
こちらは、鞍部の郭から北側の支尾根(大手方向)を降り始めてから振り返って撮影した所。
トイレの位置が鞍部郭の真ん中で、大手道は丁度トイレを目指す位置関係になります。
画像左手(主郭側)の切岸が大手道に対して斜め45度位で開口部を形成して大手口からの侵入者に備えているようにも思えてきます。
大手の支尾根はほぼ直線で麓に降りていきます。
浅い堀切の所で道は尾根から別れ右手に進路を変えます。
堀切と登山道を撮影。
ここで麓からの登山道は尾根に乗ります。
で、支尾根はそのまま進むとどうなるんだ?
という疑問があったので登山道を一旦外れて尾根をそのまま直進した所で撮影。
地形的には幅が広く緩やかな尾根ですが、すぐに踏み分け道も途切れてこんな藪だらけになって遺構探しどころではなくなります。
支尾根探索は諦めて、登山道を下ります。
途中両脇を見事な石積みで固められた所があります。
これは戸倉城とは関係なさそうですね。
ゴールはここ、八雲神社の裏手。
ここも車を停める余地はありませんね。
戸倉城の評価は 3 とさせて下さい。
1時間半で登って降りられて山頂の眺めも良いときたら、これは手軽なハイキングルートとしても最適なコースではないでしょうか?
背後の縦走ルートまで足を延ばせば本格的なトレッキングになりますが、この位なら運動不足でも問題ないかと。
お城好き以外の方にも是非にもお勧めしたい戸倉城です。
肝心な遺構に関しては、ダイナミックな大堀切や壮大な土塁線はないので少々地味です。
僅かに残る横堀や堀切に関しては藪に埋もれて写真では壊滅的な藪写真集にしかなりません。
こればっかりは実際に現地で藪に突入するしかないでしょう。