八王子城 主郭北部
訪問 2021年 1月 2月
駐車場 有り
案内板 有り
コロナ渦中におけるお城巡りというのは結構大変です、もとい大変気を遣います。
このご時世、お城を見に行く行為が不要不急の外出に当たるのでしてね。
しかし自宅に引き籠り続けるのも健康には良くないでしょう。
そこで、 「まっ 同じ都内なら大目に見て下さいな」 という訳で 三度目の八王子城の紹介です。
八王子城は日本百名城の一つであり、小田原北条氏の北条氏照の居城にして日本屈指の山城です。
戦国時代末期に築城が確認できる山城としては稀有の規模を誇る城郭と言える点がこの八王子城の特徴でしょうか。
そんな八王子城は既に幾度も拙ブログで紹介済なので、新たなテーマが無いと新鮮味がない。
という事で、最近やたらとこだわる浄福寺城と八王子城の関係を今一度検証しよう!
を今回のテーマとしました。
浄福寺城は八王子城の北方約1キロに残る山城で、築城者・築城年・築城目的不明ながら山城としては極めて技巧的な縄張りを持つ城郭遺構になります。
浄福寺城のおさらいはこちら
拙ブログでは誠に勝手ながら八王子城の支城説 を採用してあれこれ好き勝手に書いてますが、八王子城側から見たらどうなんだろう? というのが訪城の目的になります。
その為、浄福寺城方面の主郭北部を主に紹介します。
過去の八王子城の紹介はこちら
場所はグーグル先生にお任せ。
国土地理院先生にも登場願ったのですが、なぜかアップロードができないので画像による登場になります。
ついでにルート的な物を加筆してます。
今回2回分の訪問を一度に紹介してます。
東の大手側から一般的な八王子城主郭訪城ルートを辿り、途中北の恩方方面へルート変更してます。
赤色は城郭遺構の位置になります。
南の太鼓郭・東の大手口と周囲の支城を記載。この他に西側に伝大天守へ至る尾根沿いの石積み遺構群もあります。
前置きが長くなりましたが 早速八王子城主郭をめざしましょう。
鳥居をくぐると、尾根道の「新道」と尾根下の谷筋を辿る「旧道」に別れます。
加筆地図の緑が新道で青が旧道です。
見ていますと、ほぼ全ての方が新道(画像標識の金子曲輪)方面に行かれてますね。
「新道」ルートは尾根道ルートです。
アシダ郭になるのかな? 巨大な切岸と段郭が正面に立ちはだかります。
現在の登山道は切岸正面になりますが、城本来のルートは切岸右側のようです。
土塁の切れ目には石積みに用いられたと思しき石が散乱してます。
段郭の通過後は至って普通の尾根道が続くように見えます・・・
が
尾根東側のみに、崩落した石積みの名残が残ります。
この辺りははっきりと確認できますね。
目印はこの石碑ですかね。右手に明瞭に残る石積みがあります。
こちらは「旧道」ルート
尾根を一段下った所で新道に沿うように進みます。
「旧道」から見上げた「新道」のある尾根筋。
尾根の上に普請された石積み遺構が見られるのは「旧道」の特権ですかね。
「新道」からでは足元の石積み遺構が殆ど見えないんですね・・故にほぼ誰にも気付かれない。
こちらは「新道」ルート
登山者の大半は正面尾根道を辿り八王子城主郭を目指しますが、 ここで右の恩方方面に進みます。
すぐに「旧道」と合流し、八王子城主郭から北へ延びる尾根筋鞍部に至ります。
加筆地図の4色のルートが合流する辺り。
此方のルートは日帰りハイクのルートと言った趣で八王子城訪問者はほぼ踏み入れる事はないでしょう。
その尾根鞍部で道は分岐します。
森の尾根を歩く「心源院コース」
尾根道を辿り麓の心源院に至るルートです。
鞍部から北麓へ降りる「松竹コース」
そして もう一つが・・
「尾根直登コース」
というのは冗談で、こんなコースはありません。
足元に残る夥しい数の崩落した石積みを見たらこの上が気になるは致し方がない。
幸いにも、微かに踏み分け道が続いているので登ってみましょう。
かなり険しいです。
遺構を崩さないように 自身も滑落しないように、と気を配りながらも手振れをしないよう撮影するので色々忙しい。
岩盤むき出し。
登るのは良いが降りるのは危ないかも
岩盤を登ると尾根上の削平地に出ました。
削平地を進むと
八王子城主郭へ至る登山道へ合流します。
画像は合流地点を振り返って撮影したもの。
「この先危険」から出てきた訳でして、このコースはお勧めできません。
という事で
八王子城 主郭北部2 に続きます。
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